第27話 向き合う覚悟
――ハァ、ハァ、ゲホッ……。
私は剣の丘の草むらに倒れ込み、荒い息を吐いた。もう動けないって思った。頭がぼんやりして、全身がズキズキ痛む。それでも、胸の奥に広がっていくこの感覚はなんだろう。苦しいのに、どこか……心が満たされていた。
「――約束通り、儂の“戦士の証”を主に授けよう。巡礼者殿」
ドスの効いた声が頭上から響く。大きな遠吠えが空に向かって放たれ、黄金の光が辺り一面を包み込んだ。
私の頭につけた白い花飾り。その花びらが、静かに五枚目を咲かせた。
「そして、これまでの誹りを謝罪しよう。強き者よ」
「……私は、貴方のことが、嫌いです」
私の言葉に、ディオネスは豪快に笑った。
「呵呵っ!予言者殿にも同じことを言われたわい」
いつの間にか、彼は立ち上がり、私を見下ろしていた。その目に宿るのは、優しさ……いや、戦士としての敬意だったのかもしれない。
「主の中に燃え滾る怒り――それこそが運命に挑むための燃料だ。その怒りを支配し、我がものとせよ。それが、主の強さとなる」
「……はい。ディオネス様」
ようやく、呼吸が落ち着いてきた。私は痛む体を引きずり起こした。
「その剣の元の持ち主は、蒼い目をした兵卒だった。親に捨てられ、盗みを働き、投獄され……それでも生きることを止めなかった。死に物狂いで努力し、ついに州軍に入隊したのだ」
「……そう、だったんですね」
ほんの少し、歯車がズレていたら、私もそうなっていたかもしれない。そう思った瞬間、胸がきゅっと締め付けられた。
「その者は、結局、使い捨てのように死んだ。その激情が、未だにこの剣に宿っておる。だが、その怒りから目を背けてはならん」
ディオネスの声が、今は優しく響いて聞こえた。
「月の瞳の巡礼者よ。怒りを避けようとするな。その存在を正面から見据えるのだ。これこそが――“強さ”だ」
「……“強さ”」
「怒りは、“赦されざる者”――弱き者と《《見なされた者》》たちが持つ最初の剣。主は、それを取り戻した。ゆえに、強い」
風が吹き抜ける。草の音が耳に心地よい。私は、ゆっくりと彼の目を見て、言った。
「……ご指導、ありがとうございます。でも、“怒らない強さ”もあると思います」
「ほう? 申してみよ」
「怒りに飲まれることは、とても危険です。特に、私のように排斥されやすい立場の者にとっては」
「続けよ」
「怒りを抑え、見せないでいることも、“赦されざる者”が生き抜くために必要な知恵なんです。ディオネス様の教えとは別の価値観だと思います」
ディオネスはしばらく黙った後、ゆっくりとうなずいた。
「ふむ……一理ある。儂も、まだまだ途上ということか」
「……出過ぎたことを申しました」
「よい。月の瞳を持つ者は、そうでなくてはつまらん」
その瞬間、剣の丘にさわやかな風が吹いた。火照った体が冷やされ、心も少しずつ落ち着いていく。波の音、カモメの鳴き声。世界が静かに見守ってくれているようだった。
「巡礼者殿。主に伝えておかねばならぬことがある」
「はい」
「主と同等か、あるいはそれ以上の怒りを秘めた者がいる。この太陽の国を焼き尽くすほどの怒りを」
胸がざわついた。
「……それは……誰、ですか?」
「黎陽将軍、ザラド・ロメロ。あの男は危険だ。ソラリス帝国に災厄をもたらすだろう」
“最後の罪人”――夢で見たあの光景が脳裏によみがえる。
「……はい。夢で、ザラド将軍の未来を見ました。教会を焼き、教皇を……殺すと誓っていました」
「……! そうか。主の神秘、まさかそこまでとは」
ディオネスは息をついて、言った。
「ザラド・ロメロは、謀反を企てている。ディオネス州は、すでに奴の傘下だ」
耳鳴りがした。世界が、止まったように感じた。
◇
ガレリアの街が、旅馬車の窓の外で遠ざかっていく。
私は、静かに目を閉じた。
「滅びの予言、厄災の正体はあの男のことやもしれん。用心せよ。巡礼者殿」
でも――
ノクタリカは言っていた。厄災をもたらすのは“太陽の瞳のレオン”だと。
もし、ザラドが厄災なら、レオンの役割は?
二人の間に、何かあるの?
――いや、あの純粋でまっすぐなレオンが、ザラドの破壊思想に共鳴するなんて、そんなこと……考えたくない。
「いったい、どうなってるの……?」
この国の未来も、自分の役割もわからない。
でも、たったひとつだけ、はっきりしていることがある。
私は、私の夢を守る。レオンを守る。そのために怒りを抑え込んできたのだと思う。
もし、帝国とディオネス州が内戦に突入するのなら――
止めたい。けれど、どうすればいいのかは、まだわからない。
両手を合わせて祈った。
剣の丘で、亡き者たちを慰霊し続ける大狼――怒りと戦いの英雄、ディオネス。
彼は、ただの狂戦士なんかじゃなかった。
自らの怒りと向き合い続け、強さの意味を問い続けた“探究者”。
頭の中で、彼の声がこだまする。
――儂も、まだまだ途上ということか。
ようやく、わかった気がした。
ディオネス様が年老いていた理由。それは、戦い続けてきたからだ。
誰よりも、長く、深く、怒りと向き合ってきたからこそ――
「“なにも守れない”は、言い過ぎじゃない?本当に……」
“ムカつくっ!!”
◇
馬車は北上し、やがて岩の多い大地へと入る。
木々がまばらに生えた道を抜け、丘を越えた先に見えたのは、ガルガン州だった。
影の国に隣接する最前線。ネブラシス族の侵攻を食い止める帝国の防壁。
城塞都市ウルサが、灰色の鋼でできた巨人のように、空を拒むようにそびえていた。
巡礼する英雄は、あと三人。
そのひとりが、この地の守り手――防人ガルガン。
旅の終わりも、もうすぐそこだ。
祭りが始まれば、レオンに会える。
楽しみで――だけど、ちょっと怖い。
そんな気持ちを、胸の奥にしまい込んだ。
【Tips:御三家】
覇王アラヴとエル・セフィアに仕えた八英雄のうち、特に初期から活躍した三名を指す。騎士アストラード、賢者メテウス、防人ガルガン。
この三名は、後の時代まで特別な絆を持ち、国防・信仰・学問・政治に大きな影響を与え続けている。
【Tips:ガルガン州】
ソラリス帝国の国境にある、影の国と接する最前線の州。
「熊と鎖」のシンボルで知られ、州民は帝国でも特に屈強な体格を持つことで有名。
名産は猪肉と岩塩。屋台では豪快な串焼き肉が名物となっている。




