第26話 ――怒りを、力に
「……ゾーイが強い理由? そりゃ、いろいろあるが……一番は、戦い方だな」
午後の光が差し込む静かな喫茶店。客は私たち三人だけで、空間にはかすかに紅茶の香りが漂っていた。
「戦い方……ですか?」
私が紅茶に口をつけながら問い返すと、男たちは真剣な顔でうなずいた。
「ああ。あの剣と拳の合わせ技、誰もまともに受けきれねぇ。初見殺しだよ、マジで」
「体力もおかしいんだ。普通はすぐバテる戦い方のはずなのに、あの女はまるでバケモン。誰も止められねぇ」
私は首をかしげる。
単に身体能力を重視するというのは、八英雄の一人であるディオネスの評価としては、どこか納得がいかない。それに彼は、“赦されざる者”が遺した剣を、私が引き抜けなかったことに失望していた。
そこに、何か理由があるのではないか。そう、私は考えていた。
「……彼女が戦う上で、大切にしている信念や想いは、ありませんか?」
「し、信念……?なぁ、お前、何か知ってるか?」
「……いや、聞いたことねぇな」
ふむ、と軽く頷き、私は紅茶をすする。上質な香りが広がるが、胸の中の霧は晴れない。
「ご協力ありがとうございました。最後に、お名前をうかがっても?」
「なっ! ま、待ってくれ! 俺はアウラ様に誓って、神に背いたりなんてしてねぇんだ!」
「……お名前をお聞きしています」
男が焦りながら叫んだ。
「そ、そうだ!“怒り”だよ!あいつ、怒りを力に変えてるって、昔よく言ってた!」
「怒りを……力に?」
「マジで、そのまんまだ!ゾーイは常に“怒ってる”。だから、あんなに強いんだよ!」
怒り……それが、力の源? 私の脳裏に何かが引っかかる。
「彼女は、何に対して怒っているのですか?」
「それは……」
その時だった。カウンター奥から、ずっと黙って話を聞いていた店主が静かに口を開いた。
「――この国に、でしょうね。ゾーイ様は“太陽の戦士”になりたかった……もう、叶わぬ夢ですが」
「……太陽の瞳、黎陽将軍ですね」
「ええ。しかし、それ以上に……かつてディオネス家が帝国に独立を訴えたことが大きな理由でしょう。けれどその運動は潰され、ディオネス州はいまでも帝国の中で立場が弱いまま……」
私は目を細めた。
……そうだ。その事件があった。
ゾーイの“怒り”とは、ただの感情なんかじゃない。積み重なった歴史と、夢が潰された悲しみと、戦わざるを得なかった誇りの燃え残り――。
「……その怒りが、ゾーイの力の源だと?」
「おそらく、ですが」
……わかってきた。ディオネスの言いたかったことが。
私は丁寧に頭を下げた。
「貴重なお話をありがとうございました。店主」
紅茶を飲み干し、名乗りを拒む男たちに目を向ける。
「……闘技場賭博は、規則により禁じられているはずです。背信行為とまでは申しませんが、見逃すわけにはまいりません。さあ、名乗りなさい」
——。
男たちは渋々名を告げ、ディオネス州軍の者たちによって連行されていった。私は静かに見送り、もう一度店主に頭を下げて、宿へと戻った。
◇
――夢を、見た。
月明かりが照らす、冷たい砦の広場。
筋骨隆々とした僧兵に、一人の少年が叫びながら飛びかかっていく。
「よせ!一人で行くなっ!」
「黙れっ!邪魔をするな!!」
少年――ロイドは、叫んで短剣を放った。しかし、僧兵は手甲でそれを弾き、ロイドの胸ぐらを掴んだ。
「ぐっ……!」
壁に叩きつけられ、崩れ落ちるロイド。
動かない彼を見て、夢の中の私は叫んだ。
「ロイド!!」
私は剣を抜き、月光の下、全力で跳びかかった――。
◇
「……っ!」
目覚めた。心臓が早鐘のように鳴っている。
……いったい、あの夢は何だったの?
あれが、レオンが見る一つの可能性——未来?
私は机の引き出しから、巡礼の証である花の髪飾りを手に取った。
……予言。そうに違いない。
私は髪飾りを、そっと握りしめた。
◇
朝日が海を照らし、光が波に反射してキラキラと輝いている。
私は剣の丘へ向かう。そこには、変わらぬ姿で眠るディオネスがいた。
「おはようございます。ディオネス様。今日は……“力”を示しに参りました」
「主にその剣は抜けやしない。諦めよ、弱き者よ」
「……“怒り”ですか?」
その瞬間、ディオネスの耳がピクリと動いた。
「そうだ。主にはそれが感じられない。赦されざる者にして、それを受け入れている。なぜ怒らぬ。主にはまだ血が通っているだろうに」
「怒りは冷静さを失わせます。私は……怒りのままでは、生きていけない」
「順応して、傷を舐めて、それで満足か? 主は怒っていい。闘っていい。帝国を焼き尽くすほどの怒りを持っていながら、それをしない」
「……私が、帝国を……?」
「そうだ。その炎を、主自身が殺している。それは、過去も未来もすべての“赦されざる者”に対する冒涜だ。怒りなき者に、あの剣は抜けぬ」
「怒りは、敵を作るだけです……!」
「その敵は、最初から敵だ。怒りは尊厳の証。それを忘れる主には、我が“戦士の証”は相応しくない」
ディオネスは言葉を切る。
「……主が怒りをいらぬというなら、それもまた真理なのかもしれん。だが――」
そして、言い放った。
「それでは、主に守れるものなど、《《何もない》》。精々、虜囚の安寧に身を置くがよい。弱き者よ」
――その言葉が、胸に刺さった。
私の中に、何かが渦巻いた。
……怒り。
誰にも理解されず、誰にも受け入れられず、それでも生きてきた。
知らないくせに。私の何を知ってるの?私が、どれだけ苦しんで、それでも歩こうとしてきたか、あなたに分かるはずがない……!
私は剣の前に立つ。
そして、握りしめる。
怒りが、心の底から湧きあがる。
母を信じなかった父に。泣いてばかりだった母に。私を見下した神官たちに。蒼い目を嗤った人たちに。帝国に。そして、受け入れてしまった自分自身に。
全部――全部、《《許せない》》!!!!
「ううおあああああああああああああっっ!!!!!」
叫びとともに、全身の力を剣にぶつける。
震える腕。きしむ骨。涙と怒りのままに、私は――引いた。
——そのとき。
「……おぉ。いいぞ。その“強さ”」
ディオネスの声が聞こえた。
握力が限界を超える。剣の柄が、掌に食い込む感触。
だが、それでも。
――抜けた。
私はその勢いで吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。
視界が揺れる。けれど、そこに広がる青空は、今までの空とは違って見えた。どこまでも澄んでいて、美しかった。
――私は今、ようやく“怒れた”。
【Tips:ディオネス州独立要求運動】
帝国歴200年代に起こった内乱。ディオネス州は軍事力に長けていたが、その力ゆえに過酷な兵役を課されていた。当時のディオネス家が「兵役の平準化」を求めたが却下され、ついに州軍を率いて大教会へ進軍。その結果、帝国軍の介入によって鎮圧された。




