第25話 闘技場の女王
薄暗く静かな廊下を、私はひとり歩いていた。
その先には、まばゆい光が溢れていて――私は、迷わずその光の中へと足を踏み入れた。
まぶしさに思わず目を細める。
やがて視界が慣れてくると、そこには――雲ひとつない青空と、円形の闘技場〈コロッサス〉が広がっていた。
「……広い……!」
思わず、そんな言葉が口をついて出た。
まるで町ひとつがすっぽり入るような広さ。
しかも、観客席はすでに満員で、まるでお祭りでも始まるかのような熱気に包まれている。
私は空いていた席に腰を下ろし、鼓動の高鳴りを押さえながら、試合の開始を待っていた。
もちろん、目当てはただ一人。
この地の領主にして、最強の剣闘士――ゾーイ=ジ=ディオネス。
◇
「さぁさぁ、皆さまお待たせしましたぁあ!!」
観客席が揺れるほどのアナウンスが響き渡る。
「いよいよ本日最後の試合です! 登場するは、あの金色の猛獣っ!!
ゾーイ=ジ=ディオネスだぁああ!!!」
歓声が爆発する。まさに雷のような音だった。
ゾーイはその中を、大剣を肩に担ぎながら堂々と入場してくる。長い金髪が風に舞い、観客の興奮をさらに煽る。
その姿は、まさしく"闘技場の女王"そのものだった。
「続いて登場するは挑戦者!!元帝国軍の切り込み隊長!!
あの黎陽将軍と共に戦場を駆けた不撓不屈の勇士、ヴォルカー・バギンズ!!」
大きな槍を抱えた男が、重厚な甲冑を鳴らして現れた。
彼の名が呼ばれると、またしても歓声が巻き起こる。
二人の戦士が中央に立ち、じりじりと視線を交わす。
「勝つのは誰か!? 王者が防衛記録を更新するのか!? それとも新たな覇者の誕生か!! 最終戦、開始ッ!!」
そして、ゴングが鳴らされた――!
◇
開始直後、ゾーイが咆哮のごとく駆け出す。大剣を軽々と振るうその動きは、まるで剣が身体の一部になったかのようだった。
対するヴォルカーは堅実に受けるも、防戦一方。攻めきれない。
激しい剣戟、鋭い踏み込み、飛びかかり――野獣同士のぶつかり合いのような応酬が続く。
そして、転機は突然やってきた。
ゾーイの大剣が宙を舞うと同時に、身体をひねって放たれた回し蹴り。ヴォルカーの腹に直撃し、彼は吹き飛ばされ、槍を落とした。
その瞬間、ゾーイはくるりと回転し、足で槍を拾い上げ、空中から掴み取る。観客からどよめきが漏れた。
そして槍を――投げた。
ヴォルカーは間一髪、小盾を前に出して受け止める。
「コォオンッ!!」
金属がぶつかる音が響き渡る。槍ははじかれ、空中で回転した。
ゾーイは口を小さく「ワーオ」と言い、地面に大剣を突き刺して、手招きする。
――次はお前が来い、と言わんばかりに。
ざわめきが広がる中、ヴォルカーは再び槍を掴み取り、突進した。
槍を突き、薙ぎ払い、振り下ろす。鋭い動きの連続に、ゾーイは小盾でしのぎながら跳び回る。獣のような柔軟さで死地をすり抜ける。
――でも、限界は近い。そう思ったその瞬間。
ゾーイが翻る。
ヴォルカーの突きを受け流し、槍を両手で掴んで引き寄せ、体勢を崩させる。
そして、裏拳。続けざまに、回し蹴り。
彼の身体がまたしても吹き飛んだ――!
受け身を取る間もなく、ゾーイが一気に距離を詰め、両足で飛び蹴りを叩き込む。
ヴォルカーは地面に叩きつけられ、そのまま動かなくなった。
ゾーイは近づき、彼の兜を取り、頬を軽く叩いたが――反応はない。
そして、兜を高く掲げ、勝利の雄叫びをあげた。
「勝者ァァァ!! ゾーイ=ジ=ディオネス!! 王座防衛記録、更新ですッ!!」
――歓声が、雷のように響き渡る。
闘技場〈コロッサス〉は、歓喜の渦に包まれていた。
この場はまさに――ゾーイという名の女王が支配する王国だった。
私は、叫んでいた。
何も考えず、ただ夢中で――。
◇
試合後、私は近くの喫茶店に入って、紅茶を片手に興奮を鎮めていた。
(……凄かった……! こんな戦い、人生で一度見れるかどうかだわ……)
だが、私は思い出す。この試合を観に来たのは――八英雄ディオネスのことを調べるためだった。
(冷静にならなきゃ……)
そんなとき、隣の席から声が聞こえてきた。
「ちっ、これじゃ賭けになんねぇな。あの女、無敵すぎるんだよ」
……ん?
「ホントだよ。ディオネスに賭けて勝つだけじゃ、盛り上がらねぇんだよ」
テーブル席に座る二人の男の会話が耳に入った。――違法賭博だ。
さぁ、どうしたものか……
私は立ち上がり、彼らの席へと歩み寄った。
「失礼。さきほど、違法賭博の話をしていましたか?」
「……は? なんだよ、ただの修道女かよ。びっくりさせんなって。で、なに? 説教?」
二人は馬鹿にしたように笑ったが、私は毅然と名乗る。
「私はライラ=ロ=ノクタリカ。ノクタリカ州審問局所属の異端審問官調査員です。その態度、審問の際に不利になりますよ?」
空気が凍った。
喫茶店の店主は硬直し、他の客は目を見開いている。こそこそと逃げ出す者もいた。
「……証拠は?」
「こちらが身分証です」
ヴェルト司教の公印が刻まれた身分証を提示すると、彼らの顔色がみるみる青くなる。
「それでは、少しお時間をいただきます。……よろしいですね?」
「……はい……」
店は静まり返っていた。
チラリと横を見る。店主は汗だくで祈っていた。ごめんなさい。
私は自分の席から紅茶を持ってきて、彼らの向かいに座った。
「お聞きしたいのは――ゾーイ=ジ=ディオネスが、なぜあれほど強いのか。その理由です」
無言の圧が場を包む。
二人は、互いに驚きの視線を交わした。
私は静かに、しかし微笑みを浮かべて、彼らの言葉を待った。
【Tips:ディオネスオオカミ】
ディオネス州の固有種であり、州獣。
高い社会性を持つが、オスは幼いうちに群れから追放される。生き延びた者だけが、他の群れのリーダーとして君臨する。
その進化の過程と孤独な生存競争は、ある人物の歩みにも――重なるのかもしれない。




