第23話 花の終幕、そして新たな地へ
あたたかい陽射しがオフィリア高原を優しく撫で、柔らかな風が髪を揺らす。
馬車の窓から見える風景は、どこまでものどかで、まるで絵本のようだった。
ふわりと舞うオレンジ色の蝶――ベリスカ。その優雅な飛び姿を見ながら、私はそっと髪飾りに手を伸ばす。
白い花の髪飾りには、四枚目の花びらが咲いていた。“歌姫の証”と呼ばれる花びらだ。
あの聖歌祭のあと。知らないうちに授かっていた証。
……先生とは、それきり会っていない。
ふと思い出すのは、オフィリアの肖像。
華やかな薔薇に囲まれた、気品ある微笑みの女性。
「先生は……オフィリアだったのかな……」
誰にも聞かれないように、私はつぶやいた。
◇
少し前――
ソル・テアトロ州教会、中庭。
私は再び、オフィリアの肖像の前に立っていた。
その横顔を見上げていると――
「おや、ライラ審問官。もう出立されるのですか?」
振り向くと、フィン司教が微笑んでいた。
「フィン司教……いえ、あの、はい」
「聖歌祭では本当にお世話になりました。感謝していますよ」
「い、いえいえ!そんな……!」
「ふふ、謙虚なんですね」
くすりと笑って、フィン司教はまたオフィリアに視線を戻す。
「……お好きなんですね。彼女のこと」
「もちろんです。ぺリストラにいて、オフィリアに恋しない芸術家なんて、いませんよ」
”恋”──その言葉に、少しドキッとした。
「オフィリアって、どんな方だったんでしょうか?」
「そうですね……言うなれば、“花”を体現した芸術家です」
「花、ですか……」
「そう。咲かせるも、散らすも思いのまま。常に新鮮で、珍しくて、誰にも真似できない。彼女が目指したのは“一時の美”ではなく、“まことの花”だったんです」
石碑に刻まれた文字が目に映る。
【八英雄オフィリア。まことの花を咲かせ、ここに散る】
「その“まことの花”って……深いですね」
「ええ。芸術とは、そういうものなんです」
フィン司教はふっと微笑んだ。
「じゃあ、オフィリアの全盛期って……晩年だったんですか?」
「ふむ、それは……興味深い問いですね」
司教は、顎に手を当てて考え込む。まるで芸術作品の一部のように静かに。
「確かに、彼女は晩年に歌劇の原型を築き、ソル・アルカ教の宣教にも大きく貢献しました。ですが……」
「ですが?」
「もともと彼女は、ただ“歌って踊るのが好きな農村の娘”だったんですよ」
「え……そうなんですか?」
「誰かが喜ぶから歌い、拍手されるのが嬉しくて踊った。そこが彼女の原点なんです」
「なるほど……」
「祈りや奉納のために芸を捧げるようになってからも、彼女は変わらなかった。
けれど……私は、心から歌を楽しんでいた“少女時代”こそ、彼女の最盛期だったと思うのです」
「少女時代……」
「もちろん、司教としては今の功績を讃えるべきでしょうが……芸術家としては、つい、ね」
「……ありがとうございます、司教さま」
「いえいえ、内緒ですよ?」
そうウィンクしたあと、彼はさらりと言ってのけた。
「ところで、シスター・ローデリカさん──次回出演のご予定、いつが空いていらっしゃいますか?」
……。
◇
(二度とやるもんですかっ!!)
空は快晴。オフィリア高原には、色とりどりの花が咲き誇っていた。
それはまるで、宝石の海。
ベリスカたちがその上を、舞姫のように踊る。
“まことの花”―― 一瞬ではなく、時間を超えて、誰かの心にずっと咲き続ける花。
それを追い続けた魂は、今も花の都、ぺリストラで生き続けている。
先生。貴女がオフィリアだったのか、私は知ることができません。
でも、感謝しています。
ありがとう。先生。私に“歌”をくれて。
髪飾りが淡く橙色に光った。
それに応えるように、ベリスカたちが輝きだす。
まるで光の舞踏会。
私はその芸に、心を奪われた。
◇
ディオネス州の境に差し掛かった頃、風が塩の匂いを運んできた。
そろそろかな、と思い、身を乗り出して前を見る。
高原の先、目に飛び込んできたのは――海。
その手前に広がるのは、闘技場と港町。
ディオネス州の州都――港都ガレリアだ。
「次は、戦士ディオネス……か」
居場所のアタリはついている。違っていても、“狩人の証”がある。きっと導いてくれるはず。
……ただ、問題はそこじゃない。
ディオネスは怒りと闘いの英雄。
私みたいに剣もまともに振れない巡礼者を、果たして認めてくれるのだろうか?
波の音が近づく。太陽がきらきらと反射する海を眺めながら、私は思う。
ガレリアについたら、ミアに手紙を書こう。
聖歌祭で歌ったって言ったら、びっくりするだろうな。
……ゼルヴァのことは、書かないでおこう。
港町の門が見えてくる。
ソル・コロッサス州教会へ巡礼して、情報収集。
そして──いよいよ次の英雄と、向き合う時が来る。
この時の私は、まだ知らなかった。
次に待っているのが、“最も苛烈な試練”だということを。
ディオネス州・港都ガレリア。
ここで私は、“滅びの予言”に隠された本当の“厄災”を知ることになる──。
【Tips:ディオネス州】
ソラリス帝国の南東に位置する戦士の国。
「月と狼」の紋章を持ち、誇り高き軍人気質で知られる。
過去には帝国からの独立を図ったが、失敗。その歴史が尾を引き、いまだ“太陽の戦士”はこの州からは一人も出ていない。
怒りと誇りを胸に秘めた者たちの、鋼の生き様が息づいている。
【Tips:ソル・コロッサス州教会】
ディオネス州の港都ガレリアにそびえる巨大教会。ガルガン州の職人が手がけた重厚な石造りの建物。教会が運営する闘技場を併設しており、帝国八州の中でも屈指の規模を誇る。剣闘士たちの熱い闘技は、血気盛んなガレリア市民の大切な娯楽。もちろん賭博は禁止されている……まあ、表向きは。
【Tips:八英雄ディオネス】
伝説の白兵戦の使い手。巨体に見合う大剣と拳を武器に、影の国との戦争で数々の武功を立てた。
孤独を好み、信仰も仲間も持たず“真実の戦”を求めて戦場を渡り歩いたが、最終的に覇王アラヴに敗れ、忠臣となった。
その名は今も帝国の“戦の象徴”として語られている。




