第22話 暁の祈り
星が瞬く夜空の下、いよいよ聖歌祭の幕が上がる。
控室にいた私は、何度も何度も先生の教えを思い出していた。
呼吸のリズム。音程の確認。間違いやすい箇所を頭の中でなぞる。
そして――先生の声。
耳の奥で、何度も繰り返し聴いたその歌声は、今でも私を導いてくれる。
「……♪」
お腹に手を当て、音をひとつずつ、階段のように登っていく。
(大丈夫。ちゃんと分かってる。私、できるよ)
歌詞を心の中でそっと唱えながら、語りかけるように、思いを込める。
――完璧じゃなくていい。自分の想いを、ちゃんと届けられたら、それが“歌”になる。
そう言ってくれたのは、ほかでもない、あの人だった。
聖歌隊のレッスンでも「見違えた」と褒められた。たしかに、私は変わったんだ。
でも今、心臓がバクバクして止まらない。
(もう、早く終わってほしい……でも、早く歌いたい……)
矛盾した感情が胸の中で渦を巻く。
――先生……お願い、私の舞台の成功を……!
普段は神様にお願いなんてしないけど、今だけは、本気で手を合わせた。
◇
控室のドアが三回、ノックされた。
「は、はい!」
開いた扉の先、輝く金髪が揺れる。フィン司教だった。
「ライラ審問官……いえ、今は“シスター・ローデリカ”でしたね。まもなく開演です」
「……はい」
「そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ。夜遅くまで自習していた姿、ちゃんと見ていました」
「えっ……! 見ていたんですか?」
「ええ。聖歌隊も、神官たちも。誰もあなたを笑ってなどいません」
司教の言葉に胸が熱くなる。
「……自習、じゃないんです。本当は……」
ドォン――
鐘の音が鳴り響いた。
「幕が上がります。リハーサルどおり、紹介の後、神へ祈りを捧げてください」
「……は、はい!」
「私の見立てが正しかったこと、証明してくださいね」
優雅に微笑んで、司教は去っていった。
――もうすぐ、本番だ。
心臓がバクバクとうるさい。でももう、進むしかない。
“貴女なら絶対やれる!私が保証するよっ!楽しんで♪”
先生の声が脳裏に響く。
「……うん、私なら、やれる。楽しもう。先生、見ててください」
大きく深呼吸して、私は舞台へと歩き出した。
◇
「皆さま、本日は聖歌祭にお集まりいただき、誠にありがとうございます──」
フィン司教の滑らかなアナウンスが会場に響く。舞台袖から、私はその様子を見つめていた。
祭服のベールが、静かに肩を撫でる。
(あと、少し)
指先が冷えていく。
でも代わりに、心のもやが晴れていく。
舞台のざわめきも、誰かの足音も、音楽も――今、この瞬間、私の世界には“私”しかいない。
「――ご紹介します。旅の修道女、シスターローデリカ。楽曲は『暁の祈り』です」
照明の銀が、まるで月明かりのようにステージを照らす。
私は、一歩を踏み出す。
甘く切ない香りが、舞台を満たしていた。
礼をして、客席を見上げる。満席だ。煌びやかなドレスの海。
だけど、不思議と怖くない。奏者に視線で合図を送ると、優雅な伴奏が始まる。
先生の言葉が、また脳裏に浮かんでくる。
「貴女の声はとってもキレイ!」
「大丈夫、音は誰でも取れるようになるから♪」
「だから、どうか声を出すことを、恐れないで──」
ありがとう、先生。
顔も名前も知らない私に、こんなにも教えてくれて。
上手くなくても、私は──歌います。私の“想い”を。
♪わたしは祈る、
アウラよ、あなたの光の中に。
暁の風が静かに大地を撫でるとき、
わたしの心もまた清められる。
声が震える。けれど、それも“今の私”のすべて。
♪闇は去り、光は満ち、
わたしの歩みを照らす。
この身を捧げ、心を開き、
あなたの加護を願う。
練習したあの部分、しっかりできた。
胸が、じんわり熱くなる。
♪太陽の円のもとに立ち、
誓いを胸に抱く。
わたしは歩む、
アウラの光に導かれて。
最後の一音まで、想いをこめて、歌いきった。
客席から、静かな拍手が湧く。
――まるで、その余韻を誰も壊したくないかのように。
誰一人として、すぐに手を止める者はいなかった。
(ねぇねぇ!今、楽しい?)
先生の声が、ふいに聞こえた気がした。
(……はい。楽しいです。とても)
その拍手の中に、私の声が、想いが――生きていた。
【Tips:懺悔室】
教会にある告白用の小部屋。信徒はここで自分の罪を神官に打ち明け、赦しを求める。顔は見えないようになっており、互いに壁を挟んで“告解”が行われる。神官は信徒に寄り添い、神の言葉を伝える役目を持つ。
【Tips:八英雄オフィリア】
ソラリス帝国建国の英雄のひとり。
舞踊と歌で覇王アラヴと予言者エル・セフィアの思想と戦いを民衆に伝え、文化と信仰の橋渡しをしたとされる。彼女が残した舞踏は、現代では“ソラリス歌劇”として帝国中で演じられ、人々の誇りとなっている。
もともとは貧しい農村の出であったが、その才覚ひとつで英雄の座に昇ったことから、“民の星”として今も語られている。




