第19話 夢を守る刃
「ん……んん……」
冷たい床が背中に触れる。
身体がだるくて、頭がぼーっとする。
ゆっくりと目を開けると、そこには――夜光石の星空が広がっていた。
神聖で、でもどこか冷たい、静かな空間。
「やっと起きたか。……あの程度で倒れるとは、情けない」
鋭くて、冷たい声。
その声に導かれるように目を向けると――
石棺の上に、青く光る蛇がいた。
いや、それはただの蛇じゃない。
「あなたは……ゼルヴァ様、ですか?」
「そうだ。私が覇王の刃、刺客ゼルヴァだ」
その声は男とも女ともつかない、どこか中性的で、ぞくっとするほど冷たい。
今までの八英雄とはまったく違う空気をまとう存在。
近づこうとしても、足に力が入らない。
痺れる足を引きずりながら、石棺へ向かう。
「私は……ライラ=ロ=ノクタリカ。“月の瞳”を持つ巡礼者です」
「そうだろうな。その神秘……あの女を思い出す」
「あの女……とは?」
「他に誰がいる。エル・セフィアだ。忌まわしい予言者だ」
その名を口にしたとき、ゼルヴァの目が殺気を帯びた。
言葉を間違えたら――首が飛ぶ。そんな雰囲気。
(考えて、ライラ……ゼルヴァは、どんな人間? どう話せば――)
「……ゼルヴァ様。私はエル・セフィアの“滅びの予言”に抗うために、あなた様にお力をお借りしたく参りました」
深く頭を下げた。
ゼルヴァは黙ったまま石棺から降りてくる。
その動きはまるで、音もなく忍び寄る影のよう。
「滅びの予言……アラヴ様を、そして帝国までも呪い、破滅へ導こうとする――あの女の罪、万死に値する」
(アラヴ様を……?それって……)
「だが、その女と同じ神秘を持つお前を、なぜ信じねばならん?」
ゆっくりと滑るように近づいてくる。
そして――
「動くな」
蛇の体が、手を這い、肩を這い、首に巻き付く。
舌が耳元でぴちゃりと音を立てた。
「なぜ、滅びの予言に抗いたい? その理由を言え。それで、力を貸すか決めよう」
心臓が締めつけられる。
舌が、首に触れるたびに、全身が強張る。
「私は……」
その瞬間、直感した。
(……ダメだ。中途半端な答えじゃ、見抜かれる)
帝国の未来を守りたい――違う。
ノクタリカに頼まれた――違う。
認められたかった――違う。
ソル・アルカ教徒として――それも違う。
――じゃあ、何のために?
ぐるぐると頭が回る。
でも、答えはただひとつだった。
「……私は、私の夢を守りたい」
ゼルヴァの瞳が細まる。
「私は……私の夢を、守りたい。レオンを。
あの清らかで、美しい心を。人生で初めて、心から“尊い”と思えた。
帝国がどうなろうと、教会が崩れようと、構いません。
それでも私は、私の夢を守ります。たとえ、彼に憎まれたとしても……!」
答えを、絞り出した。
――しんと静まり返る空間。
ゼルヴァはただ、舌をチロチロと出しながら、じっと私を見ていた。
(……終わった)
頭がじんじん痛む。手足の血の気が引いていく。
(ダメだった。ごめんなさい、ノクタリカ、ラメルダさん……)
だが、次の瞬間。
「ク、クカカカカッ!! 貴様、ライラとか言ったな!? 最低の答えだ!! 気に入った!!」
ゼルヴァが笑った。床の上を転げ回るように、青い光を揺らしながら。
「いいだろう、力を貸してやる!
見事、“予言者の企て”を打ち破り、その夢を守ってみせよ!!」
部屋中に、ゼルヴァの笑い声が響き渡る。
私は、全身の力が抜けて、床に崩れ落ちた。
助かった……!
もう、笑われたってかまわない。それよりも、命があることが嬉しかった。
◇
身体を起こすと、ゼルヴァは再び石棺の上にいた。
「ありがとうございます、ゼルヴァ様……!」
「久しぶりに笑った礼だ。ライラ、こちらに来い」
ふらつきながらも、私は石棺に近づいた。
石棺の表面には、ただ一つ“太陽”のシンボルだけが刻まれている。
「これは……?」
「アラヴ様だ。ここで眠っておられる」
息を飲む。
「でも……覇王アラヴは、ソル・アルカ大教会から天に還られたはず……!」
「“そういうことになっている”だけだ。実際は違う」
ゼルヴァは、石棺の上に這い寄るようにして言った。
「アラヴ様は、病でお亡くなりになった。……エル・セフィアの予言によって、な」
私は言葉を失った。
そんなこと、聞いたことがない。
「この教会は、覇王の墓として私が造らせた。覇王が病で倒れたなど、国の威信に関わる。
“運命を変えた”英雄として記されることが、帝国を守る唯一の方法だった。
……だから、隠したのだ」
「……ゼルヴァ様がここにいた理由も……?」
「そうだ。我が君のそばを離れるつもりはない。過去も未来も、永劫に守り抜く。それが我が使命だ」
覇王の死を隠し、国を守り、未来をつなぐ――
その覚悟は、重く、鋭く、そして優しかった。
「……どうして、私に力を貸してくださるのですか?私は、“帝国がどうなってもいい”って言ったのに……」
「国が滅んでも、魂は残る。人、文化、記憶、意志――
アラヴ様の魂は、今も帝国に息づいている。
私は、それを守りたいのだ。
貴様の答えは、私のそれと似ていた。それだけだ」
ゼルヴァの青い光が、強く、鋭く、そして美しく光る。
「受け取れ。月の瞳の巫女よ――我が巡礼の証、“闇を征く者の証”を」
光が、私の髪飾りに触れた。
三枚目の花びらが、そっと咲いた。
「“刺客の証”だ。これで、貴様の夢も、美しくなるだろう」
「ありがとうございます……!」
夜光石の光が、石の空に星のように瞬く。
その静けさと光の尊さは――まるでゼルヴァ家の忠誠のようだった。
◇
帰ろうと、扉に向かう。
そこには、すでに火が消えた松明があった。
(あの真っ暗な階段、また上がるのか……)
戸惑っていると、ゼルヴァが後ろから声をかけてきた。
「どうした。何か問題か?」
「あっ、いえ……その、灯りが……」
「そんなもの、もう貴様には必要ない」
「……え?」
「ラメルダがここまで導いたのだろう?
それと同じだ。……ほら、あれを引け」
ゼルヴァが鎖を指し示す。
私は取っ手を握り、力いっぱい引っ張った。
ゴトッ。
重い扉がゆっくりと開き――暗闇が広がった。
「……ゼルヴァ様、何も見えません」
「念じろ。強く、祈れ」
言われるまま、私は目を閉じた。
思い浮かぶのは、厳しくも優しい、“夢”を守るゼルヴァの姿。
目を開ける。
階段が――見える。
「ではな、ライラ。ノクちゃんによろしく伝えておけ」
最後にひとこと、そう言い残すと、ゼルヴァは再び石棺の上に戻っていった。
私は深く礼をし、静かに闇の中へと歩みを進めた。
【Tips:オフィリア州】
ソラリス帝国南部に位置する、芸術と文化の州。
蝶と薔薇のシンボルを持ち、帝国最大の歌劇場や国営美術館を擁する。
特産のオフィリア・ワインは、庶民から貴族まで幅広く愛されている。
【Tips:華の都、ベリストラ】
オフィリア州の州都。
絢爛豪華な“華の都”として知られ、昼は紅茶と花、夜はワインと香水の香りが漂う眠らない街。
芸術家や俳優、音楽家志望が集う夢の舞台である一方、競争は厳しく、貧富の差も大きい。
路地裏にまでドレス姿が似合うという、まさに美と虚飾の象徴。




