第18話 “月の瞳”は闇に進む
朝日がグラーダの渓谷を照らし出す。
けれどその光が届くのは、ほんの表面だけだった。
谷の奥、岩の街に光が差しても、その奥底にある影は、かえって深さを増しているようだった。
私は、再び風に導かれるまま――
ソル・アントルム州教会の地下へと、足を運んだ。
◇
礼拝所には人が増えていた。
誰もが静かに祈り、懺悔し、神官たちは儀式を行っている。
(……ルード司教はいない)
私は、松明の明かりに揺れる空気の流れに、そっと導かれるように礼拝堂の脇へと回り込んだ。
その扉は、まるで“存在に気づかれないように”置かれていた。
絶妙な柱の影に隠れていて、けれど確かに、そこに“風”が吹いている。
(……この奥に、何かがある)
誰もいないことを確認して、私は扉をそっと開いた。
きしむ音もなく開いたその先は、さらに下へと続く――“暗闇”。
夜光石すらない。
扉を閉じたら、何も見えない完全な闇。
私はいったん戻り、壁の松明を一本だけお借りして、もう一度その扉の前に立った。
(行くしかない……!)
息を整えて、階段を降りる。
迷いも、恐れも、心の奥に押し込めて――足を踏み出した。
◇
コツ、コツと足音が響くたびに、自分の鼓動も響く。
闇の中で、松明の火だけがゆらめいていた。
どこまでも続く階段。冷たい空気。
それが“下へ、下へ”と、私を引っ張っていく。
(どこまで続くの……)
やがて、階段の終わりが見えた。
その先にあるのは、巨大な石扉。
重厚な石の門。中央には、すり減った円環の模様。
扉を押してみた。……びくともしない。
引いても、同じ。
(……開かない?)
あたりを見回して――私は、扉の横に“穴”を見つけた。
(これは……)
小さな石の穴。
何かを入れるためではなく、“誰かが自ら手を差し入れる”ために作られたような形。
(まさか……ここに……手を……?)
冗談でしょ、と笑えればよかった。
でも、指先が冷え、背筋に悪寒が走る。
(こんなこと……できるわけない……)
だけど――思い出してしまった。
あの夢。
いずれ、帝都リステラを焼き尽くす、“太陽の瞳”の男。
黎陽将軍、ザラド・ロメロ。
それを止めるのは――“私しかいない”。
「……止めなきゃ」
歯を食いしばり、ゆっくりと手を穴に入れていった。
肘、肩まで。
……何かに触れた。金属……? 握り手のような感触。
その瞬間だった。
「……っ痛ッ!!」
鋭い痛みが走り、思わず松明を落とす。
反射的に手を引き抜いた。
見ると、親指の付け根に――二つの赤い痕。血がにじんでいた。
(ヘビ……!?毒……!?)
手が震える。背筋が凍る。
(ふざけないでよ……!なんで私だけ、いつも……!)
逃げ出そうとした、その瞬間。
あの声が、蘇った。
(止めて! エルちゃんを! “月の瞳”を持つあなたしか、できないの!)
――あのコウモリの声。
ノクタリカの、あの灰色の子が、私の“最初の旅の一歩”だった。
(……もう……うるさい! やってやるわよ!)
叫ぶようにして再び穴に手を突っ込み、柄を掴む。
またもや鋭い痛みが走るが、私は叫びながらそれを引いた。
「うううぅぅぅううううッ!!」
鋭い痛みと共に、全身に汗が噴き出す。
目をぎゅっと閉じ、涙があふれる。
壁にすがって、全力で引っ張った。
ゴンッ!!
鈍い音と共に、扉が少し動いた。
だが、反動でバランスを崩し、私は床に尻もちをつく。
(あ、開いた……!?)
だが――その直後、内出血のように腕が赤く染まり、ビリビリと痺れてきた。
(毒だ……っ)
足がふらつく。立ち上がるだけで、全身の力が抜けそうだった。
それでも、扉の奥へ――私は進んだ。
◇
広がったのは、星空のような空間。
夜光石が天井に散りばめられ、まるで夜空を閉じ込めたような美しい部屋。
その中央に、たったひとつ――石棺が、あった。
(……あれが……ゼルヴァ?)
一歩、踏み出そうとした――
その瞬間。
(……え?)
松明が、手から滑り落ちた。
手が、震えて、もう動かなかった。
(ダメ……屈んだら……倒れる)
そのまま、座り込む。息が荒い。全身から汗が噴き出す。
(く……るしい……)
地に手をつき、目の前がぐにゃりと歪む。
はぁ、はぁ、はぁ――
胸が、焼けるように熱い。
夜光石の光が、星のように滲んで見えた。
(……ここで、終わり? 私、このまま……死……)
耳の奥で、石扉が閉まる音がした。
暗闇が、静かに迫ってくる。
その時、声がした。
「不敬者はすべからく死ぬべきだけど、残念ながらその程度の毒では死なない。だが、お前の意志を試すには、十分だ」
どこか冷たく、どこか誇り高い――そんな声。
そして、視界の端に、青く輝く“何か”が見えた。
その光に包まれるようにして――
私は、意識を手放した。
【Tips:夜光石】
ソラリス帝国で広く使われている光源石。
光を吸収し、一定時間淡い青い光を放つ。
特に地下構造が発達したゼルヴァ州では、照明として重宝されており、夜目を育てる環境にも一役買っている。
メテウス州の学者が科学的な構造を研究している一方で、ガルガン州の職人たちは「まあ、そういうもんだ」と感覚的に扱っているらしい。
【Tips:八英雄ゼルヴァ】
ソラリス帝国建国の八英雄のひとり。
斥候・暗殺に優れ、戦場では姿をほとんど見せなかったため、かつては“実在しなかった”とまで噂された。しかし、ゼルヴァ家の資料提出により名誉回復がなされた。特に毒の使い手として知られ、覇王アラヴへの忠誠は狂信に近かったという。長らく秘匿されていたが、実は女性だったことが近年明かされた。




