第17話 風は、石の奥へ
――息が、できなかった。
目が覚めた瞬間、夢の中で見た“あの光景”が、まだ胸を締めつけていた。
(……教会を、焼く? ヒリンス様を……殺す?)
夢の断片が、急に線を結び始めた。
(……そうだ! “太陽の瞳”を持ってるのは……レオンだけじゃない!)
浮かんだのは――
“黎陽将軍”ザラド・ロメロ。
帝国最強の英雄、太陽の戦士。
教会にいたミア。
そして、太陽の瞳を持つ少年、レオン。
……ザラドは、“背信者”だ……!
「……こ、告発……!」
ベッドから転げ落ち、机に飛びつく。
かばんをひっくり返して紙を出し、筆を握る手が震える。
でも―― 一文字も、書けなかった。
(……証明なんて、どうするの?夢で見ました、なんて……誰が信じるの?)
筆先を紙に置いたまま、言葉が出てこない。
インクがじわじわ滲んで、ただ黒い染みが広がっていく。
(私は……どうすれば)
――その時、ふいに蘇った言葉。
「ライラちゃん。“汝、水に習え”や」
あの森の匂いと共に、ラメルダの笑い声がよみがえる。
“自然体”。
焦らず、今この瞬間に集中しろ――水のように、あるがままに。
(……そうだ。今、決めなくていい。今すべきことは、“ゼルヴァに会うこと”。それだけ)
深く深呼吸する。
机に置いてあった髪飾りが、ふわりと揺れた。
二枚の花びら――“隠者の証”と、“狩人の証”。
そのうちの一つ、“狩人の証”が、静かに淡く光り始める。
「……風?」
この部屋には窓もないのに、ほんのり風の流れを感じた。
(……呼ばれている)
私は髪飾りを着けて、部屋を飛び出した。
◇
朝のグラーダの街。
まだ日が昇らず、渓谷の街は薄暗く沈んでいる。
家々は岩をくり抜いて建てられ、地下室付きの住居がぎっしりと並んでいる。
大通りは狭く、人の気配もまばら。
(……これが、帝国八州の一つ、ゼルヴァ州の首都とは……)
あまりに質素なこの街は“日陰の都”と呼ばれているらしい。
けれど、風は確かに、まっすぐ私の背を押していた。
向かう先――ソル・アントルム州教会。
中央広場にぽつんと建つ、小さな石造りの教会だった。
「……こういうのに、驚かなくなってきたわね」
光るコウモリ、ノクタリカに始まり、八英雄の魂、未来を映す夢――
信じていなかったはずのことが、今では当たり前のように感じる。
(……今は、ゼルヴァを見つける。それが、私にできること)
私は“狩人の証”に導かれるように、教会の地下へと降りていった。
◇
長い階段を下りると、地下には広い空間が広がっていた。
赤いカーペットの通路。
アウラ像が見守る先に、祈りのための長椅子が並び、すでに数人の信徒が静かに祈っている。
私は最後尾に座り、手を合わせた。
(本当に、ここにゼルヴァが……?)
“八英雄ゼルヴァ”は覇王アラヴ《《個人に》》忠誠を誓っていた。
エル・セフィアが興した教会に共感していたとは思えない。
(それなのに、なぜ教会?)
……いや、待って。
この地下教会は、ゼルヴァ家が管理している。
“なぜこんな造りなのか”は、600年間、一度も明かされていない。
(もしかして、なにか隠されてる? メテウスの禁書架みたいな……?)
答えを探すなら、ここしかない。
(……あの人に、聞いてみよう)
祝詞を唱える司教――ルードの姿が見える。
私は深く息を吐いた。
◇
「……ライラ審問官。まだいたのか。巡礼は終えたはずだ。去れ」
「はい。ですが、滞在許可期間内です。もう少し、祈らせていただけませんか」
「……ここは本来、“赦されざる者”が立ち入る場所ではない。
ヒリンス様の特別な計らいがあるから許されているだけで、貴様の存在が穢れていることに変わりはない。少しは自重したらどうだ」
ルード司教は、いつもどおりの辛辣な言葉をぶつけてきた。
けれど、私は静かに頭を下げる。
「ご迷惑はおかけしません。皆さまの祈りの妨げにはならないよう、十分に配慮いたします」
「……はぁ。穢れ目が……ヒリンス様は、なぜこんな女を……」
ため息まじりの言葉に、私はやんわりと口を開く。
「ルード司教。祈りのたびに、時折胸がざわつくのです。まるで、この石の奥に……もっと深い思いが眠っているような」
ルードの顔が、一瞬、わずかに引きつった。
「……なんの話をしている」
「この教会が、ゼルヴァ家の造営によるものだと伺いました。
もしよろしければ、この祈りの地にどんな物語が込められているのか――教えていただけないでしょうか」
言葉を選びながら、慎重に表情を観察する。
ルード司教の眉間に深いしわが寄る。
「……そのようなものはない。くだらぬ妄言を繰り返すのなら、僧兵を呼ぶぞ」
「……出過ぎた真似をいたしました。申し訳ありません」
軽く頭を下げ、教会を出た。
(嘘が下手ね、ルード司教)
外に出ても、風は止んでいなかった。
まるで、ソル・アントルム州教会の“もっと奥”へと、吹き抜けていくかのように。
【Tips:日陰の都、グラーダ】
ゼルヴァ州の州都。渓谷に挟まれた天然の要塞都市であり、崖の住居・地下室が主流。
犯罪率が極めて低く、住民による自治とゼルヴァ州軍の精鋭部隊が治安を保つ。
幼少期から夜目の訓練が行われ、光が少ない環境でも生活できる独自文化が育まれている。
【Tips:メテウス大図書館】
メテウス州に存在するソラリス帝国最大の図書館兼研究機関。
ソル・リブレリア州教会と同一敷地にありながら、図書館と教会の機能は完全に分離されている。
蔵書数は膨大で、噂ではどこかに“禁書架”があり、帝国が不都合と判断した記録や歴史が隠されているという。




