第14話 角冠戴く森の王
「ごめんな、シスターの姉ちゃん。怖い思いさせてもうたな。でもな、姉ちゃんも姉ちゃんやで」
小さな肩を揺らしながら、ノールが犬の頭をなでていた。
「はい……」
私はうつむいたまま、謝るしかなかった。
「狩場荒らされたら、そりゃこいつらも怒るわ。道戻ればええのに、なんで森の奥に行ったんや」
「……おっしゃるとおりです」
さっきまで私を追いかけまわしていた犬――マックとモスは、今はノールの足元でおとなしく伏せている。こうして見ると、思っていたよりずっと小さくて、愛嬌すらある。
「まあええわ。ホンマやったら道まで案内するけど、時間ないさかい。終わるまで、そっちも居てもらうで」
「わかりました。邪魔はしません」
ノールは、さっき涙目で走っていた子とは別人みたいに落ち着いていて、堂々としていた。
「で、姉ちゃんの名前は?」
「ローデリカといいます」
「そっか。オレはノール。ノール=デ=ラメルダ。誉れある狩人、ラメルダの血筋や。よろしくな、ローデリカ姉ちゃん」
マックとモスを撫でながら、彼は自信たっぷりに名乗った。
◇
「ノールさんはおいくつですか?」
「7歳。ローデリカ姉ちゃんは?」
「私は今年で16です」
(まさか、9歳差の子に説教されるとは……)
そんな心の声を押し殺しつつ、私は彼の狩りに付き合うことにした。
頭から獣の皮を被り、木々の陰に身をひそめる。
ノールの手には小さな弓。けれど、その手首には一分の揺れもない。
マックとモス――2頭の猟犬が放たれ、森の奥へと音もなく駆けていった。
「てかさ、シスターやのに、なんでこんなとこおるん?」
「実は……セルヴァリスを探していて」
「そんな“人間臭い”カッコして見つかるわけないやん」
「く、臭い……!?」
「そらそうよ。獣は鼻が利くんや。人間は異物や。臭いだけで近づかへん。人間かて臭いもんは避けるやろ?」
思わず腕を匂ってみたけど、無臭だった。……多分。
「でもな、セルヴァリスは絶対ここにおった。オレ、見たもん」
ノールの声が少し強くなった。
「祭りで勝ちたいんですね」
「そうや。あかんか?」
「いえ……ただ、どうしてそこまで?」
ノールは黙った。
少しして、ぽつりと口を開いた。
「最近な、ラメルダ家は祭りで負け続きなんや。特に“フレイ・カルナス”が出てきてからは……」
「フレイ・カルナス……」
「せや。8歳でセルヴァリスを一人で狩った天才や。……オレも、負けたない」
(そういうこと……か)
「再来年には、オレも州代表選考会を受ける。狩りができる時間も、もうあまり残ってへん」
少年の声は、子どもっぽさと、大人びた決意の両方を含んでいた。
私は黙ってうなずいた。
彼の背負っているものを、簡単な言葉で慰めたくはなかった。
◇
――ワンッ! ワンッ!
犬の鳴き声が森に響いた。
ノールの体が一気に張りつめ、弓に矢をつがえる。
私も無意識に息を殺した。
木々の隙間から、重い足音。
枝を揺らし、空気を裂いて、何かがこちらへ迫ってくる。
(……来る)
ドクンドクンと、自分の心音が耳に響く。
風が止まり、鳥たちの声が消えた――
その瞬間。
木立の間から、現れた。
――セルヴァリス。
巨大な枝分かれした角を持ち、まるで森の王者のような威厳。
陽の光を受け、銀灰色の毛並みが淡く輝いている。
マックとモスが左右から回り込み、威嚇の声を上げる。
だがセルヴァリスは角を振りかざし、彼らを寄せつけない。
ノールの目が鋭く細まり、狙いを定める。
ギリッ――
弦がきしむ音が、空気を震わせた。
(……放たれる)
――瞬間。
矢が風を裂いて飛んだ。
白銀の軌跡を描きながら、まっすぐ、一直線にセルヴァリスの心臓を狙って飛ぶ。
矢は空気を貫き、木々をかすめ、完璧な軌道を描いて――
(……当たる!)
その時だった。
セルヴァリスが突如として体をひねり、
角を勢いよく振るう――!
カァンッッ!!
鋭い音が森にこだました。
矢が――折られた。
いや、“はじき落とされた”のだ。角で、真っ向から。
その衝撃にマックとモスが怯み、一瞬、動きを止める。
セルヴァリスはその隙を逃さず、全力で森の奥へと駆け抜けていった。
「はぁぁぁああ!?なんでやねん!!マック!!モス!!追えぇぇぇぇぇ!!」
ノールは叫びながら駆けていった。
私は……その場に残された。
◇
……静寂。
温もりの残る獣の皮にくるまりながら、じっと息を整えていた。
(すごい……あれが、セルヴァリス……)
前に見た時よりも大きくて、恐ろしくも、美しかった。
でも、あれを仕留めようなんて――人間に、できるんだろうか。
「嬢ちゃん、見とったか? あれはあかんな。セルヴァリスは、あれじゃ狩れん」
「――っ!?」
不意に聞こえた声に飛び上がる。
いつの間に、誰が……?
振り返ると、そこにいたのは――
緑色の光を放つ、巨大な鹿だった。
(セルヴァリス……!?)
「なんや懐かしい気配あるなぁ思って見に来たら、また君か。シド村のあたりで見かけたな」
「……あ、貴方は……ラメルダ様、ですか?」
「様ぁ?やめーや。まぁええけど。“狩人ラメルダ”っちゅうのは俺のことや」
あまりにも軽い物言い。
セルヴァリス――いや、ラメルダは陽気に笑った。
「まぁ、今は狩る側やのうて、狩られる側やけどな!」
一人であっけらかんと笑っている。
「嬢ちゃんはただのシスターやないやろ。その神秘、尋常やない。どこの誰や?」
「あ、私は……ライラ=ロ=ノクタリカ。“月の瞳”の持ち主です」
「ノ、ノクタリカぁ!? あの引きコウモリの子孫か!?はは、遠路はるばるやなぁ!」
(……引きコウモリ……)
「ちゅうことは、エル・セフィアの予言絡みか。……大変やな、ほんま」
ラメルダはゆったりと頷きながら、木陰に座り込んだ。
「ええで、力貸したるわ。でも、ひとつだけお願いがある」
「……お願い?」
「あの“ボン”、ノールに、狩りのコツを教えたってくれへんか?」
「狩り、のコツ……ですか?」
「恥ずかしい話やけど、あいつには……誰かに背中を押してもらう経験が、必要やねん」
森の奥で揺れる、優しい緑の光。
それは、“狩る者”ではなく、“育てる者”の眼差しだった。
「……分かりました。引き受けます、ラメルダさん」
「あんがと。月の瞳の嬢ちゃん」
ラメルダの瞳が、優しく細められた。
【Tips:ゼルヴァヘビ】
ゼルヴァ州の州獣。神経毒を持つ毒蛇で、死には至らないが抽出次第では医療用麻酔や暗殺毒にも転用可能。
八英雄ゼルヴァが愛用していたことからこの名がついた。夜行性で、月のない夜に特に活発化する。
日中は日光浴のために岩場に出現するが、皮膚の色を変える能力を持つため、人間はしばしば気づかずに噛まれる。
【Tips:八英雄ラメルダ】
ソラリス帝国建国の英雄のひとり。
卓越した弓の名手にして狩人でありながら、建築家としての才能も高く評価され、ラメルダ式建築を確立した。
大河ソラ川の治水や農業支援にも尽力し、“知の英雄”として崇敬されている。
また、聖獣セルヴァリスとの死闘を描いた伝記『七日間の死闘』は、帝国で広く読まれている名作。




