第13話 東の森で迷った日
ラメルダ州・ファット―リアの喧騒から離れて、私は静かな交易路をひとり歩いていた。
目的地は“東の森”。
「……意外と、うっそうとしてるわね……」
お祭りの賑やかさに流されて、なんとなくノールくんの後を追ってここまで来たけど……。
これ、本当に入っていい森?
迷ったら、戻ってこれなくなりそう。
ベールの奥に隠した髪飾り――“隠者の証”にそっと触れる。
一人は、ちょっと心細いな。こんな時、ノクタリカがいてくれたら……
◇
(ごめんねぇ、ライラちゃん……。あたし、ノクタリカ州から出られないんですぅ……)
「……“出たくない”んじゃなくて?」
(ちっちっちっ、ちがいますってば!なんか、ホントに出られないんです……)
「ソル・グアルディア州教会からは?」
(……も、もちろん、最近はちょっとずつ頑張って……る……かも?)
「はあ……。まあ、いいわ。一人旅には慣れてるし、再巡礼の許可も下りたし。問題ない」
(よかったぁ〜!ライラちゃん、巡礼きっと上手くいきますよっ!……あ、地図、持ちました?)
「ええ。……ねぇノクタリカ。出かけないのに、なんで地図なんて作ろうと思ったの?」
(それはねぇ――)
◇
――どこにいても、すぐ帰れるように。
そんな小さな祈りのような言葉が胸をよぎる。
そっと“隠者の証”をなぞって、森の中へ一歩、足を踏み入れた。
◇
森の中はとても静かだった。
風が葉を揺らす音。自分の足音。呼吸の音。それだけ。
(……本当に、この中にセルヴァリスがいるのかしら)
伝説では、メテウスが三日三晩眠らずに隠れてやっと姿を見たって言う。
それに比べたら、シド村で見られたのは、奇跡だったのかもしれない。
そろそろ引き返そうか、そう思った瞬間だった。
「ガサッ」
身体がピクリと動きを止めた。
グルルル……。
(……野犬!?)
足がすくむ。だが、逃げてはいけない。背を向けたら……やられる。
(……武器、武器になるもの……)
目だけを動かし、あたりを見る。足元に棒が落ちていた。
そっと拾いかけたその瞬間――
――「ガササッ!」
(二頭目!?)
無意識に、体が動いた。
森の奥へ向かって、全力で駆け出した。
◇
「ハァッ……! ハァッ……!」
息が切れる。心臓が痛い。
だけど止まれない。後ろから聞こえる犬の吠え声が、背中を押してくる。
木の枝が顔をかすめ、足元の草が絡みつく。
走れ、走れ、走れ――!
バランスを崩して、足がもつれて――
ドサッ!
地面に叩きつけられた。
「ッ……!」
痛みも怖さも感じないまま、私は身を丸めて、耳を塞いで、目をつぶる。
――来る。襲われる。死ぬ。
……でも、何も来ない。
そっと目を開けると、風に揺れる草と、空にのびる木の枝が見えた。
「……た、助かった……?」
ゆっくりと身体を起こし、辺りを見渡す。
野犬の姿はない。ケガもない。
「……よかった……」
へたりと座り込んで、心の底から安堵の息をつく。
でも。
「あれ……ここ、どこ……?」
立ち上がって辺りを見回しても、見覚えのある景色はない。
迷子になったことを、認めるしかなかった。
◇
木陰に頭を預け、空を見上げる。葉が風にゆれ、空の色がちらちらと動く。
(落ち着け、ライラ。まずは現状の把握)
私は交易路を歩いて、野犬に追われて森の中に逃げた。
そのせいで道を外れた。走った方向はまっすぐなつもりだったけど、自信はない。
水も食料もなし。周囲に人の気配はない。
じゃあ、どうする?
(とりあえず歩き回るのは危険。落ち着いて、太陽の動きを見て方向を決めるのが先)
ベールをまくり、近くの棒を拾って、地面に突き刺し、影を観察する。
ファット―リアは西。太陽が沈む方向が分かれば、森を抜けられるはず。
「……まったく問題ない。私は大丈夫」
自分に言い聞かせるように呟いた。
冷静に、思考を整理する。
……不思議と、落ち着いていきた。
◇
少し気が紛れたところで、ミアの話を思い出す。
フレイ・カルナス。手紙に名前があった。浮世離れした少年。
ミアいわく「話は合わないけど、悪い子ではない」らしい。
「天才か……まあ、ラメルダ州の代表だし、当然か」
昔のことを思い出す。
八州選考会の時、面接室に入った瞬間、私は顔を見ただけで退室を命じられた。
理由は、この瞳だろう。
(でも私が、ちゃんと試験を受けられてたら……ミアと戦えたかな)
答えは、きっと“NO”だ。
その代わりに今の“異端審問官”という仕事を得た。
心から好きな仕事じゃない。でも、生きていけるだけマシ。
「……感謝は、してないけど」
突き立てた棒の影が少しずつ動いている。
もうすぐ、方角が分かる――そう思ったときだった。
「ワンッ!ワンッ!」
その声に体が跳ねる。
(ま、まだいたの!?)
近くの木を見つけて登ろうとした、その時――
「おーい!シスターのお姉ちゃん!聞こえるかー?」
声がした。
振り返ると、犬を連れたノール=デ=ラメルダくんが、短弓を手にこちらへ向かっていた。
「ノールくん……!」
全身から力が抜けて、私はその場にしゃがみ込んだ。
……助かったんだ。
【Tips:ツキミコウモリ】
ノクタリカ州の州獣。
非常に小さく、満月の夜にだけ狩りを行い、それ以外の夜は洞窟で過ごす。
群れを作らず、巣は一生で一つだけ。愛らしい見た目とは裏腹に、人間には懐かない。
最近では外来種の影響で数が減っており、保護活動が進められている。
【Tips:セルヴァリス】
ラメルダ州の州獣であり、伝説的な聖獣。
枝分かれした大きな角としなやかな体を持ち、人前にはほとんど現れない。
狩猟対象としても非常に難度が高く、見つけるだけでも幸運とされている。
八英雄ラメルダとの“七日間の死闘”は語り継がれる人気伝記となり、ソラリス帝国全土で愛読されている。




