第12話 祭りの香りに誘われて
いい匂いが、風に乗って鼻をくすぐる。
(お腹すいた……)
ファット―リアの町の門をくぐった瞬間から、炭火で焼かれた肉の香りや香草の匂いが辺りに漂っていた。
ここはラメルダ州の中心都市。今まさに、二大貴族――ラメルダ家とカルナス家――による“味覚の祭典”の真っ最中だった。
道いっぱいに並んだ屋台。
緑色の旗を掲げるラメルダ家と、黄色の旗を振るカルナス家が、それぞれの料理を売り込み合っている。
シド村ののどかな雰囲気とは真逆の、活気と喧騒。まっすぐ進むことすら難しい。
「いらっしゃい! これがラメルダ家の自慢の燻製肉や!」
「こっちはカルナス家の黄金のコーンスープや! 農業の力、見せたるわ!」
(しまった……来る時期を完全に間違えた)
とにかく、目的のソル・テポジト州教会へ急がなければ。
私はベールを深くかぶり直し、人混みを縫うように歩き始めた。
──耳に入るのは、通りすがりの人々の会話。
「聞いたか? メリダ司教、カルナス家に肩入れしてるってよ」
「ラメルダ家、セルヴァリス見つけたのに逃がしたらしいな」
「びゃああああ! うまいぃぃぃ!!」
「農耕の時代や、仕事も増えるし人も集まる」
「いやでも、家畜から病気が広まったって……教会はなにやってんだ?」
「おい、黙れ!誰が聞いてるかわかんねぇぞ」
──混ざり合う声に、ふとシド村のことを思い出す。
もう三ヶ月経つ。ラーヤ司祭、元気でやっているだろうか。
(……ノクタリカが“ツキミコウモリ”だったなら、ラメルダは“セルヴァリス”の姿で出る可能性が高い)
だったら、探す場所は“森”。
私は、ざわつく胸を落ち着けながら教会の門にたどり着いた。
巨大な木製の門はまるで石のような重厚さ。緻密な彫刻が彫られ、荘厳という言葉がぴったりだ。
中に入ると、石畳の上には白い小石がびっしりと敷き詰められていた。
まるで雲の上を歩いているような錯覚に陥る。
祭り目当ての観光客が礼拝所に長い列をつくっていた。
(たしかここは“立礼”だったわね。さっさと済ませて宿を探さなきゃ)
並んで待っていると、突然、茶色の髪をした小さな男の子が礼拝所から飛び出してきた。
その目には、涙がいっぱいに溜まっている。
(……なにがあったのかしら)
気になりつつも、私は列を進んでいく。
◇
礼拝所の前には、立派なアウラ像。そして、その傍らに、堂々とした男性が目に入った。
整えられた髭、茶髪、朗らかな笑顔――
(あれがラメルダ州の領主、ダリオ=デ=ラメルダか……)
彼は笑顔で参拝者たちに頭を下げていた。たぶん、選挙活動の一環だろう。
(……せっかくだし、セルヴァリスのことを聞いてみようかな)
礼拝所が近づいてきたとき、私は一歩前へ出て声をかけた。
「こんにちは。もしかして、領主のダリオ様では?」
「おっ、よう知っとるな、シスター。せや、ワシがダリオ=デ=ラメルダや」
「やっぱり!私はローデリカと申します。巡礼で参りました。どうぞよろしく」
「ローデリカはんか、よぉ来てくれたな!ええとこ見せられたらええんやけどなぁ」
ダリオは人懐こそうに笑いながら、髪を撫でる。
「さっき、男の子が走っていくのが見えましたが……何かあったのでしょうか?」
「あぁ……見られてもうたか。あれはワシの息子、ノールや。ちょっとすねとってな」
「息子さん、何かあったんですか?」
「今回の祭りで、俺らラメルダ家はセルヴァリスを狩ろうとしてな、あと一歩で逃げられてしもた」
「そうだったんですね」
「まぁ、狩りなんてそんなもんや。セルヴァリスも命がけやしな。せやけど、アイツにはそれが許されへんのや」
彼は苦笑しながら、腕を組んだ。
「許せない?」
「……フレイ・カルナスって知っとるか?カルナス家の若き天才や。農業派やのに、狩りもめっちゃうまい。
ノールはな、アイツに負けたくないんや。せやから、今回の祭りでセルヴァリスを仕留めて、見返したかったんやけどな……」
そう言って、彼はがっくりと肩を落とす。
「でも、ノールさんはまだ……5歳くらいですよね?」
「せや。けど、年齢やあらへん。男はな、自分の中で勝負しとるんや。それが男のプライドっちゅうやつや」
男のプライド……それは、よくわからない。
「ただ、ちょっと度が過ぎていると......」
「せやねん。さっきも“森でセルヴァリス見た!”って言うて聞かへんから、“こんな人混みでおるわけないやろ”って言うたら、泣いて飛び出してもうたわ」
「一人で探しに行った……なんてこと、ありませんよね?」
ダリオは頭を掻きながら答えた。
「まぁ……東の森ならありえる。ノール、よう遊びに行っとるし」
(東の森……ラメルダがいるとしたら、そっちかもしれない)
「……心配ですね」
「大丈夫や。東の森はワシらの庭や。心配してくれてありがとうな」
そう言って、ダリオはポケットから飴玉を一つ差し出してくれた。
包み紙には「ラメルダに清き一票を!」と書かれている。
口に入れると、蜂蜜の甘みがふんわりと広がった。
「ありがとうございます。美味しいです」
私は頭を下げてから、教会を後にした。
◇
太陽が高く昇り、大農都ファット―リアは眩しい光に包まれていた。
人々が行き交い、屋台の呼び声が響き、ラメルダ訛りが町中に飛び交っている。
(……東の森、行ってみるか)
セルヴァリスの気配。ノールという少年。巡礼という名の“夢の旅”。
(時間は、少ない。でも……不思議と焦ってはいない)
私は足元を確かめながら、ゆっくりと東の森へと向かっていった。
【Tips:大農都ファット―リア】
ラメルダ州の州都。温もりある木造建築が並ぶ、農業と林業の拠点。
周辺には広大な農地と牧場が広がり、ソラリス帝国全土へ食料や木材を供給する。
また、ラメルダ家(狩猟派)とカルナス家(農耕派)の対立が続いており、それを鎮めるために開かれる「グルメ祭り」では、司教が審査員を務める。
【Tips:ラメルダ州】
ソラリス帝国西部に広がる、森林と自然の州。
「ソラリスの肺」とも呼ばれ、豊かな自然と共に生きる文化を持つ。
紋章は鹿と角笛。木材や農作物の生産が盛んで、中央のアストラード州と交易関係にある。
【Tips:ラメルダ訛り】
ソラリス帝国内でも特に有名な方言の一つ。
ラメルダ州は広大で、北部・中央部・南部で言い回しも語調も異なるが、どこも共通してテンポが速くリズミカル。
“ラメルダの男はよう喋る”という言葉があるほど、話好きが多い。
ラメルダ州民は他州でも方言を直さないことが多く、それがまた一種の“誇り”となっている。




