第5話 発信機の影
<23:30 新宿のアパート>
新宿の雑多な街並みを抜け、一は疲れた足取りで自宅のアパートに戻る。
一は薄暗い階段を上り、2階の自室のドアに手をかける。だが、鍵が微かに開いていることに気づく。
ドアノブがわずかに動く感触に、一の目が鋭くなる。
「誰だ……?」
ポケットからスマホを取り出し、懐中電灯モードで廊下を照らす。
物音はないが、ドアの隙間から室内の薄暗い光が漏れる。
一は息を潜めてドアをゆっくり開く。
<不法侵入者>
室内はいつもの散らかった状態――机に積まれた書類、壁に貼られた事件のメモ、床に転がる空のコーヒー缶。
だが、部屋の中央に見知らぬ男が立っている。
スーツに身を包んだ長身の男は、落ち着いた態度で一のデスクの資料を手に眺める。赤髪に整った顔立ち、穏やかな微笑みが不気味に映る。
「誰だ、お前!」
一は声を低くする。
男は振り返り、旧友に挨拶するような軽さで手を挙げる。
「やあ、佐藤一。初めまして、かな? イドだ。気軽に呼んでくれ」
その声は落ち着き払い、どこか人を食った余裕がある。
一は眉をひそめ、スマホで警察に通報しようとするが、画面には「圏外」の文字。
「無駄だよ。電波、ちょっと拝借してる」
イドはポケットから小さなデバイスを出し、軽く振る。電波妨害装置だ。
「何の用だ? ここは俺の家だぞ」
イドは微笑を崩さず、資料をデスクに戻す。
「まあ、落ち着けよ。オレは敵じゃない。むしろ、君と取引がしたい。……赤男について、だ」
一の目が鋭くなる。「赤男」の言葉が、ポケットの仮面の破片と共鳴する。
「なぜ赤男を知ってる?」
イドはソファに腰を下ろし、足を組む。
「情報屋さ。元公安、ってとこかな。素性は置いといて。オレも赤男を探してる。君と同じだ」
<仮面の秘密>
一はイドを観察する。
モデル体型に整った顔、穏やかな口調だが、目には油断のない光。
「赤男を探してる? なら、俺の家に忍び込む理由は?」
イドは小さく笑う、
「君が持ってるその仮面の破片。……あれ、わざと落としたものだよ」
「わざと? どういう意味だ?」
イドは目を細める。
「その破片、発信機になってる。誰かが追跡したかったんだろうな。……ただ、誰が、なぜ、はオレにも分からない」
一は破片を取り出し、赤い表面を睨む。
ひび割れた仮面に微細な金属片が埋まっている。
「誰がこんなものを? 五虎か? それとも別の誰か?」
イドは肩をすくめる。
「さあね。五虎が拾ったって話は本当かもしれない。だが、発信機となると話は別だ。誰かが意図的に仕込んだ。君を監視する理由は? 赤男の正体に近づいてるからか? それとも、君が何か隠してる?」
イドの言葉は一の心を試すように鋭い。
一は唇を引き締め、考える。五虎が渡した破片――本当にただ拾っただけか?
「発信機の目的は?」
一の声は低く、イドを射抜く。
「君が動くしかない。オレの情報網でも、送受信先は追えてない。だが、君が白川を見つければ、答えに近づく。赤男も、な」
イドの口調は穏やかだが、挑戦的な響きがある。
一は破片を握り、五虎の楽天的な笑顔を思い出す。あの笑顔の裏に何かあるのか?
「発信機が生きてるなら、俺が動くたび追ってくる。五虎の関与は?」
イドは微笑を深める。
「可能性はゼロじゃない。だが、オレが思うに、五虎は運び屋かもしれない。誰かが彼を利用して、破片を君に渡したかった……考えすぎか?」
一の頭に、五虎の軽快な態度と藍の楽屋の話がよぎる。
<取引の提案>
イドが立ち上がり、スーツの襟を整える。
「本題だ。君と組みたい。赤男の正体を突き止めるために。オレの情報網と君の直感――悪くないだろ?」
一は眉をひそめる。
「なぜ俺を? 情報屋なら単独で動けるだろ」
イドは笑い、ポケットからメモを取り出す。
新宿の高層マンションの住所が書かれている。
「君みたいな性格は放っておけない。執念深いが仲間想い。赤男を追うなら、君は絶対オレの元に来る」
一はメモを手に取り、イドを睨む。
「取引だろ? 俺になにを求める?」
イドはドアに向かい、振り返る。
「簡単だ。白川拓実を見つけたら、オレに教えてくれ。オレは赤男の足取りを追ってる。白川が鍵になるかもしれない」
一は唇を引き締める。
「赤男の情報は? お前が知ってることを話せ」
イドは微笑み、首を振る。
「取引の後で。情報は等価交換だ。オレが知ってるのは、赤男がまだこの街にいること。……君が思ってる以上に、赤男は近くにいるかもしれない」
一の背筋が凍る。赤男が近くに? 五虎か、別の誰か?
「一つだけ教えてやる」
イドはドアノブに手をかける。
「その破片、君が動けば、誰かが反応する。……気をつけな、探偵さん」
彼はドアを開け、夜の闇に消える。
電波妨害が解除され、スマホの画面に信号が戻る。
一はメモを握り、資料を見つめる。
<五虎社長への電話>
一はデスクに腰掛け、スマホを取り出す。
イドの言葉が頭を離れない。発信機の存在、五虎社長の関与の可能性――全てが一を急かす。
一は五虎の番号を呼び出し、呼び出し音を待つ。
数コール後、五虎の軽快な声が響く。
「よお、一! こんな時間にどうした?」
一は声を低くする。
「五虎社長、例の仮面の破片について。あれ、どこに保管してました? 事務所か自宅なら危ないかもしれない」
五虎の声が一瞬途切れる。
「保管? ああ、破片か。あれ、事務所や自宅には置いてなかった。気味が悪くて、銀行の貸金庫に入れてたんだ」
一は安堵の息を吐く。
「貸金庫……それはよかった。念のため、しばらく気を付けてください。誰かに狙われる可能性があります」
五虎は笑うが、緊張が混じる。
「マジかよ、怖いこと言うな! でも、了解。で、進展は?」
一は黙り、イドのメモを握る。
「まだこれから。変なことがあったらすぐ連絡してください」
五虎は軽く笑い、
「オッケー、頼りにしてるぜ!」
電話が切れる。
一は破片を手に取る。発信機の信号が生きているなら、動くたびに誰かが反応する。
五虎はただの運び屋か、それとも何か隠しているのか?
赤男の影が、すぐ近くに潜んでいる気がした。