第15話 ミニクサニミイラレタ
<19:30 喫茶店かりゅうど>
レトロなジャズとコーヒーの香りが優しく包み込む。カウンターの奥で折遊夜がグラスを磨きながら、穏やかな笑みを浮かべていた。
いつもの隅のボックス席で、冷めたコーヒーを眺めていた。
ドアのベルが軽く鳴り、大波安定が入ってくる。金髪の短いポニテにパーカー、リキッドの甘い香りを漂わせながら。
「あ、一、こんな時間に珍しいね」
大波は自然に隣に腰を下ろし、リキッドをテーブルに置く。
「顔色悪いよ……また例の話?」
一は小さく頷いた。
「……7年前のことを思い出してた」
折遊夜がカウンターから顔を上げ、興味深そうに近づいてきた。
「7年前?前言ってた、2.5次元俳優の行方不明事件かい?」
彼はコーヒーを2つ運びながら、好奇心を隠さない目で一を見る。
一はカップを握りしめた。
「そう、あの公演の翌日、監督と脚本家が事務所で首吊り自殺したんだ」
大波の動きがピタリと止まる。
「……あれ、僕も五虎さんから聞いたけど……本当に衝撃だった」
折が目を丸くする。
「え、マジで?……そんなことがあったんだ」
一は目を伏せ、静かに続けた。
「遺書は一枚だけ。壁に震えた字で『ミニクサニミイラレタ』って書いてあった」
大波がリキッドを深く吸い、ゆっくり吐く。
「『醜さに魅入られた』?意味が分からないよ」
折が首を傾げる。
「それ、業界で〝呪いの言葉〟って噂になってるやつ?」
一は静かに頷く。
「俺と大波は当日現場にいなかった、五虎社長から電話で聞いた。監督はいつも冗談ばっか言ってて、脚本家は『次はもっとデカい舞台にする』って熱く語ってたような人たちだ、あんな死に方するわけない」
大波が静かに同意する。
「僕もそう思う。他殺だよ、絶対」
折がカウンターに戻りながら、ポツリと呟いた。
「……でもさ、首吊りって遺書にそんな変な言葉残すか?なんか……誰かに無理やり書かされたみたいじゃない?字が震えてるって話だったろ?」
一の背筋がゾクリと震えた。
脳裏に、ホルマリン水槽の赤い筋肉がフラッシュバックする。
一はふと思い出したように顔を上げた。
「あの日の休憩中、廊下ですれ違った清掃員がいたんだ、キャップを深くかぶってて、顔はよく見えなかったけど……」
大波がリキッドをテーブルに置き、眉を寄せる。
「最近、池袋周辺で似たような男を見なくなったって噂、あったよね」
一の目が鋭くなる。
「あのとき、ワゴンから妙な匂いがした。消毒液みたいな……でも、もっと甘ったるい匂い」
折が小さく息を呑む。
「それって……ホルマリンに近い匂いじゃないか?」
一は一瞬、言葉を失った。
「あの日、藍が消えた直後……俺、あのワゴンに触れたんだ。手が……少しベタついてた」
大波が顔を青ざめさせる。
「まさか……そのワゴンに、藍が……?」
一は首を振った。
「違う。でも、運び出すための何か……薬品か、麻酔か……」
一は一瞬、言葉を詰まらせた。
「あの清掃員、横顔をチラッと見た気がするんだ。キャップの奥から覗いた頬のラインと、顎の感じが……」
「最近どこかで見たことがある気がする。あの背の高さと、歩き方……」
折が遠くから聞いて、首を傾げる。
「ストーカーみたいな奴か?気持ち悪いな……」
折が苦笑しながらカップを片付ける。
「探偵の仕事もまた忙しくなるなぁ」
大波はリキッドを手に立ち上がり、軽く手を振る。
「僕、そろそろ行くね。また連絡するよ」
ドアのベルが鳴り、大波が出て行く。
その直後、再びベルが鳴った。
入ってきたのは日奈戸結だった。
「あれ、一君!ここにいたんだ!」
一は苦笑いしながら、
「……タイミング良すぎるな」
折が新しいカップを置き、ニヤリと笑う。




