第10話 バルトロマイ
<10:00 監察医務院センター 東京本部>
東京の朝、曇天の薄暗い光が監察医務院センターの事務室に差し込む。蛍光灯の冷たい光が、書類の山とパソコン画面を無機質に照らし出す。
机にはコーヒーのマグカップが置かれ、冷めた表面に曇天が映る。
関崎雲華、監察医務官。背筋を伸ばし、鋭い目つきでキーボードを叩く。だが、その目は書類の向こう、まるで過去の影を追いかけるように遠くを見ている。
彼女の指が一瞬止まり、コーヒーカップを握る手にわずかな力がこもる。
事務室のドアが軽い音を立てて開き、本部長の虎屋宏樹が現れる。片手にタブレットを持ち、軽快な足取りで入ってくる。
「よう、関崎。朝から真面目だな。昨日の遺体、まだ頭にこびりついてるか?」
虎屋の声は軽やかだが、どこか探るような響きがある。
関崎はキーボードから手を離し、眉をわずかにひそめる。
「仕事してるだけです、本部長」
彼女の声は落ち着いているが、コーヒーカップを握る指先に緊張が滲む。
虎屋はニヤリと笑い、彼女の隣の椅子に腰を下ろす。タブレットを手にスクロールしながら、ふと思い出したように言う。
「そういや、お前が新人だった頃、初めて検視したのがあの11人の俳優だろ? 皮膚のない遺体、ホルマリン漬けのやつ。あれは忘れられねえよな」
関崎の指がキーボードの上で一瞬凍りつく。
5年前、監察医務院に配属されたばかりの彼女が直面した悪夢。あの事件は、今も彼女の心に冷たい爪痕を残している。
<5年前の悪夢>
廃墟ビルの地下、薄暗いコンクリートの部屋。中央に置かれた巨大な水槽の中で、11人の若手俳優の遺体がホルマリンに浸かっていた。
皮膚が精密に剥がされ、赤い筋肉と血管が透けて見える姿は、まるで解剖学の標本のように異様な美しさを放っていた。整然と並ぶ遺体は、狂気と静けさが共存する不気味な芸術品だった。
新人だった関崎は検視台の前で震え、冷や汗が背中を伝った。メスを握る手が震え、胃の中のものがこみ上げるのを必死で抑えた。
「あの時は真っ青だったな」
虎屋の笑い声に、関崎は唇を噛む。
「その話、いい加減やめてください。……今はちゃんとやってます」
声には微かな苛立ちが混じるが、トラウマの傷は隠せない。彼女の視界に、水槽の冷たい光が一瞬よぎる。
虎屋は肩をすくめ、タブレットをテーブルに置く。
「まあ、あの事件、普通じゃねえ。11人全員、若手俳優。皮膚を剥がしてホルマリンで保存だぜ。イカれた野郎だ」
<聖バルトロマイの話>
虎屋は椅子に背を預け、ふと遠くを見るように目を細める。
「そういや、昨日の遺体見てたら、昔のことを思い出した。学生時代、イタリアでシスティーナ礼拝堂の『最後の審判』見たんだ。ミケランジェロの。あの絵、すげえ迫力だったよ。知ってるか? 聖バルトロマイって奴」
関崎は首を振る。
「名前くらいは……」
虎屋は身振り手振りで語り出す。
「生きたまま皮を剥がれて殉教したって伝説の聖人だ。絵の中じゃ、自分の剥がされた皮を手に持ってる。ゾッとするよな。赤男のやり口、なんかあれを彷彿とさせるんだ」
関崎はコーヒーを一口飲み、動揺を隠す。カップを置く手がわずかに震える。
「本部長、なんで急にそんな話?」
虎屋は笑みを浮かべ、タブレットを手に取る。
「いや、赤男の犯行、なんか芸術じみてるだろ? 普通の殺人なら、恨みでグチャグチャに壊す。なのに、こいつは皮膚を丁寧に剥いで、防腐処理までしてる。まるで自分の作品を永遠に残したいみたいだ」
関崎は目を細める。
「サイコパス……ですか。確かに、普通の動機じゃ説明がつかない」
彼女は5年前の検視調書を思い出す。遺体の皮膚は外科医の精密さで剥がされ、腐敗の兆候すらなかった。あの異様な美しさは、人間の常識を超えていた。
<報道の違和感>
虎屋はタブレットをスクロールし、ふと眉をひそめる。
「けどよ、関崎、今回の事件、妙じゃねえか? こんな大胆な犯行なのに、テレビも新聞も静かすぎる。5年前はマスコミが騒ぎまくってたのに、今はネットの噂くらいしかねえ」
関崎は一瞬息を呑む。
5年前、若手俳優連続失踪事件はニュースを席巻したが、警視庁の捜査打ち切りと共に報道は急速に沈静化した。今、同じような空気が漂っている。
彼女は朝、事務室のテレビで流れないニュースを思い出す。
「確かに変ですけど……私たちにできること、ありますか?」
虎屋は彼女をじっと見て、声を低くする。
「こんな事件、関わるとろくなことにならねえ。経験上、な」
彼の目に、軽快さの裏に隠れた重みが宿る。関崎は唇を引き締める。5年前の11人の遺体、彼らの剥がされた皮膚が、まるで叫び声のように脳裏に響く。
「でも、誰かが真相を追わないと、被害者は増えるだけじゃないですか?」
虎屋は一瞬目を細め、苦笑する。
「お前、ほんと真面目だな。まあ、いいけどよ。やるなら、足元すくわれないようにな。赤男の影は、俺たちの想像以上に深いぜ」
彼はタブレットを手に立ち上がり、事務室を出ていく。
<関崎の葛藤>
関崎は一人、事務室に残る。パソコンの画面には、昨日の遺体――良笑社の「SCチーム 峰岸」の検視調書が映る。
中高年の男性、皮膚を剥がされ、剥製のように無機質な姿。あの11人と手法は同じだが、ターゲットが異なる。なぜ中高年? 赤男の動機は何だ?
彼女は椅子に深く座り直し、5年前の調書ファイルを手に取る。11人の若手俳優の顔写真が並ぶ。
(赤男……お前はなぜこんなことを?)
彼女は調書を閉じ、冷めたコーヒーを飲み干す。
窓の外、曇天の東京が広がる。事務室の静けさの中、赤男の影が業界の闇に潜み、静かに次の標的を狙っている気がした。
<検視官>
名前:関崎 曇華
性別:女性
年齢:32歳
身長:170cm
風貌:長い銀髪を後ろでシンプルに束ね、凛とした雰囲気を漂わせる。白衣の下には動きやすいシャツとパンツを着用し、監察医務官としての実務的なスタイルを好む。
職業:監察医務官(東京監察医務院センター)
性格:冷静沈着で、強い正義感と責任感を持つ。細部にこだわる観察力と分析力に優れ、検視では一切の妥協を許さない。感情をあまり表に出さないが、5年前のトラウマから、内心では恐怖と使命感の間で葛藤する。
名前:虎屋 宏樹
性別:男性
年齢:40歳
身長:191cm
風貌:長身で筋肉質、鋭い目元と無精ひげが特徴的なワイルドな外見。白衣の下にカジュアルなシャツとパンツを着こなす。黒髪メッシュでやや乱れたショートカット。
職業:監察医務院センター東京本部 本部長
性格:表面上は気さくで軽い口調だが、鋭い観察眼と豊富な経験に裏打ちされた冷静な分析力を持つ。物事の裏側を見抜く戦略家であり、事件の闇に踏み込む際は慎重かつ大胆。




