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前日譚① 2.5次元ミュージカル『華ノ戦』

「忘れられないんだ、顔が醜くなった瞬間の喜びの感情が。」

 前日の夜、青年は薄暗い工房に拉致されていた。


 錆と革の匂いが漂う部屋は冷たく、遠くで(したた)る水音が不気味に響く。

 壁にこびりついた油汚れが、湿った空気の重さに混じる。


 彼は2.5次元俳優として舞台で輝いていたが、今は誰もそのことを知らない。


 大の字に拘束され、鉄の作業台に固定された体は動かない。

 冷たい金属が背中に突き刺さるように食い込み、手枷と足枷が手首と足首に深く食い込む。


 唇は固く塞がれ、必死に手枷を外そうともがくが、鉄が軋む音と喉から絞り出されるくぐもったうめき声だけが響く。


「んんっ……!」


 焼けるような痛みに耐え、手首をひねり枷をこじるが、鉄が皮膚を削るように軋む。


 赤男は作業台の脇で、レザークラフトナイフを研いでいた。

 ひび割れた赤い仮面の下に表情はなく、機械的な手つきで刃を砥石に(こす)る。


 鋭い音が、遠くで流れる舞台のオーケストラの旋律に不協和音を重ねる。


 月明かりに鈍く光る刃先が、青年の視線を絡め取る。


 赤男が無言で近づき、冷たい刃が青年の左エラに触れる。

 仮面の奥で、青年をじっと見つめる目は、何の感情も宿さない。


 恐怖が胸を締め付け、必死に枷を揺らすが、鉄の軋み音だけが虚しく響く。


 赤男はナイフをゆっくり滑らせ、皮膚に浅い切り込みを入れる。


 血が作業台に広がり、青年の視界が揺れる。

 血が(したた)り、体が反射的に跳ね、固く塞がれた唇が、叫びを押し殺す。


 赤男が仮面越しに呟く不明瞭な言葉は、まるで儀式のような抑揚を帯び、闇に溶けていく。


 血が流れ、冷たい作業台の感触が遠のく中、青年の心に一瞬、押し殺された無力感が広がる。


 闇が迫り、遠くでナイフの音だけが響く。


 工房の床に散乱する錆びた工具と、ポケットで冷たく重い携帯の間に、かすかな血の匂いが漂っていた。

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