第二章:自己犠牲
アステリアスは村での生活を始めた。リゼリスの言葉通り、村の人々は温かく、彼を家族の一員のように迎え入れてくれた。村人たちの小さな手伝いをするうちに、少しずつアステリアスの心も和らいでいった。特に、リゼリスと過ごす時間は、彼にとって心地よい安らぎをもたらしていた。
彼女はいつも笑顔を絶やさず、村人たちに親身に接していた。病気の子供には薬草を煎じて届け、畑仕事に困っている老人には手を差し伸べた。リゼリスが村で「光」と呼ばれている理由が、アステリアスにもわかるようになってきた。
「彼女はこんなにも他者のために尽くしている…それに比べて、俺は何をしてきたんだろう」
そんな思いが彼の胸に芽生え始めた。リゼリスと過ごすうちに、彼もまた彼女のように「誰かのために生きる」ことに意味を見出すようになっていた。
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ある日、村に一人の老人が訪れ、アステリアスに助けを求めてきた。その老人は長い間病に苦しんでおり、体が弱り切っていたが、どうしても都会まで旅をしなければならない事情があるという。しかし、一人では歩くことさえままならない。
「私のような年寄りを支えてくれる者はいないだろうか。旅の途中で倒れてしまうかもしれないが…」
アステリアスは老人の言葉を聞き、すぐに答えを出した。
「俺が一緒に行きます。あんたを支えて、無事に目的地まで連れて行く」
その日からアステリアスは老人の世話をしながら、村を出てしばらくの旅を共にした。雨の日も風の日も、老人が無事に歩けるよう支え、休みながら慎重に進んだ。日が沈むころには焚き火を起こし、彼のために温かい食事を用意する日々が続いた。
その道中、老人はアステリアスに語りかけた。
「こんな風に、誰かのために生きている気持ちはどうだ?」
「…悪くないです。他人のために何かできると、自分が生きている価値を感じられる」
「それは確かにそうだが、気をつけなさい。人は時として、自分を失うほど他人に尽くしてしまうこともある」
老人の言葉はどこか含みがあり、アステリアスの胸に残った。彼は今、誰かのために尽くすことで心が救われるように感じていたが、老人の忠告は不思議な不安を彼に抱かせた。
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村に戻った後も、アステリアスは他人のために働くことに喜びを見出していた。しかし、リゼリスは彼の変化を密かに気にかけていた。彼女には、アステリアスが自分自身を犠牲にし始めているように見えたのだ。
ある晩、リゼリスは彼を呼び出し、二人で丘の上に立った。星空が広がる夜だった。
「アステリアス、あなたに聞きたいことがあるの」
彼はリゼリスの真剣な表情に気づき、少し驚いた。
「なんだい?」
「あなたは、誰かのために生きることを喜びとしている。でも…自分自身のために生きることは、考えたことがある?」
彼女の言葉にアステリアスは戸惑った。自分のために生きる…それは彼にとって遠い概念だった。かつて愛する者を失い、自分の存在意義を見失っていた彼にとって、他人のために尽くすことが生きる意味そのものになっていた。
「俺には…自分のために生きる意味なんて、わからないんだ。他の誰かが喜んでくれるなら、それで俺は十分なんだ」
リゼリスは静かに首を振った。
「あなたが大切にしたい人がいるなら、その人はきっと、あなたにも幸せであってほしいと願っているはずよ。自分を犠牲にしてまで誰かのために生きることが、本当にあなたの望みなのかしら?」
彼女の言葉は優しくも鋭く、アステリアスの心の奥に突き刺さった。しかし、彼はそれ以上何も答えることができなかった。
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その夜、アステリアスは一晩中眠れなかった。リゼリスの言葉が彼の中で渦巻き、次第に不安と焦燥が胸を支配していった。「自分のために生きる」ことの意味がわからない自分。誰かのために生きることが、彼にとっての唯一の生きがいであり、それを否定されると、自分の存在意義さえ揺らいでしまうような気がした。
それでも、心のどこかで彼はリゼリスの言葉を理解していた。彼女が言っていることが正しいのかもしれない、と。
「俺は…本当は、何を望んでいるんだ?」
アステリアスは自分自身に問いかけ、答えの見えない暗闇の中で孤独と向き合った。彼の中で、誰かのために生きることと、自分のために生きることの葛藤が始まったのだ。