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正暦2025年 8月18日
日本皇国 台湾州 台北市
台北市中心部――松山区にある繁華街では朝から騒然としていた。
ある雑居ビルの周辺に多数のパトカーや消防車両が集結し、警察官や消防士などが慌ただしく動き回っている。その、雑居ビルは一部の窓が破壊されておりそこから白煙がたちのぼっている。規制線がはられているビルの真下の路上には飛び散った窓ガラスの破片や爆風によって飛ばされた書類などが大量に散らばっていた。
「なにかあったのかい?」
近くを歩いておりこの騒ぎに気づいた中年男性が、野次馬に声をかける。
「なんでも、社会党の建物で爆発があったらしいぞ」
「この前も独立党に警察が踏み込んでいたけれど。物騒だねぇ」
「独立党は大陸の工作機関だったからなぁ」
「もしかしたら社会党はそれで狙われたのかね?」
「さあ?連中の主張も色々とおかしいからなぁ」
台湾では3月に台湾独立を主張していた独立党が海外の工作機関と繋がっていることが判明し警察による摘発を受けていた。元々、独立党の支持は広がっていなかったのと胡散臭いと感じていたので住民たちは「やっぱりか」と思っていた。
今回、爆発があったのは国政政党である社会党の台湾支部だ。
社会党は民主社会主義政党――国会で議席を持つ政党の中で最も左派的な政党であり、台湾独立運動にも支持を表明していた。これだけでは、この爆発は独立に反対している勢力のものに思われるだろうが、独立反対勢力は台湾の大半なので、それだけで絞り込むことは難しいだろう。
一番考えられるのは右翼組織の線だ。
共産党の国政進出が認められていないだけに社会党が最も急進左派的な政治思想を持っているのでそれに反発する右翼団体は多い。かつて国会議員が右翼活動家によって襲撃されたケースもあるほどだ。
「どうみます?」
「これだけじゃわからん。被害者は?」
「幸い死者はいませんが、重傷者10人ってところです」
現場となったビルに立ち入った二人の刑事。
政党支部が爆発したので台湾州警察は「テロ」と最初から判断して捜査を行うことにしていた。
「死者が出なかったのは幸いだが…社会党支部ということを考えると右翼か?」
「普通に考えればそうですが、彼らは敵が多いですから」
「絞り込むのは難しいか…まあ、どうせ公安の連中がなにか見つけるだろう」
「それでいいんですかね…」
「俺等が出来るのは地道な聞き込みだよ」
どこの地方警察もそうだが、秘密主義の公安は現場から嫌われている。
現場から見れば公安は自分たちの領域を荒らす存在にしか見えない。しかも秘密主義でこちらが知りたい情報すら一切おろさない。そして、なにより公安捜査官は胡散臭い。幹部クラスになるほど公安のありがたみはわかるが現場クラスからすればおりてくる情報は最小限。薄気味悪い雰囲気を醸し出す公安を好きになれないのも仕方がないだろう。
もっとも、彼ら公安警察がいるから日本の治安が守られている。
日本の公安警察の情報収集能力は世界でも屈指のものだ。そのおかげで事前に危険な勢力は姿を消していた。しかし、地下深くに潜り込んだ闇の組織すべてを摘発するには人手が足りないのだ。
「ふむ…威力が足りなかったか」
「だが、デモンストレーションにはちょうどいい」
社会党ビルから少し離れた路地で会話している二人の男。
どちらも鍛え抜かれた体つきをした大男であり、その眼光は鋭い。見る者が見ればとても一般人とは思えないだろう。実際、彼らは陸軍の軍人であった。思想面の問題もあり不名誉除隊となったが、その後は民間軍事会社に就職し傭兵として中東などの戦場で戦った経験もあった。
「社会党を潰せば世論も我々の味方をしてくれるだろう」
「社会主義などという遅れた政治思想は国民から嫌われているからな…だが、今の世論はアメリカにべったりだ。本当に変えられると思うか?」
「我々が変えるのだ」
「…そうだな」
それが暴力による変革であってもこの国が変わるのならば彼らの所属している組織は構わない。ともかく「強い日本」を取り戻すための第一歩だと彼らは信じていた。
「皇国の解放者」そう名乗る元軍人などで構成された国粋主義者たちが日本でテロ行為を始めたのがこの頃からだ。台湾の政党支部爆破事件を手始めに各地方都市で同様の爆破事件が一週間の間に何件も発生する。狙われたのは社会党・進歩党・緑の党・自由党といった中道および左派政党や、その関連団体。
幸い死者は出ていないが、各政党は警察に「早く犯人を捕まえろ」と圧力をかけた。公安警察は「皇国の解放者」の存在に感づくが、そのことを各県警や州警察には流さない。彼らも確証を得ることが出来ないからだ。
正式に犯人が「皇国の解放者」だと公表されるのは台湾の事件から1ヶ月後のことであった。




