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アーク歴4020年 8月11日
ガゼレア共和国 ディスピア
国防省
アトラス連邦とガリア帝国の停戦は8月3日に成立した。
一方で、アトラス連邦とガゼレア共和国の停戦は未だに成立していない。アトラス政府は何度にもわたってガゼレア政府に対して停戦交渉の申し入れを行っているがガゼレア政府は返答をしないかあるいは「蛮族にへりくだるつもりはない!」などという回答が届くだけであった。
この時点でアトラスはガゼレアで軍主導のクーデターがおきて、現在は強硬派の軍部が政権を握っているのを知っていた。知っていても、ガゼレアへの本格的な上陸作戦を行うつもりはアトラス政府には一切なかった。というのも、仮に上陸して占領したとしてもガゼレアは亜人を徹底的に嫌う国民性である。そんな国を占領したところで占領統治がうまくいくはずがない。
テロやらで貴重な戦力を失うくらいなら放置するのが一番――というのがアトラス政府の考えであった。もっとも、なにもしないというのはアトラスの国民感情的にありえないので、現在アトラスは潜水艦と機動艦隊を用いた海上封鎖作戦を実施していた。
まあ、ガゼレアの貨物船などは二度目の侵攻時にアトラス軍に徹底的に破壊されたので現在、ガゼレア国内に残っている船舶は小型の漁船くらいしかない。そして、ガゼレアはガリア以外と貿易はしておらず、軍事政権はガリアに泣きついているがそのガリアだって自国を食わせていくだけで精一杯なのでガゼレア向けの貿易を拡大する余裕はないのであった。
ということで、ガゼレアは現在深刻な食糧不足とエネルギー不足に直面していた。
「ガリアから輸入量を拡大できんのか?」
「ガリアからはこれ以上増やすのは無理だということです」
「くそ!これもすべてあの蛮族のせいだ!」
うまく行かなければすべて亜人が悪い――そんなことを言っているのが今のガゼレア政府である。まあ、政治経験のない軍人たちが政治の主導権を握っているのだから統治がうまくいくわけがないだろう。
官僚達はクーデター後も引き続き職務にはあたっているが、軍人たちが自分たちの上にたつことに関しては強く反発しており「国を維持する必要最低限の仕事」以外のことは一切やろうとしていなかった。
まあ、仮に彼らが頑張ったところで今のガゼレアに未来はない。
軍人たちが勝手に貨物船やらも徴用したせいで、今のガゼレアには外部と交易するための船がないのだ。しかも、ガゼレアの造船技術では大量に物資を輸送出来る大型貨物船を建造することもできない。ガリアに頼もうにもそもそも金がない。
(それもこれもこいつらがアトラスに攻め込むからだ)
眼の前で荒れているトラードに冷めた視線を向けながら外務次官は内心でボヤく。すべてがおかしくなったのは、アトラスへの軍事侵攻からだ。亜人相手に積極的に関わろうとしなければここまで国が末期的な状況にならなかったのだ。
だからこそ外務次官などの官僚たちは軍部などの勝手な行動に憤っていた。
間違いなくガゼレアという国を破滅間近へ追い込んだ行為だからだ。彼らはガリアに泣きつけばどうにかなると思っていたようだが、5大国の一角であるガリアは確かに人間主義を掲げているし、亜人国家と外交関係は結んでいないがそれでも亜人国家と積極的に事を構えることはここ100年ほどしてこなかったのだ。今回のアトラスへの侵攻だってとりあえず空母は出したがそれ以外の支援は一切しない、とガリア大使館から通達されていた。
ガリアからすればガゼレアにいつまでも協力するメリットはない。
ガゼレアは特に有用な輸出品があるわけではない。むしろ、ガリアから大量に様々なものを輸入することで成り立っているような国だった。
(それにしても、前大統領閣下は無事なのだろうか)
クーデター後、一切その消息が明らかになっていない前大統領。
軍事政権側もその行方を必死に探しているようだが未だに見つかっていない。クーデターによって軍部によって暗殺サれたのでは?という疑念を持つ官僚も多いが表立って言えば秘密警察に捕まるので誰も何もいわない。
軍事政権になってからは秘密警察の取り締まりも強化されている。
まだ、国民は表立った不満は訴えていないが物価の上昇や、経済の大幅な悪化はガゼレア全体を苦しめている。これに対してトラードは「増税すればいい」と国民の負担を増やせばいいとのたまう。
政治の素人だからこそ言えることだろう。国民の不満が限界まで高まれば政権なんてものはすぐにでも崩壊するというのに。トラードはその軍事力を過大評価しているのだ。
(まあ、こいつが国民にリンチされようがどうでもいいが)
外務次官はなおも喚いているトラードを無視して執務室を後にした。
ガリア帝国 スーフェス島
前ガゼレア大統領ガンバーニはガリア帝国領のスーフェス島に逃亡していた。スーフェス島はガリア本土から北東に3000kmほど離れた孤島であり、人口は3000人ほどという小さな島だ。
ガンバーニは数人の共をつれてクーデター直前のガゼレアを脱出。
紆余曲折を経てガリア帝国領の孤島であるスーフェス島へ逃げ延びた。ちなみに彼が逃亡したのはガリア帝室などごく一部の上層部のみ知っていた。彼がこのスーフェス島に来たのもここならば余計な情報が外に漏れないからだ。孤島といっても、ガリア本土からは定期的に貨物船はやってくるし土地は肥沃だし、水産資源も豊富なので実は住む上では特に問題になることはなかった。気候も穏やかなのでガンバーニはここで日々の公務の疲れを二ヶ月ほど癒やしていた。
「そうか…やはりトラードは上手く統治出来ていないようだね」
「今はまだそれほど国民の不満は出ていませんが――時間の問題かと」
ガンバーニにガゼレア本国の状況を説明するのはガリア情報部の諜報員である。ガリアは定期的にガンバーニの下でガゼレアやアトラスに関しての報告を行っている。そのおかげでガンバーニはガリアにいながら状況を把握出来ているわけだ。
「ガリアはガゼレアを今後どうするつもりなんだい」
「そうですね…帝国政府としては大人しくしていただければそれで構いません。恐らく今後数十年は外に軍を向ける余裕はないと思いますが」
「アトラスによってほとんど壊滅してしまったからね…君たちはアトラスがあそこまでやると考えていたかい?」
「いえ。そもそもアトラスに関しての情報がほとんどありませんので。ただ、敵に回せば面倒――だというのは話には聞いていましたが」
「実際その通りになったわけだ…まあ、君たちはまだいいじゃないか。国家存亡の危機というわけではないのだし」
「いえいえ。我が国も一枚岩ではありませんから」
「ああ、例の保守派か。皇帝陛下たちも中々苦労しているようだねぇ…」
国家元首という重荷を捨てたガンバーニは他人事のように笑う。
「我が国みたいなことにならなければいいのだがね」
「…そうなればアトラスと全面戦争でしょうね」
「それはさぞかし激しい戦争になるだろうねぇ。アトラスは強力な海軍を持つ。一方でそちらは強力な陸軍を持つ…我が国に上陸してこないところを見るにアトラスは積極的に地上戦をするつもりはないだろう」
「ですが、アトラスは異世界の国々と繋がっているようですよ。彼らの助力があると少々厄介ですね」
「異世界の国か…そちらに関する情報は?」
「生憎と一切情報がありません」
諜報員は申し訳無さそうな表情で首を横にふる。
地球やそれ以外の世界に関する情報をガリアは一切持っていなかった。近くに異世界の国がなかったこともそうだが、昔からガリアは海外の情報収集力が他の5大国に比べて大幅に劣っているのも理由だろう。
まあ、これはガリアが他の5大国のように各地に進出するということがなかったのも一因だろう。人間主義という半ば鎖国をしているような状況では自国の周辺部だけの情報を集めればよくそれより先の情報を集めるのは非効率であると当時の上層部は考えていた。
それに、仮に情報収集能力があったところで異世界の国に関する情報はそんなすぐに集められるものでもない。異世界の国など敵ではない――と、主に保守派などは言っているが、政府中枢はもちろんそんな甘いことは考えていなかった。
ガンバーニも同じだ。
仮に異世界の国がアトラスと協力すればガゼレアなどすぐに堕ちるだろう。それはそれで構わないと思っている程度にはガンバーニはすでにガゼレアという国を見限っていた。
アーク歴4020年 8月13日
アトラス連邦共和国 ヴェルス
アトラス外務省
「――いい加減ガゼレアを滅ぼしたくなってきません?」
「物騒なことを言うな…」
据わった目でガゼレアを滅ぼそうと呟いたのは外務省でガゼレアとの交渉を担当している外交官である。すでに直接、ガゼレアの外交官ともやりあっているのだが、ガゼレアは予想以上に亜人に対しての差別意識が強くしかも全く話が通じない相手だというのがこの短い期間で明らかになっている。
同じ人間主義でも表面上は友好的に振る舞っているガリアとは大違いだ。
「だってあいつら人の言葉がわからないんですよ?言葉が通じない人の皮を被った魔獣なんですから、さっさと処分すべきでは?」
「それを決めるのは我々ではないのは理解しているだろう?」
「それはそうですけど…」
上司の正論に理解はしつつも納得がいかないとボヤく外交官。
それを見た上司は「まだまだ甘いな」と部下を評する。どちらもエルフなので外観年齢はそれほど違いはないが、二人の経験差はそれこそ40年・50年といった単位だ。上司である外交官もまた、様々な外交交渉を担当してきた。中には相手の外交官と性格的にあわないなんてこともよくあった。特にフィデスとの外交交渉は常に揉めており、本気で殺意がわいたこともあったほどだ。それらに比べればガゼレアはまだ御しやすい相手――と上司は思っていた。なにせ、引き時を考えずに突っ込むのだ。それならば、同じ人間主義陣営ながらあっさりとひいたガリアのほうが警戒度は上だろう。
さすがは5大国といえるほどの引き際であった。
「それにな、ガゼレアの未来は真っ暗だ。なにをしたとしても国として一度崩壊するだろう。わざわざ、我々が手を下す必要はない」
「…たしかにそうですね。申し訳ありません、つい感情が」
「まあ、仕方がない。私だってフィデスとやり合ったときは似たことを考えたものだ。それに比べれば今回のガゼレアは――子どもの癇癪のようなものだよ」
「フィデスですか…今はだいぶ苦しい状況になっているという噂ですが」
「アメリカが本格的にフィデスを潰すことにしたようだ。最終的にフィロア大陸まで侵攻するだろうな」
「あのフィデスがそう簡単に占領されるとは思えませんが」
「同感だ。それに仮に占領出来ても不安な部分も多い」
「というと?」
「アメリカの戦後統治能力だ。日本の外交官から聞いた話だが、アメリカは変に民主主義・自由主義を押し付けた統治をするらしい。現地の情勢などを考慮せずにな。おかげで、アメリカが関与した殆どの地域で数年後には大規模な内戦が発生し、周辺諸国を疲弊させるらしい」
「うわぁ…」
思わず顔をひきつらせる外交官。
そんな戦後統治下手くそな国がフィデスに攻め込むなんてフィロア大陸で問題が起きるに決まっているではないか、と外交官は思った。ただ、同時に「まあ、苦労するのはそのアメリカか」とアトラスにまで影響は出ないだろうと思い少し冷静になった。
アトラスとガゼレアであるがその後も何度か外交交渉は行われたが両者が停戦合意したのは二年の時間を要することになった。その間、ガゼレアは何度か政変がおき最終的にガンバーニ前大統領がガリアの後ろ盾を得る形で帰還し、総選挙を行い勝利。そのガンバーニ大統領の下で国の立て直しが行われその中の一つとしてアトラスとガゼレアは停戦した。しかし、両国の間に国交が締結されることはなかった。どちらの政府も「それぞれに関与しない」ことを暗黙の了解とすることでひとまず両国関係は安定していくことになる。




