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正暦2025年 7月25日
日本皇国 東京市千代田区
保守党本部
この日は、日本で参議院選挙の投開票日となっていた。
参議院420議席の内、改選議席210議席を巡る選挙戦は2週間近くにわたって続けられた。普段においても大型国政選挙は大きく報道されるものだが、今回は「日本が異世界に転移して初めて行われる大規模選挙」ということもあり、メディアの注目度もより大きいものだった。
メディアの注目は、下岡政権がどれほど国民の信任を得られるのかが、最も注目していることであり、それ以外に厳しい戦いとなっている野党がどれほど盛り返すのかも注目されていた。
政権基盤を整えるために衆議院の解散も行われるのではないか、とマスコミ関係者から思われていた夏の国政選挙であるが、下岡総理は衆議院の解散までは行わなかった。下岡にとっては任期満了前に選挙をする意味がないと判断したからだ。ただ、与党内からも衆参同時選挙を求める声は比較的多かったのも事実である。
ちなみに、衆議院の任期は来年の秋である。
大規模国政選挙が起きると、各放送局や新聞社はまるで戦争のような忙しさにおわれることになる。各地から集まる出口調査や、各開票所からもたらされる開票情報などをまとめるためだ。投票が締め切られるのは午後8時だが、その時点で出口調査などを踏まえてマスコミ各社は「どの候補が当選を確実にしたか」という速報を伝えるわけだが、各地から送られてきた出口調査の結果がどこもかしこも圧倒的にい与党が野党を引き離していた。
そして、8時に始まった開票速報では出口調査などを勘案して、与党が改選過半数を超えるのは確実だという報道が第一報でなされた。
「これで、来年まで安泰だな」
「何が起きるかまだわかりませんけどね」
「慎重だな…まあ、変に楽観視するよりはマシか」
保守党本部に置かれた選挙本部に顔を出している総裁の下岡と幹事長の大澤は小声で言い合う。このあとは、記者会見など色々と面倒なことが待っているが、それも数時間すれば終わる。大勢が判明するのは深夜であるが、接戦区を多少落としたとしても与党全体として非改選含めて参議院の7割近い議席を確保するのは確実だろう。
「あとは、後々余計なスキャンダルが出ないことを祈るだけですよ」
「…身辺調査はやっているが絶対ではないからな。マスコミにすっぱ抜かれれば野党が活気づくか」
「それで、活気づかれるのも国としてはいいことではないんですがね」
「まあな。せめて、政策で対抗しろ――と、いいたいところだが現時点でそれが出来るのは身内だけというのも寒い限りだな…」
揃って渋い顔になる下岡と大澤であった。
東京市 中央区
自由党本部
「やりましたね!議席が倍増ですよ!」
「我々が支持されたわけではない。進歩党が失敗したからそれが流れてきただけだ。これを我々の固定票にしなければ進歩党の二の舞いだな」
「そ、そうですね…」
今回の選挙によって中道野党の自由党は参議院での最大野党となった。
進歩党が改選前の議席を大きく割り込むことになったことが確定し、一方で自由党は改選前より議席を倍増させたからだ。しかし、全体を見てみれば野党の議席が増えたわけではないし、むしろ改選前より参議院での野党の議席は減っている。
つまり、野党は有権者から支持されなかったので実質的な敗北といっていいだろう。議席を倍増させたことに素直に歓喜した若手議員を窘めたのは自由党発足時からのメンバーでその前は進歩党に属していたベテラン議員だ。
(与党との差は広がるばかりだな…)
今回の選挙で与党は更に議席を上積みし、参議院全体の7割の議席を占めることになった。これでは、与党の提案した議案の大半が国会を通ることになってしまう。それは、健全な国会を運営することができないことを意味するだけに自党の議席が増えたとしてもあまり喜ばしいことではない。
「野党全体としては敗北だな」
「進歩党はどうするんですかね…」
「――どうやら、代表は退任するようだな」
テレビで速報として進歩党の鬼塚代表が退任することを表明したと報道されている。鬼塚は一年前に代表に就任したばかりだが、彼もまた進歩党をまとめあげることはできなかったようだ。
(ますます、進歩党の存在感はなくなるな)
鬼塚はなんとか党を立て直そうと尽力していたが、その足を散々引っ張られて中々党を改革することはできなかった。まあ、二年前から進歩党は「泥舟」だと言われていて、誰も代表なんてやりたがらなかったので半ば押し付けられる形で代表になったのだ。選挙で議席を減らしたことで内部から文句を言われる前にさっさと身を引くことで批判を逸らそうとしたのだろう。
自分でも同じ立場ならばそうする。
「どうなるんでしょうねぇ…進歩党は」
「このままいけば、急進派の巣窟だろうなぁ」
「…余計、話が通じなくなりますね」
「まあ、急進派が進歩党の大部分というわけでもないからなぁ」
今回の選挙でその急進派もだいぶ議席を減らしたという。
まあ、国家主義者と同様に散々頭のおかしいことを言っていたのだから有権者から距離をおかれるのは当然だろう。それでいえば、国家主義者も揃って落選しているのだから保守派の力が強いといっても有権者はきちんと理性をもって投票しているともいえる。
移民問題で大騒ぎしている欧米やらとは違って落ち着いているともいえる。
これも、保守党などが移民の流入を抑える政策をずっと続けているからだろう。リベラル派は「人道支援」と騒いではいるが、欧米の現状を見れば「人道支援」だけで際限なく受け入れたら逆に大きな問題になっているので日本のやり方はすべてが正しいとはいえないが、治安維持の観点から見れば正しいだろう。
流入を抑えているといっても、日本に移住してくる外国人はここ10年でだいぶ増えているが殆どが日本文化を触れたことで日本に生活してみたくなった――と答える者たちで仕事のためだけに日本に来た、というのは少数派だ。
そもそもとして、陸地で国境をせっしいている大陸国家と違って、日本の場合はわざわざ海を超えて来なければいけないのである程度の資金がない者以外は来ることさえ難しい――それが日本という国だった。
東京市 千代田区
進歩党本部
かつての最大野党であった進歩党は、今回の選挙で確保した議席は前回選挙の半分となる20議席のみであった。それまで、地盤だと言われていた大分や山形、沖縄などの議席を失い、1人区の選挙区は全滅。議席を確保出来たのは複数人区と比例区のみであった。その、複数人区も東京や神奈川、大阪などでは現職候補者が落選し、その中には現役の党幹部まで含まれていた。
代表の鬼塚は直後の会見で、党代表の座を降りることを表明した。
「この結果を重く見て代表の座を退くしかない――そう判断いたしました。後任を選ぶ代表選挙などに関しては党執行部で詰めていく予定ですが、9月までには新しい代表の下で党の立て直しをしていくことになるでしょう」
会見で記者たちの質問に鬼塚はこのように答えた。
ちなみにこの時の鬼塚の内心は「もう知らん」という投げやりなものだった。急進派に責任追及されるのが目に見えているからその前にさっさと代表の座を降りてしまえ、そもそも代表になりたくてなったわけじゃないのだから――といった感じの言い訳ともつかないことを内心考えながら。
今の進歩党は泥舟もいいところだが、それでも代表になりたいという欲を持つ者は多い。特に急進派の連中などは「保守系二人が早々に代表の座を降りた」ということを問題にするだろう。急進派は、声の力は大きいが数としては主流派に及ばない。それでも、中立派などを抱き込めば十分な数になる。問題といえば候補者を統一することができるか――だろう。
急進派に属する議員は、ほぼ全員「我が強い」
誰かの下に就くことを嫌がる者ばかりが集まっているのが急進派だ。与党批判には団結するが、それ以外は身内同士で争っている。だからこそ、進歩党は没落する要因にもなったのだろうが、彼らは自分たちが没落した原因の一部だとすら思っていない――それが急進派だ。
選挙毎に、数は減らしているがマスコミなどで露出が多い議員はしぶとく生き残っている。
そんなことを考えていると記者から「後継者候補はいないのか?」という質問が飛んできた。しかし、今のところ鬼塚は後継者など考えていない。というよりも、優秀な議員はほとんど5年前のゴタゴタで進歩党を離党して、自由党や民政党にいってしまったからだ。
もうあとは、残りの野心家たちが足の引っ張りをしようが、自分には関係がない――そんな境地の鬼塚は30分ほどの会見を終えて、そのまま自宅へと戻っていった。
正暦2025年 7月28日
イギリス連合王国 ロンドン
首相官邸
「これで日本はますます安定することになるわね」
「そうですね。次の政治的な山場は二年後の下院選挙でしょうし」
参議院選挙の結果をみていたハワード首相の呟きに外務大臣が同意するように頷く。転移前のイギリスならば日本の上院にあたる参議院選挙の結果を事細かく伝えることはなかった。ただ、転移によって隣国になったことからメディアの注目もかなりあり結果が出た時はBBCなどが速報でそのことを伝えるほどだった。近いことから何人か記者を日本に送り込み各政党の様子などを伝えるなど他国の選挙なのにやたらと力の入れた報道具合に一部からは「自分の国のことを伝えろ」などという批判も寄せられたという。
まあ、それだけ転移後はじめて行われた国政選挙に対しての注目度がこの北太平洋地域では高かったのだ。なにせアトラスも多数の取材陣を送り込んでいたのだ。ここで日本で政治的混乱がおきれば北太平洋諸国にも何らかの影響が出るのではないかと考えられていたので与党が安定した戦いに終始したことはイギリスをはじめ近隣諸国の政府を安堵させる材料になった。
「――それで、我が国の世論はどうかしら?」
「今のところ支持率は全政党でトップです」
異世界に転移したとはいえ、戦争中である国々を除けば民主主義国はどこも選挙が待ち受けている。今回は偶々、日本が先陣を切ることになったがそれ以外の国々でも選挙が予定されている。イギリスでも、来年の春には下院である庶民院の選挙が予定されていた。
現時点で、与党の保守党は全政党でトップの支持率をキープしており、この状況を維持することができればハワード政権は維持される予定だ。閣僚などに若干の不祥事があり、野党が追及の手を強めているがそれも致命的なダメージになるという話ではない。
「選挙まで維持できればいいのだけれどねぇ」
「余程のことが無い限りは問題はないかと…」
「そんなことを言ってると、大体ろくでもないことがあるのよ。日本だと『フラグ』とか言うんだったかしら…」
結論からいえば、庶民院選挙までイギリス政界で大きな事件は起こらなかった。一議員の不祥事というのは与野党関係なくあったが、それが政界全体に影響を及ぼす――ということはなかった。
翌年の庶民院選挙は当初の予想通り、与党である保守党が過半数をキープし、ハワード政権は三期目に突入することになる。




