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アーク歴4020年 6月20日
ガゼレア共和国 ディスピア
大統領官邸
「トラードを含めた軍部に不穏な動き?」
「はい。ディスピア近郊の部隊に不穏な動きがあります。おそらくは…」
「私が言うことを聞かないから力づくで抑えようとしてきたか…警察だけでは軍の連中を対処することはできんだろうな」
情報局長官からの報告にガルバーニ大統領はため息を吐く。
アトラスの報告によって、外征能力を完全に喪失した軍。しかし、外征能力がなくなっただけで国内には20万人近い兵士がいる。首都近郊だけでも5万人の軍人がいるわけで、彼らが一気に攻め込めば首都・ディスピアは簡単に彼らの占領下に置かれることだろう。
トラード大将からは毎日のようにアトラスへの報復攻撃をすべきだ、とガルバーニは詰め寄られその度に「どうやって軍を運ぶんだ」と否定的な言葉を返し、そしてトラードからは憎々しいといった視線を向けられてきた。
元々、政治への野心が強いトラードがいつか暴発するだろうと考えていたが二ヶ月はもったほうかもしれない。
「いかがなさいましょうか?」
「このままでは軍の暴走を止めることは難しいだろう…仮に奴らが動き出したら。私も姿を消すとしよう」
「よろしいのですか?」
「今の私では連中を抑えることは出来ないし――それに、この椅子は座り心地が悪いからな。トラードのヤツがそれほど座りたいならば譲ってやるさ」
大統領の職務を投げ出すような意味合いにとれる言葉を呟いてニヤリと笑った。
その日の夜。ディスピア近郊にある陸軍駐屯地から多数の戦車や装甲車などが出発した。同じ頃、複数のヘリコプターが大統領官邸や国営放送といった政府中枢機関へ向かう。この、ヘリコプターには完全武装した陸軍兵士が搭乗していた。
彼らの目的は大統領及び閣僚の拘束――要は軍事クーデターを実施しようとしていた。兵士たちの多くはトラード大将など軍上層部が描いたシナリオ「大統領たちは亜人によって洗脳されており職務不能である。そのため彼らを救済するために我々は立ち上がるのだ」で動いていた。結局この国において何をするにしても亜人が悪者にされるらしく、そして不幸なことに兵士も国民もそんな公表を本当だと信じ込んでいた。
これも一種の洗脳の賜物なのだろう。
まあ、どちらにせよ兵士たちは亜人からこの国を救うという使命感を旨に上層部の駒として行動を始めたのであった。
「ふふふ…これで私がこの国の最高権力者だ。亜人共に誰が主人か思い知らせてやらねばな」
国防省の大臣室で不気味な笑い声をあげているトラード。
アトラスへの再度の軍事侵攻や軍備増強を認めないカンバーニ大統領を含めた現政権のままでは自身の野望を成就することはできないと察した彼はクーデターという禁じ手を使うことにした。平時ならば彼はここまで極端なことを考えなかったであろうが、作戦の失敗がトラードをクーデターという凶行へ走らせた。
「カンバーニは拘束後に始末しても構わん。適当に亜人による暗殺か、病気による急死ということにしておけ。他の閣僚に関してもカンバーニに近い連中は抵抗するならば処分しろ。それ以外は仲間に引き込める奴らは引き込んでおけ。いいな?」
現地指揮官に改めて作戦内容を伝えるトラード。
本来ならば、大統領を救出し政権移譲された――というシナリオを作るべきだがトラードはあえてそうしなかった。まあ、単純にカンバーニに対しての憎悪の感情が強いのでさっさと始末したいと考えてしまったわけだ。
それと、トラードは政権奪取後のこともあまり考えておらず、そういったことは官僚に丸投げする気満々だった。一方で、アトラスの攻略は全く諦めておらず秘密裏にアトラス攻略のために攻撃機部隊を送り込もうと画策している。
空母はないが、空中給油機と攻撃機なら保有している。
アトラスのノーリッポ島までは5000kmほど。空中給油機をつければ攻撃は可能だとトラードは結論づけていた。なお、帰りに関しても空中給油機つきだが無事に帰ってこれるかどうかは微妙なところだろう。
先の攻撃でノーリッポ島のレーダーサイトは破壊されたが、すでにアトラスはレーダーの復旧を進めているし、沖合には地上設置レーダーよりも高性能な多機能レーダーを搭載した軍艦が常に展開している。まだ、ノーリッポ島が混乱している時ならばこの作戦も効果があっただろうが、時間をかけすぎたといえる。だが、トラードは問題はないと思っていた。
「しかし――よろしかったのですか?ここまで、表立った動きをして」
トラードのことをよく知る副官の陸軍大佐が困惑げな表情で口を開く。
「構わん。成功すればそれでいい。それよりも部隊の状況は?」
「今回の作戦には2個歩兵師団を投入しています。海軍及び空軍への根回しも済んでおり余計なちょっかいはかけられないかと。すでに、首都警本部は制圧済みですので、警察の動きも抑えています」
「ならいいのだ」
現時点で一番目障りな警察の動きが抑えられるのならば問題はない。
トラード大将の軍と内務省管轄の警察軍は基本的に犬猿の仲だ。まあ、これは軍が警察軍管轄の国内の治安維持活動への介入に内務省が抵抗しているから生じたものだろう。警察からすれば自分たちの分野に軍が土足で踏み込んでいるといった感じだ。ただ、軍の言い分は「現状の警察力では国内の治安維持は不足」だという。もちろん、これは治安維持活動に介入したい軍がとってつけた理由であるが。
第1歩兵師団第1歩兵連隊は大統領官邸に到着した。
官邸前では警備のための警官隊が配備されており、彼らは突然やってきた軍人を見て困惑顔を浮かべている。
「軍が何のようだ」
「閣下が亜人共に洗脳にされているという報告が来ている。そのため治療のために閣下の身柄を確保したい」
「なに?」
警官隊の指揮官はそんな話、本部から聞かされていないため怪訝な顔になる。だが、兵士たちはそんな彼らの困惑など預かり知らないとばかりに強引に官邸内に入ろうとしすかさず警官が彼らの進路をふさぐ。
「警官風情が国を憂いる我々の邪魔をすると?」
「そんな情報、本部から一切届いていない。お前たち軍が閣下に不満を持っているのも我々は知っている。クーデターならばそう言ったらどうだ?」
「ほう。貴様ら我々と一戦交えるつもりか?我々には」
中佐の階級章をつけた兵士は後ろを振り返りにゆっくりと前進する戦車をみて意地悪げな笑みを浮かべる。
「これがある。貴様らの武力では止めるなど無理だ――大人しく武装解除してもらおうか?命は惜しいだろう」
「くっ…」
警備にあたっているのは小隊規模の警官隊のみ。
相手は、1個大隊は軽く超える軍人たち。形勢は警官隊たちにとって不利であると悟った警官隊の指揮官は悔しげに顔を歪ませると進路を塞いでいた部下たちに進路をあけるように指示を出した。それを見た中佐は満足げに「よろしい」といって堂々とした足取りで官邸内部に入っていく。
「隊長…」
「おそらく本部も抑えられている。奴ら本気でこの国を自分たちのものにするつもりのようだな…」
「大統領閣下は大丈夫なのでしょうか」
「どうだろうな。軍にとって閣下は目障りな存在――本当はすぐにでも消したいはずだ。どちらにせよ、今の我々では奴らを抑えるのは無理だな」
戦車は動かず。しかし、その砲は警官たちに向いていた。
少しでもおかしな動きをしたら砲弾を撃ち込むのだろう。軍の連中ならば躊躇なくやりそうなことだ、と隊長は苦々しく呟いた。
「すぐに、カンバーニ大統領の身柄を確保しろ。抵抗するならば射殺しても構わん。どっちみち亜人どもによって暗殺されたことになるからな」
「はっ!」
中佐はトラード大将子飼いであるため大統領への忠誠心など全くない。むしろ、軍の計画を邪魔ばかりする厄介者なのでこれを機会にさっさと排除してしまおうと考えていた。
ちなみに、連隊長は今回の件に消極的なため副隊長であった中佐の権限で連隊長以下消極的な者たちは軍の駐屯地に監視つきで拘束している。後々適当な罪をでっちあげて処分でもしようと物騒なことを考えていた。
彼にとって自分たちの計画を賛成しない者は総じて邪魔な存在なのだ。
『ち、中佐殿!』
無線から焦りを多分に含んだ声が聞こえてきた。
その声の主は、カンバーニを拘束するために大統領公邸へ向かわせた部隊の指揮官だ。
「大統領を確保したのか?」
『そ、それが…公邸に大統領はいませんでした』
「なに?どこにもいないのか?」
『はい…公邸にはいません』
「…そうか、わかった。もう一度捜索し見つからなかった場合は公邸の警備をしておけ」
『はっ!』
無線を切った中佐の表情は険しい。
大統領が就寝した深夜を狙って事を起こしたというのに、その大統領の姿はない。今日の公務は夕方までに終わり公邸に戻ったという報告があったことから公邸に一個中隊を向かわせたというのに。
「まさか、カンバーニに感づかれたか?」
「軍から情報を漏れたというのは考えづらいですが…」
「では、カンバーニはなぜ公邸にいない?普段ならばとっくに寝ている時間だ」
中佐たちは、情報局がカンバーニに軍が不穏な動きをしていることを伝えていることを知らない。というよりも、情報局に今回の件が漏れているとは考えもしていなかった。
色々とお粗末な部分が多いが、今回蜂起したトラード一派はいうなれば「脳筋」が多く。政治能力が低い軍人ばかりが集まった組織だ。おそらくその中で一番政治力があるのはトラードだ。まあ、これはトラードが自分より優秀な軍人を嫌っていたので操縦しやすい脳筋ばかりを仲間に引き入れたのが遠因だろう。
それから、中佐たちは官邸内を徹底的に捜索したが結局カンバーニ大統領を発見・拘束することは出来なかった。また、多くの閣僚の拘束は出来たがカンバーニに近い閣僚などの拘束は出来ず政権を掌握することは出来たがトラードとすれば消化不良な夜となった。
『臨時ニュースをお伝えいたします。カンバーニ大統領は体調の急速な悪化に伴い大統領職を辞任することを表明しました。大統領代理には国防大臣のトラード陸軍大将が就くことが決まり――』
軍によって接収された国営放送にて、カンバーニ大統領が急な体調不良によって大統領職を辞任したことが全国に伝えられる。トップが変わることに対しての国民が大いに慌てるということは基本的に殆どの国では起きない。
一般国民からすれば上が誰になろうが自分たちが生活できればそれで問題はないからだ。今回もカンバーニの代わりにトラードが大統領代理に就くことに関して不満を訴えるような声は町中からはほぼ聞こえなかった。
誰が、大統領になろうと自分たちの生活が問題なければそれでいい。
それが、たとえ軍部主導の政権であってもだ。
大統領代理に就任したトラードは大統領官邸の大統領執務室にいた。
彼は早速自身の派閥のものを中心とした新政権を発足させる。議会はすでに解散しており議会のかわりに「最高評議会」という軍人主体の会議が置かれるなど着実に軍事独裁への足場をかためていった。
もちろん、そのことに反発する者は多かったが武力をちらつかせば基本的にそういった輩を黙らせることができるので表立って敵対するような者も出ていない。
そして、大統領代理となったトラードが最初に指示したのはアトラスへの再度の攻撃だ。
「し、しかし。海軍の揚陸艦は使い物になりませんが」
トラードの指示に慌てたのは海軍長官だ。
海軍の揚陸艦は全滅しており。残っているのは旧式且つ小型の輸送艦ばかりだ。
「漁船でも貨物船でも徴用すればいい。あるところから持ってくればいいだけだ」
「わ、わかりました」
ちなみに、交渉などというまどろっこしいことをトラードが許すわけがない。この徴用は所謂強制的なものであり拒否しようとも武力を背景にして接収するタイプのものだ。
なんとも、強引な手法であるがトラードとしてはさっさとアトラスに軍を送り込んで自分たちを追い詰めた報いを受けさせてやる――という考えで頭が一杯なのでそのためには手段なんて選んでいられないといった考えになっていた。
海軍長官もそれを察して副官に対してすぐに国内の港に停泊している殆どの貨物船を徴用するように指示を出していた。指示を受けた副官の顔は引きつっていたが自分が何を言ったところでどうしようもないと理解した彼は早速手続きのために官邸を出ていった。
今回、トラードが計画したのは非常に大掛かりなものだ。
国内にいる陸軍戦力の大半をアトラスへ向かわせる。その数はおよそ10万。予備役なども動員すれば更に数を増やせるが、船の都合などによって10万人以上の派遣は難しいとは事前に副官などから説明を受けていた。
トラード個人としては全戦力を送り込むのも考えていたが、物理的に運べないといわれては引き下がるしかなかった。
「蛮族どもに思い知らせてやるのだ…人間の恐ろしさをな!」




