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正暦2025年 6月8日
ドイツ連邦共和国 ベルリン
大統領官邸
「この世界に来て半年か…」
ドイツ連邦共和国大統領のハンス・ベッケンスはどこか遠くを見るような目をしながら呟く。
この世界に転移してから半年。
それはすなわちバルカン戦争が始まってからも半年になる。
欧州各国は元より、国連などへの要請のおかげか日本を含めた地域からも軍が派遣されたことで兵力の分では余裕が出てきた。兵站面は元々対ソ連用に各国で準備していたのと近くにある南アメリカ諸国からの支援もあり問題は起きていない。
「今月からいよいよ本格的な反攻作戦が始まります」
「まさか本当に日本が地上部隊を派遣するとは思わなかったよ…」
報告のために訪れていた国防大臣にベッケンスは苦笑しながら返す。
ベッケンスは日本が地上戦力を派遣するとは考えてもいなかった。
日本という国は世界的に見れば「お人好し」だと思われているが、実際にはかなりドライな部分がある。自国にメリットがなければ基本的に軍を動かすなんてことはない。
ベッケンスにとってはヨーロッパ救援はそれほど日本にとってメリットのあることには思えなかったのだ。まあ、予想外ではあったが日本が軍を派遣してくれたことに関しては素直に嬉しいことだ。
日本は海洋国家であり必然的に海軍も注目されるが、空軍もそして陸軍の練度も非常に高い。特にドイツは過去二回ほど日本陸軍の精鋭部隊と衝突している。どちらも「極東の島国に負けるわけがない」と現場は思っていたのだがどちらも手痛い一撃を受けている。
アメリカとソ連はその圧倒的な物量でもって押しつぶすような作戦だったがその影で日本陸軍の部隊がドイツ軍を撹乱することで防御の隙をうんで米ソ両国の進軍を手助けしていたという資料もあるほどだ。
「さて、反攻はいいとして『どこまでやるか』だな」
「そのあたりは各国でだいぶ意見が割れていますからね…」
反攻する部分は各国同意している。
一方で「どこまで攻め込むか」では意見が真っ二つに割れている。
敵地をそのまま突き進むべきという過激論か、とりあえずギリシャ解放までを優先的に行いその後は外交交渉などで解決すべきという穏健論の二種類だ。基本的に後者の声が大きいが一部では前者を推す声が強い。
突然、他国に宣戦布告なしで攻め込んできた国なのだから政府そのものを一度作り直すために敵地攻撃を集中して行うべきという意見を出しているのは主に攻撃に晒されたギリシャなど南欧が多いが、フランスやドイツとすれば「そこまで面倒は見きれない」といった声がほとんどだ。
「攻め込まれたギリシャの感情もわからんでもないがなぁ」
「ギリシャ国内の主要都市は徹底的に破壊されていますからね。再建には数十年単位の時間が必要でしょう」
「そのために我が国を中心とした各国が財政支援を行わなければいけないな」
「かなりの金額を我が国は負担しないといけないでしょうね…」
「アメリカや日本を引き込めれば少しは負担が減るだろうが」
「アメリカが出しますかね?ただでさえ中米の件もありますし」
アメリカはさっさとヨーロッパから手を引きたいという
それに、日本から金を出してもらったとしてもおそらく過半数はヨーロッパ諸国で分担することになり必然的にヨーロッパ最大の経済力を持つドイツがその多くを負担することになる。ただでさえ、欧州連合に金を巻き上げられていると感じている世論が多い中でのこの出費は国内での反欧州連合運動を加熱させる要因になるのではないか――と、大統領は内心危惧していた。
「まあ、今はともかく戦争が早く終わるように反攻していくしかない。バルカン半島を奪還――それが最優先で行わなければいけないことだ」
「そうですね…」
「なるべくは今年いっぱいで終わらせてほしいがね…」
まだ、世論はギリシャなどに同情的だが戦争が長引けば世論の反応も大きく変わってしまうだろう。民主主義国家にとっては民衆の圧力というのはどうしても無視できるものではない。
正暦2025年 6月9日
イタリア共和国 アヴィアーノ空軍基地
イタリア国内にあるアメリカ空軍の基地であるアヴィアーノ空軍基地。
ここは、現在、連合国空軍による前線基地として常駐しているアメリカ軍以外にドイツ空軍やフランス空軍の航空機が派遣されている。更に、先月からは日本空軍の2個戦闘飛行隊が派遣されており、主に爆撃機や輸送機の護衛やバルカン半島上空の偵察活動に従事していた。
橘マリア中尉と木村葵中尉が所属している第11戦闘航空団第160戦闘飛行隊も、第一弾として最初にイタリアに派遣された二つの飛行隊の内の一つだ。もう一つは築城の第14戦闘航空団第701戦闘飛行隊がイタリアに派遣されている。
「せっかくイタリアに来たのに基地に缶詰かぁ…」
「それは仕方がないでしょう。任務なんだから」
「それはそうだけどさぁ…」
晴れ渡るイタリアの大空を見てずっと基地にいることが嫌になったらしい。相変わらず緊張感のない様子がない友人の態度に橘は呆れたように息を吐く。
現時点で、彼女たちはこの場で「実戦」は経験していない。
何度か、出撃はしているが爆撃機や輸送機の護衛や哨戒飛行であり、その最中に敵機が襲撃してきた――ということも起きていない。つい、数週間前ならばかなりの頻度で爆撃機や戦闘機を飛ばしていたらしいが、アメリカやヨーロッパ各国の戦闘機部隊の迎撃によってその大半が撃墜された。
「もう上がってこないってことは弾切れなのかな?」
「単に、戦力を集めていると見たほうがいいわね。情報部の話じゃ連合軍が叩いたのはこっちでいうところのイベリア半島の中にある幾つかの基地だけだって話だし」
「じゃあ、東のほうはまだ無傷ってこと?」
「そういうこと。さすがに敵地奥深くまで爆撃機を飛ばすこともできないから暫くは半島側だけ叩く方針みたいね――それにしても、一つの基地だけで数百機の戦闘機が配備されていたらしいわよ。向こうはスケールがこっちとはだいぶかけ離れていると考えたほうがいいわね」
「一つの基地だけで小国空軍一つ分ってことかぁ」
「もちろん、全部の基地ではないみたいだけれどね」
それでも、そういった基地が複数存在しているのは確認できているのでおそらく戦闘機だけでもヨーロッパ諸国のすべての稼働機をあわせても多いくらいかもしれない。幸いなのは相手の主力機が第3世代機。最近になって第4世代機相当の性能をもった機体が出てきたが、全体的に技術レベルは地球以下なので数以外の部分では有利に戦えている。
まあ、その「数」というのが連合軍にとって最大の悩みなのだが。
正暦2025年 6月9日
イギリス連合王国 ロンドン
首相官邸
「あと、一ヶ月で日本で大規模な国政選挙があるらしいわね――与党は勝てるのかしら」
北太平洋地域の国々にとって現在、一番注目されているのは来月に行われる日本の参議院選挙のことだ。多くの国では選挙の延期などを行っているが日本は選挙の延期をせずに予定通り7月に参議院の半数を改選することがすでに決まっていた。
この地域で行われる初めての国政選挙ということで普段以上に周辺各国の注目度は高い。転移前ならば日本の国政選挙はそれほど注目していなかったイギリス政府も今回ばかりはその予測結果を含めて注目していた。
「今の連立与党政権の支持率は70%――野党は有力な政党が確認できず、更には分裂の動きもあるようですから、何事もなければ与党が改選過半数を確保するでしょう。仮に下院でも解散をした場合は与党の議席が更に増えるかもしれませんね」
「いいわねぇ。日本は安定していて…」
イギリスではつい最近、閣僚の資金問題が浮上して議会がやや荒れていた。
転移直後は色々と協力姿勢にあった野党は半年も経てば徹底抗戦姿勢に代わり任命責任などの批判をしている。まあ、それでも支持率はまだ高水準を保っているのはひとえにハワードの政治手腕故のことだろう。
ただ、ハワードにとっては「大和スキャンダル」もたいしたダメージになっていない日本のほうが羨ましく感じるのが本音であろう。これは、日本国民が比較的保守的なのが遠因だろう。1910年代から70年にわたって保守系による二大政党制が続いた世界的に見ても珍しい国――それが日本だ。
1990年代から2000年代にかけては政治が混乱していたようだが、その後は、また保守系政党が力を持つにいたり今に至っている。特に、前政権の岸内閣の時は世界外交において強い影響力を発揮したのは記憶に新しい。
後任の下岡は40代と若い宰相であったが、ハワードから見ても下岡は日本という大国を無難に統治している。岸ほど、目立った部分はないがそれでも岸と同程度くらいには政治を動かしているとハワードは下岡のことを高く評価していた。
「――それに比べてヨーロッパ…今は、ギリシャへの同情論が多数派だけれど。そのうち世論は大きく変わるでしょうねぇ。ただでさえ、EUは各国間の軋轢が目立ってきていたし。欧州懐疑勢力が今後力をつけてくる可能性は高そうね」
転移で離れてよかったわ、とハワードは内心ほくそ笑む。
もし、転移していなかったらイギリスもその騒動に巻き込まれただろう。それを考えると転移によってヨーロッパと離れたのはよかった。まあ、大陸ヨーロッパの国々からは色々と文句をいわれたが物理的に距離が離れているのだからそれを盾に出来る。
「首相はヨーロッパはベルカを退けても大きく荒れると考えておられるのですか?」
「外務大臣も似た考えよ。それこそ欧州連合が崩壊するレベルの混乱がおきるでしょうねぇ。元々西欧と東欧は思想面で大きく違うし、経済力のある独仏――特にドイツと東欧の関係は年々悪化しているしね」
経済格差もそうだが、近年はアフリカ系難民を巡っても西欧と東欧は対立し欧州議会などでは双方を批判することも起きていた。西欧は「自分たちばかりが受け入れている」と東欧に不満を持つ、一方で東欧も「そもそも制限なく受け入れる余裕は自分たちにはない」と反発する。
そして、そんな両者の対立を見て影でほくそ笑んでいるのが再度、東欧での影響力を持ちたいと考えているソ連であった。
「ホント、ここに移動できてよかったわ。大陸の厄介事に関わらなくて済むんだから」
まあ、そのイギリスもかつては世界各地に「厄介事」を振りまいた元凶なのであるが――現政府にその自覚は一切なかった。




