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正暦2025年 6月5日
日本皇国 東京市某所
転移による混乱が現在も各地で続いているが、少なくとも日本はその混乱から脱している。2月まではノルキア帝国とのこともありかなり緊迫した状況だったが、それもノルキアに新政権が発足してからは警戒感はまだ若干残っているが緊迫した状況はなくなっている。
そして転移してから半年が経ったが、政治の世界はというと夏に行われる参議院選挙に向ける準備が少しずつ進められていた。転移によって選挙の実施も危ぶまれたのだが、情勢が落ち着いたころから予定通りに来月後半に参議院選挙が実施されることが決まっていた。
下岡内閣発足後最初の大規模な国政選挙であり、マスコミなどは「下岡内閣の中間評価」になるだろうと推測していた。
現在の内閣支持率は70%台という高い数値をキープしている。戦艦大和というスキャンダルがあった昨年でも50%を切ることはなかったので世論は概ね現政権を好意的に見ているようだ。
それに焦りを見せるのが進歩党などの野党だ。
過去3度政権をになってきた進歩党は失政が続いたこともあり支持率を急速に落としていた。それもあってか近年の進歩党はより左派的な主張をすることが多くなったがそれによって穏健的なリベラル主義者がライバル政党である自由党支持に移るなどしてますます政党支持率が下がっている。
近年の選挙では自由党に迫られるケースも増えている。
右派連合から政権を奪還するためにリベラル連合を作るべきという声は野党内からもよく出ているが、自由党は進歩党から独立した政党ということもあってか両者の関係はあまりよくはなく更に進歩党急進派が自由党と統合するならば自分たち主導で行うべき――という意見を譲らないために中々話し合いは進んでおらず野党間の選挙協力すらできていない。
それを考えると与党勢力は盤石だろう。
お互いに得意としている地域に候補者を集中させるなどして選挙協力をしているのだから。保守党と民政党はかつて政権を競い合うライバルであったが民政党が衰退してからは同じ保守ということで協調関係を30年ほど前から続けているし、新興政党である改進党は進歩党を主体とした野党の枠組みには最初から参加するつもりはなく思想面に近いということで保守党主導の連立に加わった。
閣僚は送り込んでいないが歴史ある右派政党の国民党は基本的に思想面で同じである保守党と共同歩調をとることが多く閣外協力という形での政権への協力をこの半世紀近くにわたって行っていた。
焦った野党議員が現在頼っているのは与党幹部の「スキャンダル」だ。
特に「政治とカネ」関係は世論の反応もいいので何かめぼしいネタはないかと知り合いのジャーナリストなどを使って調べに調べているし、何度か国会審議などの場でも追及したのだが逆に野党幹部の後ろめたい過去まで掘り起こされて事態は沈静化する――というのが多く野党指導部から議員に対して「これ以上スキャンダルを探すな」というお達しが来るほどだ。
それでも諦めきれない人間というのは存在していた。
「下岡の弱みはないのか」
「総理は中々に警戒心が強いようで色々と探ってはいますが、何もありませんねぇ」
東京市の中心市街地にある会員制のバーで顔を突き合わせているのは進歩党急進派の辻田とフリージャーナリストである秋川だ。
秋川は左派的な観点から記事を書くため、保守党政権には批判的なことが多く、辻田ともそういった面で何度か会食をする仲ではある。ただ、秋川見ても辻田は政治家としては非常に危ういので秋川としては積極的に関わりたくはなかった。
「捏造は?」
「それをした記者の末路は議員も知っているはずだ」
「くっ…」
昨年。国防大臣に指名された五島が人事の介入などを行った――とされる記事が週刊誌に掲載されたがそのような事実はなく記事を掲載した出版社に多数のクレームが殺到した。この記事は、記者が元国防省官僚を名乗る男から聞いた話をそのまま載せたわけだが、実はこの男は性格面の問題から早々に国防省を退官していた。
事務次官と同期でライバル視していたことから、その事務次官を引きずり落とそうとして嘘の証言を記者の前でしたことが明らかになり裁判沙汰にまで発展した。そして、記事を書いた記者は「証言者だけの言葉を鵜呑みにして記事にした」と世間から笑いものにされ多くの出版社からも契約できずに記者人生が終わったのだ。
捏造記事というのはわりと週刊誌や、新聞で多いのだが大抵の場合は末端の記者や外注を切り捨てて終わりにすることが多く、今回もそれが働いた格好となった。
まあ、そういった切り捨てられた記者たちがネットメディアに行って似たような騒動を起こすのだが。
「じゃあ、例の国防計画で攻めるしかないのか…」
「それもあまりおすすめはできんな」
「どうしてだ?」
「今の国際情勢を見てみればわかるだろう。アメリカ、ヨーロッパ、ユーラシア――どこもかしこも戦争だらけだ。ウチの国もノルキアとかいう国に軍事侵攻を受けたし、今度はアトラスでも戦争をしている。こんな状況で軍縮なんて支持を得られるわけがない」
「しかし!今は、我が国は平和だ。高い金を軍に出す必要はない!」
バンッ!と机をたたく辻田。
「ともかく、総理あたりの不祥事を探すのは無理だ。今のところ一番ボロを出しそうなのは総務会長くらいだな」
「閣僚ではいないのか!」
「残念ながら。何一つ見つかっていないな。岸政権末期からそうだが後ろめたいことがある奴らを徹底的に排除しているようだ」
進歩党政権とは大違いだよ、という言葉を秋川は飲み込む。
以前の保守党はもう少し派閥に考慮した閣僚人事が行われたのだが閣僚の不祥事が相次ぎ(主に金銭問題)頻繁に閣僚交代が続いたことから大澤政権の時から閣僚における身体検査はかなり厳密に行われるようになり、少しでも怪しい噂がある議員はたとえ派閥からの推薦があっても閣僚に任命しないことが連立与党内で徹底された。
最近では公認候補にもかなり厳しい身体検査をしているという噂だ。
左派政権を作ることに固執し、誰彼構わず飲み込んだ結果内部争いが頻発し、今でも党内意見を一致することができない進歩党とは本当に大違いである。
「このままでは次の選挙も与党の圧勝で終わってしまう…」
(そのほうが、国民にとっては幸運だろうけどな)
少なくとも党内で未だに争っている進歩党に政権運営能力はないと秋川は見ている。野党として政権を担えるのは自由党くらいだろう。それか、今与党にいる改進党が自由党などと組むケースだろうが。
どちらにせよ、下岡内閣が続く限りは政界に大きな反乱はないだろう。
(しかし、こいつはなんで総理をそこまで敵視するんだ?)
辻田の下岡への苛烈ともいえる敵意に秋川は内心で首を傾げるのだった。
同日
国営放送 昼のニュース
『来月実施が予定されている参議院選挙に向けて各党は候補者調整を進めています。今回は、我が国が異世界に転移して初めて行われる国政選挙ということもあり有権者の政治への関心も高まっていることから高い投票率が予定されており各党は主に無党派層を中心に自分たちの政策をアピールし、支持拡大をつなげようと必死です。与党3党と閣外協力している国民党はすでに各選挙区の候補者調整を終えていますが。一方で、野党に関しては未だに選挙協力への道筋は見えておらずある野党幹部は「これでは与党の一人勝ちだ」と進まない野党協力に危機感をつのらせています』
参議院の任期が近づいてくるとテレビのニュースは選挙関係の報道が多くなる。まだ、正式な選挙日程は決まっていないが半数が改選となる参議院の任期は来月の23日なので基本的にその前に選挙が行われることになる。
一部では同時に衆議院選挙も実施されるのではないか、という声もマスコミ関係者などからあがっているが現時点で下岡は衆議院解散をするかどうかの発言はしていない。記者からの囲み取材に関しても「現時点では考えていない」としか答えていない。
衆議院の任期は再来年4月まであるが、参議院と違って衆議院は重要局面などでは任期途中に解散総選挙することがよくあるので4年の任期を全うすることは少ない。ただ、近年の岸内閣の時は任期満了ギリギリまで衆議院が解散することはなかった。
また、衆議院は与党3党と閣外協力している国民党をあわせて全体の7割ほどの議席を得ていることを考えればわざわざ解散する必要性はないと考える専門家も多い。ただ、こちらも異世界に転移して最初の選挙なので衆議院も解散して政府方針などに関して国民の信を問うのでは?という憶測もあった。
まあ、どちらにせよ今選挙が行われても与党が有利であるとどこのメディアも予測し野党――特に進歩党はかなり苦戦するだろうと考えられていた。
「マスコミの注目はすっかりと選挙に移りましたな」
「まあ、それもすぐに別のに移るでしょうな――しかし、先週は災難でしたな、五島さん」
国会内の一室には下岡内閣の閣僚が数人集まって談笑していた。
科学技術大臣の水野に話を向けられた五島国防大臣は苦笑して答える。
「ええ。事務次官人事も陸軍幹部人事も私が国防大臣に就任する前に決まっていたことだというのは調べればすぐにわかるはずなのに、取材をした記者は告発者の言葉を鵜呑みにしてそのまま記事にしたようですから」
「まったく最近の記者は自分の足で裏取りをしないのかね?」
「今はインターネットという便利なものがあるからそれに頼っているのかもしれんな。だから、容易に怪しい情報に食いついてしまう。まあ、昔も流言に人は踊っていたが」
「昔に比べれば情報伝達速度はかなり違い。嘘だろうが一度流れてしまっては対処は難しい」
先週発売された週刊誌に乗った国防大臣による国防省人事の不正介入。
これは、国防省官僚を名乗る男の告発が記事のベースになったわけだがやり玉に上がった事務次官人事と陸軍幹部人事は五島の前任の国防大臣のときに決まっていたもので五島は一切手を加えていなかった。
にも関わらず、五島が人事に介入し自分たちに都合のいい人物を選出した――などと週刊誌に書かれ、一時的に国会審議はこのことで一色になり予算審議などが止まった。
「災難といえば――進歩党急進派は相変わらず軍縮の大合唱のようですな」
「彼らにとってみれば軍事費は一番削りやすい予算のようですからな。転移によってソ連も北中国も消えたことからより彼らは軍事費を狙うようになったようですよ」
「ノルキアによる樺太攻撃は彼らの頭の中からすっぱりと消えているってことか…鬼塚さんも大変だな」
文部大臣兼副総理を務める民政党代表の長島が個人的に付き合いのある進歩党代表である鬼塚を同情する。急進派が力を持つようになった進歩党において右派に分類される中道系である鬼塚は代表になってからずっと苦労しているのか就任前にくらべるとだいぶ顔色が悪くなっていた。
支持母体である労働組合からも「急進派をどうにかしろ」とせっつかれているようだが。急進派には党の有力者も多い。そもそも、進歩党右派というのは急進派のやり方に反発して集団離党した勢力なので党内での数はだいぶ少ない。中間派などの協力を得てなんとか党運営をしているのが実情だという。
内部抗争ばかりしている進歩党に対してネットでは「進歩党は与党を助けるために身内で争っている」とまでいわれるほどだ。そのため、与党の対抗馬として進歩党を離脱した穏健派なぞが所属する自由党が注目されているのだ。まあ、自由党単独で政権奪還するのは難しく進歩党などとの連立が現実的だといわれているが、その進歩党内には自由党は「裏切り者の集団」と保守党以上に嫌悪感を持っている議員も大勢いるので自由党主導の連立構想は中々進まなそうだ。
(我々の勝利も野党の自滅のおかげだからな…)
野党――特に進歩党も焦りがあるのだろう。
いつにもまして、個人的なスキャンダルを取り上げてなんとか政権の痛手になるようなものを探している。五島の件もそれにあたる。
まあ、きちんと取材しなかった記事を使って糾弾したので記者もそうだが取り上げた議員も世間から激しいバッシングを受けているらしいが。
彼も、裏取りをしていればこんなことにならなかったので五島としては同情はしていないが――ただ、哀れには思った。




