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アーク歴4020年 5月30日
ガリア帝国 ザンパール
首相府
人間主義国家ガリア帝国。
意外に思うかもしれないがこの国はきちんとした民主主義国家だ。
君主の政治権限が比較的強い部分はあるがきちんと選挙を行っている議会もあるし、内閣もあり、そして最高裁判所といった三権分立もきちんと機能している。一党独裁体制を続けているガゼレアとは対照的である。
亜人に対しての考え方に関しても一部強硬派は存在するが政府の大半は穏健的な考えをしている。とはいえ、国民の大半が反亜人思想が根強いこともあってガリア帝国は亜人国家と外交関係は有していないが。ただ、ガゼレアと違って大東洋中心ではあるが亜人国家と外交関係を持っている国とも外交的なつながりがある。
というように、人間主義国家の中では他国との付き合いが多い国――それがガリア帝国だ。
といっても、付き合いのある国は転移前の大東洋地域に限られている。
それ以外の国との付き合いはガリアにとってメリットがほぼないことからルーシアなどごく一部の国だけだ。
「あれから、一切攻撃なしか」
「はい。どうやらアトラスは我が国と積極的に事を構えるつもりはないようです」
一ヶ月ほど前、ガリア南部の軍事施設が巡航ミサイルの攻撃を受けた。
攻撃してきたのは間違いなくアトラスであり、軍部の一部からはすぐに反撃に出るべきだ、という意見も出たが皇帝が首を縦に振らなかったためアトラスに対しての反撃は行われていない。皇帝の権限は絶大であるし、政府もこれ以上の軍事行動をする必要はないと考えているため軍部の一部が騒いだところで政府としての許可は出ないのだ。
むしろ、基地を幾つか攻撃を受けただけで報復が終わるのならば安いものだ――と政府や官僚たちは考えているほどだ。ガリアにおいても増大する軍事費というのは悩みのタネであるし、常にどこかへ軍事侵攻を画策している過激派にもいい加減うんざりしていた。
その中で、空母の派遣を認めたのは一種のガス抜きの意味合いが強い。
「アトラスも我々のような人間主義と関わりたくはないだろうからな。我が国の頭の硬い連中と違ってな…それで、ガゼレアは?」
「すでに外征能力を失っていますので、アトラスにさらなる軍を派遣するのは難しいかと。もっとも、あの国は我が国以上に強硬派が力を持っていますから…ガンバーニ大統領は穏健派ですが、あの国の穏健派の勢力は弱い。最悪軍部がクーデターを起こすことも十分に考えられるかと」
「仮にクーデターが成功した場合、我が国に泣きついてくるだろうな」
「ええ。そして、我が国の強硬派も同盟国の救援をすべき!と騒ぎ出すでしょう」
「目に浮かぶようだよ」
外務大臣の言葉にうんざりしたような表情を浮かべる首相。
亜人国家に関する情報をガリアは殆ど持っていないが、アトラスに関してはルーシアからよく聞いていた。首相は外務大臣を務めていたことがありその時会談をしたルーシア連邦の外務大臣から「亜人国家で一番気をつけなければいけない国はアトラス」だと伝えられていた。
ガリアの政治家の中で亜人に対しての排他的な感情が比較的少なかった首相は「軍事大国のルーシアが言うのだから」として記憶の片隅にとどめていたがその時はまさか直接対峙する事態になるとは思っていなかった。
これならば、もう少しルーシアからアトラスに関する情報を聞いておくべきだったか、と首相は今更ながらに思った。
「奴らの不満解消のために空母の派遣を認めたが…逆効果になったか」
「いえ。もし派遣そのものを認めなければ連中は武装蜂起を起こしたかもしれません」
「もしそれで軍部主導の政権になれば…」
「今よりも状況が悪化していたでしょう」
現政権は進歩政党を中核としているので、保守派が多い軍部との折り合いは基本的に悪い。軍部と親しかった前政権は数々の汚職がメディアにすっぱ抜かれ選挙で大敗。今は一応野党として存続しているが往年の力はない。そのことで軍部も焦っているのだろう――というのは軍部を監視している内務省の担当部局の話だ。
「このまま不満が高まるならば…アトラスを利用するしかないか」
「それは…劇物がすぎるのでは?」
「アトラスが大々的な争いを求めていないのであれば報復で軍事施設が攻撃されるだけだ」
それで軍部の力が弱まるならば構わないと首相は呟いた。
彼もまたアトラスのことを甘く見ていた。
ガリア帝国 ザンパール
ガレア・タイムズ 本社
アトラスに関する報道はガリア国内では一切されていない。
亜人国家が自国の南方に出現したことを知るのは政府関係者と一部の報道関係者くらいだ。
ガリアはガゼレアに比べれば穏健的とはいえ、やはり亜人に対して排他的な感情を持つ人間主義者たちの国だ。亜人は恐ろしい存在だと今でも国民の大多数は思い込んでいる。
そんな亜人たちの国が自国の南5000kmほどのところにあるなどと伝えたら国内は大きな混乱に見舞われるのは誰でも容易に予想できることだろう。政府はこういった混乱を未然に防ぐのを目的にアトラスの存在を伝えないように報道機関に要請。各新聞社やテレビ局もそれに応諾した。
一部にはそれを無視して記事を書くところもあったが、そういったところは潰れかけの零細メディアで普段から誤報を多く出すことで知られていただけに誰も真に受けるものはいなかった。
一ヶ月ほど前にあったガリア南部の軍事基地への攻撃に関しても政府は「弾薬庫で大規模な爆発があった」ということにしている。一部では「亜人によるテロだ」と報じるところもあり、この国に若干数いる亜人たちに疑いの目が向かっているがガゼレアのように集団で暴行を加える――という真似まではしていなかった。
ただ、ガリア国内ではガゼレアでも同様の事が起きたとは報じられていない。
「政府と軍部は隠しているが南部の複数箇所で巡航ミサイルによる攻撃を受けたのは事実だ――ガゼレアが行ったとされる亜人国家への攻撃に我が国も関与していたから報復攻撃を受けた――と考えたほうが自然ではあるな」
国内最大手の新聞社ガレア・タイムズに勤務する記者のケリーは独自にこの件を追っていた。彼は持ちうる様々な情報源を使ってガゼレアがある亜人国家に攻撃を仕掛けたこと。ガリアもまた海軍の空母を応援という形で派遣していること。だが、その攻撃は失敗に終わりそれから一週間ほど後になってガゼレアの軍事施設は巡航ミサイルによる攻撃を受け大損害を受け同国の外征能力が完全に喪失したこと。その一週間後にガリア南部の軍事施設に対しても同様の攻撃があったことなどの情報を知ることができた。
これを新聞や週刊誌に載せれば大スクープ間違いなしだが、経験豊富な記者であるケリーはそのようなことをすれば自身の身に危険が及ぶこと。社会が亜人に対してより攻撃的なものになると知っていたので誰にも伝えてはいなかった。
「政府が情報を隠すのもわかる。こんなのが表に出たら大騒動になるな。だが、軍部の連中は黙っていないだろうな…しかも最近は前与党と軍部の癒着が問題になっているから余計に」
「こんな時間までなにしてるんだ?」
「ぶ、部長」
ケリーの背後から声をかけてきたのは彼が所属している社会部の部長だ。
ケリーに記者のイロハを教えた先輩記者でもありケリーは彼には頭が上がらなかった。
ベテラン記者である部長はケリーの態度から彼が今まで何をしていたのか察して深々とため息を吐き出す。
「何を調べているかわからんが、あまり妙なものに首を突っ込むなよ?この国はガゼレアなどに比べれば寛容だがそれでもやりすぎたら国家警察公安部の連中は容赦なんてしないからな」
「は、はい」
部長はケリーのノートパソコンを見て彼が何を調べているのかすぐに察する。
「…ふむ。例の爆発事故のことを調べていたのか」
「気になってしまって…部長は、アトラスという国のことはご存知ですか?」
「話に少し聞いたことがある程度だ。亜人連中の国の中ではトップレベルの国力をもっているという話だが。お前――まさかこのことを記事にしたいとか言い出さないよな?」
「さすがに記事にはできませんよ。こんなの書いたらそれこそ公安に目をつけられます」
「それならいいが。何度も言うが気をつけろよ?亜人関係はこの国にとってのタブーなんだからな」
「わかってます」
先輩記者の忠告にケリーは苦笑いを浮かべながら頷く。
「わかったならいい…もう、遅いから今日は帰れ。明日も早いんだろう?」
「そうですね――ところで部長はなぜこの時間まで?」
「ガゼレアがきな臭いという話を聞いてな。そのあたりの情報集めだ」
アトラスに攻撃を仕掛けたガゼレアは現在国内が大きく揺れているらしい。
穏健派の政府と強硬派の軍部の対立が日々激しくなっており、軍部は残存兵力を首都近郊に集めているらしい。軍部が理由としてあげたのは「治安維持」目的らしいがガゼレア政府は軍部の言い分を信じていなかった。
「部長が調べているのも記事にできませんよね?」
「…そうだな。お前と一緒だよ」
そう言って部長は肩を竦めさせる。
「じゃあ、帰ります」
「おう。気をつけて帰れよ」
「はい」
二人はまた明日と言い合ってそれぞれ車に乗り込んで帰宅した。
ガレア・タイムズの隣にあるビルでは背広姿の男が厳しい視線でモニターを見つめていた。モニターには先程までアトラスに関する情報を調べていた記者とその上司の姿が映っている。
男がはめたイヤホンからは二人の会話が鮮明に聞こえてくる。
一通り映像を見終わった男は携帯電話をとりだしどこかへと電話をかける。
「例の記者たちはどうやらアトラスに関して調べているみたいです。今のところは記事にするつもりはないようですが…ええ、では引き続き監視を続けます」
電話を切った男は深く息を吐き出し、そしてこう呟いた。
「頼むから余計なことに首を突っ込むなよ…ケリー・アンダーソン」




