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正暦2025年 5月27日
マーゼス大陸南部 ルノール王国中部
マーゼス大陸に上陸し、イリーニア半島など大陸南部の一部を占領したソ連軍は一時的に進軍を停止していたが、南部に資源地が確認されたことから再度の進軍を行っていた。
ソ連軍は橋が破壊されたサルベ川にかかる橋を復旧し、サルベ川の対岸であるルノール王国へ進軍していた。ルノール王国にはマルシア連邦を中核とした大陸諸国軍約30万人が防衛戦を敷いていた。
一方の、ソ連軍は2個軍12個師団をマーゼス大陸に駐屯させていた。
地上戦力のみで約15万人と大陸諸国軍の半数ほどの数であるが、装備の質という点では大陸諸国軍を半ば圧倒していた。というのも、この2個軍はいずれもソ連陸軍の精鋭部隊として最新型の装備が多く導入されており主力戦車はT-90。そして最近になって量産配備された最新鋭のT-18がマルシア連邦軍の新鋭戦車P-80を粉砕していたからだ。
しかし、それでもソ連軍の進軍速度は遅くなっていた。
これは兵站の問題が一番大きいだろう。
陸続きならば十分だった兵站も、大陸の外になると話は違う。
ソ連海軍は主力艦艇の整備に力を入れていたので輸送艦などの補助艦艇の数は常に不足していたし、現在使われている輸送艦の多くも建造から四半世紀ほど経った旧式艦ばかりだ。近年になってようやく揚陸艦の近代化が進められているがそれに予算がとられる形でそれ以外の物資や人員を輸送する補助艦艇の近代化は後回しにされていた。
占領したイリーニア半島も平地は少ないことから食料などの現地調達をするのも難しい。そして、最近になってマルシア連邦は通商破壊を行っておりソ連国籍の貨物船などが潜水艦の襲撃で沈められるというケースも増えている。そのためソ連海軍は大陸南方に対潜艦隊や潜水艦を多数動員して制海権を確保しようと躍起になっていた。
輸送艦の不足は、マーゼス大陸への兵士や装備の派遣にも影響を及ぼしている。陸軍上層部は本来ならば3個軍規模の陸軍を派遣するつもりであったが兵士や装備を運ぶための輸送艦が不足していることから現在に至るまで増援部隊の派遣が進んではいなかった。
それでも、ソ連軍上層部はそれほど事態を深刻には受け止めていなかった。
一方でマルシア連邦を中核とする大陸諸国軍も「なんとか受け止めている」といった状況であり、こちらは現状ソ連軍を抑え込んでいることに関して決して楽観視はしていなかった。
ルノール王国中部 ファードル
王国中部にあるファードルは古くから大陸南部における交通の要衝だ。
ファードル近郊にはイリーニアから北上してくる街道と同じく大陸南部を東西に結ぶ街道が交わる。そのため、ルノール王国は大陸南部でもイリーニアと並んで発展していた。
ソ連軍はこのファードルを占領するために3個戦車師団と1個自動車化歩兵師団――空軍1個航空旅団を同地に投入していた。一方の大陸諸国軍もマルシア連邦の3個精鋭師団がファードルに防衛のために展開し、ルノール王国を中心とした大陸南部諸国からも1個師団規模の混成部隊がマルシア連邦軍の指揮下で守備についていた。
ファードル近郊に展開する大陸諸国軍を排除するために、イリーニアの首都・ヴェントレーにある国際空港からMig-35及びSu-24がSu-35の護衛がつく形で飛び立った。
大陸諸国軍もそれに対抗する形でマルシア連邦空軍の主力戦闘機である「ALT-1」はフランスのミラージュ2000に似た外観をしたマルチロール機であった。
ファードル上空で行われた空中戦は装備に勝るソ連空軍が優位であった。
マルシア側もエースパイロットたちを送り込んだがソ連空軍の長射程の対空ミサイル相手にはいくら経験豊富なエースパイロットといっても対処は難しかったようだ。ソ連側は早期警戒管制機であるA-50を現場空域に派遣していたが、マルシア側は早期警戒管制機を保有していなかったのもソ連側が戦闘を優位に進めた要因であろう。
マルシアもまた転移前の世界では十分な技術大国であったが、それでもソ連との技術力の差は大きく離れていた。制空権を確保したソ連軍は戦闘爆撃機であるSu-24やMig-35を用いて地上部隊などへの攻撃を行った。大国諸国軍も地対空ミサイルなどを使って反撃を試みこれによって数機の爆撃機を撃墜することができたが逆に攻撃によって対空機関砲や移動式レーダーなどが破壊されたことで、大陸諸国軍の攻撃精度が大きく減少した。
ソ連軍の攻撃はそれだけではない。
無数に配置した砲兵部隊による榴弾砲及び多連装ロケット砲による砲撃がファードル前に構築された大陸諸国軍の防衛陣地に襲いかかった。それでも、寄り合い所帯ながら大陸諸国軍の士気は旺盛であり、襲いかかってくるソ連軍の戦車軍団に対して彼らは勇敢に戦った。
彼らは時には自爆を覚悟した特攻を仕掛けるなどしてなんとかソ連軍の進軍を抑えようとしたが3日ほどで部隊は半壊。前線司令部はファードルの維持を諦め後方へと後退。ファードルの町はその翌日、ソ連軍によって接収された。
正暦2025年 5月27日
ソビエト連邦 モスクワ
クレムリン
マーゼス大陸の攻略が進む中、ソ連の最高指導者ゴルチョフの関心はマーゼスではなく足元のユーラシアに向いていた。
パキスタン軍機によるインド軍機撃墜から始まった第5次印パ戦争だ。
当初は、パキスタンが奇襲攻撃をすることで戦いを優位に進めていたがそれは精々数日間だけであった。体制を立て直したインド軍はすぐにカシミールとそれ以外の箇所からパキスタンの軍事施設に対しての攻撃を行い、更に旧インド洋で起きた海戦でインド海軍はパキスタン海軍の主力艦隊を撃破することで制海権を確保。国境付近の制空権もインドが確保していた。
パキスタン空軍は北中国と共同開発したFC-1の他にアメリカから200機あまりのF-16を導入し主力機にしている。パキスタンのF-16はインドに配備されたF-21に比べると近代化改修が施されていないものだがそれでも質・量共にFC-1と並んでパキスタン空軍の主力戦闘機だ。
しかし、そのF-16をパキスタン空軍は動かすことができなかった。
というのも、このF-16はインドとの戦いにおいて使用するなとアメリカから条件付きで供与されたものだ。そして、今回の印パ戦争勃発によってアメリカは電子戦機を飛ばしてF-16が飛行できないようにしたのだ。
パキスタン軍にとっての誤算はもう一つある。
人民解放軍が動かなかったことだ。
アメリカがインドと関係を深める中で、パキスタンの最大の支援国兼同盟国となっているのは北中国だ。北中国もまたインドの一部を巡ってインドと対立している。また、インドは伝統的に日本以外にソ連とも良好な関係を築いている。ソ連とも対立している北中国にとってみればパキスタンと関係を深めることでインドを牽制していた。
恐らく、行動を起こしたパキスタン軍の主戦派は人民解放軍も一緒に動いてくれると考えたのだろう。だが、中国共産党指導部はそんなことをすればインド・ソ連と戦争に突入するとわかっていたので動かなかったし人民解放軍への監視の目も強めた。そもそも、北中国は異世界の大陸であるダストリアの統治に忙しく他国のことまで手伝える余裕はなかったのだ。
それでも、新設された南海艦隊をスリランカ沖に動かすという挑発行為はしたようだが戦闘には直接介入はしなかったし、チベットの人民解放軍はインド領へなだれ込むこともしなかった。
「哀れだな。二つの国から捨てられるとは」
それもまた転移がもたらした悲劇なのかもしれない。
「ですが、人民解放軍の連中は随分と義理堅いようですよ」
秘書の言葉にゴルチョフは首を横にふって否定する。
「それは違うな。解放軍は自分たちが政治の主導権を握ろうとしている――その手段の一つが軍事行動さ。所詮あそこは地方軍閥の集合体だからな」
中国という地域はこれまで幾つもの国が興りそして消滅した。
中華帝国が崩壊し中華民国になった後も中国は地方軍閥が力を持ち中央政府の力は限定的だった。その地方軍閥の一つを自分たちの尖兵としたのがソ連であり、それが中国共産党の始まりだ。まあ、当時のソ連指導部は中国人という存在をよく理解していなかったようだが極東の敵である日本の視線を釘付けさせる存在として中国共産党を使ったのは事実だ。
ただ、日本は思いの外理性的だったので中国の諸問題には深く関与しなかった。するとしても中華民国への軍事的支援を行ったくらいだろうがそれによって中華民国は現実と異なり大陸南部を支配し続けることができたといえる。
今の北中国は経済成長とそれに伴う軍備拡張によって軍人たちが政治的に力を持とうとしてそれを党中央部が阻止しているという状態が続いている。解放軍の幹部たちは党最高指導部に面従腹背であり常に取り変わる隙を探っている。
だが、最高指導部もバカではない。
大規模な粛清などを適時行いながら解放軍の力を削いできた。
まあ、それは何も北中国だけの話ではない。
ソビエト連邦もまた似たことをしている。それによって、サハリンを失うことになったのは今でもソ連史上最大の汚点の一つだとゴルチョフは思っていた。いつかサハリンを取り戻す――という野心を持っていたがそれも転移によって消え去ってしまったが。
「どちらにせよこのまま中国が動かないのであれば、パキスタンは終わりだ。インドによる傀儡政権ができるかもしれんが、軍もただでは終わらん――とはいえ我々としては行動しようがないな。我々が動けば中国も動く。幸いなのはここにアメリカがいないことだな」
アメリカがいればより事態は混沌としただろう。
国連大使からの話では、今回のパキスタンの行動にアメリカはかなり激怒していたらしい。F-16を使用不能な状態にしたのもかなり早かったそうだから今後はパキスタンとの関係を見直しすることになりそうだ。
ただ、アメリカも思い切ったことをした。
パキスタンの情報部にはアメリカCIAが深く入り込んでいることは国家の中枢にいる人間ならば大抵知っている。しかも、長い時間をかけて行ったことを。今回それを切り捨てる選択をしたのだから。
(それもまた転移によるものか…)
転移によってアメリカは内向きになるのではないか――そんな話がKGBから出ていたがKGBの予測は恐らくあっているだろう。アメリカという国は時には外へ覇権的な動きをするが国内で厭戦気分が高まると途端に自分たちの殻に閉じこもる。良くも悪くも民衆の声によって動く国だ。
だからこそ、外から見ていると一過性がないように見える。
実際、時の政権によって意見が180度変わるなんてよくあることだ。
それが民主主義の欠点ではないか、とゴルチョフは思っていた。
とはいえ、ゴルチョフ自身は社会主義もまた問題が多いと考えていたが。




