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正暦2025年 5月9日
中央アメリカ ホンジュラス
4月末頃になってアメリカ軍が本格的な反抗作戦を始めた。
陸軍1個軍。海兵隊1個師団を中核とした地上部隊は、カナダやメキシコ軍のそれぞれ1個旅団と共に空軍や海軍航空隊からの支援攻撃を受けながら戦車を前面に出して中央アメリカの地を突き進んでいる。
一方のフィデス軍は6つの師団を中核とした1個軍団を投入していたが、満足な航空支援を受けられず前線の兵士の士気も大きく下がっているためか前進することができずそれどころかどんどん後退するしかない。
カリブ海の島々に関してもアメリカ海兵隊と陸軍空挺部隊による奪還作戦が行われておりすでにプエルトリコやイスパニョーラ島などに上陸していたフィデス軍はそれぞれ島から叩き出されていた。
「アメリカはまともな軍隊を持っていないって情報は何だったんだよっ!」
アメリカ軍に追い詰められた第13歩兵師団第132歩兵連隊に属する兵士長は上官から聞いた情報と現実が全く異なることに思わず悪態をつく。もちろん敵にバレないように小声でだ。
彼らが所属する第132歩兵連隊はホンジュラス中部の前線を進軍しようとしていた。連隊長からは「アメリカ軍は友軍の攻撃で満身創痍」などと言われていたのだが、実際に対峙してみれば満身創痍なのは自分たちだったことがわかった。連隊長は後方から前進を指示するが前進すれば敵に撃たれておしまいだ。
「連隊長――というか本国の奴ら。俺等を捨て駒にしようとしてるんじゃ…」
「可能性はあるフィデス人は俺らを同じ人間だと思ってないからな」
前線にいる兵士たちの多くはフィデスによって占領された国から徴兵された徴集兵たちだ。彼らが産まれた時にはすでにフィデス領であったが彼らにフィデスに対しての愛国心は一切ない。というのも、フィデス人たちが彼らを「二等市民」などと見下してくるからだ。
正直そんな連中のために体は張りたくないし、彼らは強制的に集められたのでそもそも最初から士気も低かった。連隊長はそんな彼らの士気を上げようとしたのだが、結局前線で元気なアメリカ軍を見た段階でそれが嘘だとすぐにわかってしまうのだった。
その時、ジェット機特有の音が彼らの耳に届いた。
それが友軍機ではないことは彼らがよく知っている。
やがて、姿を現したのは三角形のような特異な形をした航空機だ。
A-12攻撃機――A-10攻撃機を更新するために開発されたステルス攻撃機だ。アメリカ軍は無人攻撃機と共にA-12を前線に送り込みフィデス軍を消耗させていた。
「また妙なやつが来やがって…奴らはもしかして『エイリアン』なんじゃないか?」
「実際異世界人は『エイリアン』みたいなもんだろうさ」
その特異な形の航空機が誘導爆弾を投下し、近くにいた友軍の戦車部隊を文字通り血祭りにあげている。断続的に聞こえる爆発音と兵士たちが発する悲鳴によって彼らの精神はどんどん疲弊していく。
自分たちはいつまでこんな地獄を味わうのか――兵士長は禁止されている敵軍への投降を真剣に考え始めた。
コスタリカ サンフアン
フィデス人民陸軍 第1軍団 前線司令部
中央アメリカへの侵攻の先陣を務めた第1軍団。
しかし、アメリカ軍の参戦によって所属部隊の多くが消耗している。
当初は3個戦車師団と3個騎兵師団を擁していたが、現在無事なのはそれぞれ1個師団程度。残りは多くの兵士と装備を失い前線から後退している。
フィデス本国から追加で3個師団が送り込まれたが戦線は前進するどころか後退している。アメリカ軍の攻撃機や無人機を用いた攻撃に追加で送り込まれた師団の多くも被害を受けていた。
それでも、ジーヘルト中将たちに「撤退」という選択肢はなかった。
「参謀本部から追加で1個軍団を送り込むとのことです」
「やはり撤退は認められなかったか」
「残念ながら。総統閣下はお認めにならなかったようですし、軍上層部もまだやれると考えているようです」
「…そうか」
中将たちに「撤退」という選択肢がない理由は本国が認めないからだ。
特に最高指導者の総統は自分たちの邪魔をしているアメリカに対しての怒りが凄まじく徹底抗戦を全部隊に命じているほどだ。兵士も今は植民地から強制徴兵という形で集めているが練度はもちろんのこと士気も非常に低く、投降する者も後を絶たない。投降は認めない――と司令部が命令したところで元から愛国心も忠誠心もない徴集兵たちはそんな司令部の命令を無視して次々と投降する。それがまた、総統の怒りに油を注いでいた。
「前線の状況は?」
「相変わらず厳しいです。敵戦車はそうですが、制空権を完全に敵にとられているのが状況を更に厳しくさせています。特に敵は無数の無人機を前線に投入しているので手持ちの対空ミサイルで撃ち落としても際限なく湧いてくるようです。ですが、一番兵士たちを疲弊させているのはこの地域の気候ですね…」
「そうだな。我々は熱帯での活動経験は一切ないからな」
なにより前線部隊を疲弊させていたのは中央アメリカの気候だった。
熱帯気候は戦闘が長引くごとに兵士たちを精神的にも肉体的にも追い詰めていった。元々寒冷地域であったフィロア大陸ではこれほどの湿気と気温が一日ずっと続くことはなく兵士たちはこの慣れない環境で戦い続けていた。はじめはパナマやコスタリカなどほぼ軍事力を持たない国だったこともあり、移動だけだったがアメリカが本格的に参戦してからは連日戦闘が続くようになりこの気候で体調を崩す兵士が続出するようになった。
これによって、ただでさえ低い兵士の士気が更に下がっていた。
「レオス大将は参謀本部に部隊の立て直しをすべきと言っているようですが」
「上が聞き入れるとは思えんな…」
レオス大将は今回の作戦の総指揮官だ。
現場経験も長い名将として知られているが上層部からは疎まれており参謀本部の役職からは外されている。作戦前も第4方面軍司令官という東部国境地域にいたほどだ。指揮能力が高いという評価の下、作戦の総指揮をとることになったが最終的な判断はすべて参謀本部がするので「肩書だけの指揮官」といえる。
「第132歩兵連隊の内部で反乱が発生!連隊長が負傷し、反乱を起こした徴集兵たちは揃って敵に投降したようです」
「…これで何件目だ?」
「今回ので5件目ですね」
投降は認めないと締め付けた結果が、徴集兵による反乱だ。
特に、前線に送り込まれている部隊には徴集兵がたくさんいるので彼らが集団で反乱されると一気に部隊が崩壊――などというケースがこの数日間に続出していた。それだけ、相手の度重なる攻撃によって兵士たちの精神が疲弊しきったのだろう。逃げたくても逃げられないならば、自分たちを止めようとしている存在を排除すれば良い――そう考えた徴集兵たちは連隊長や中隊長といった士官を襲撃し、そのまま敵に投降するのだ。
もう軍隊としての体裁すらなくなっているといえるが、それでも上層部は後退は認めることはない。それどころか「抵抗するものは排除しても構わない」というお達しまで出る始末だ。実際にそれをやっている指揮官もいるようだが、大部分が反乱した状態では数の暴力によって逆に襲われておしまいだった。
「…参謀長。第1軍団全体に後退命令だ」
「よろしいのですか?」
「このまま戦わせても全滅するだけだ。責任は私がとる」
「…わかりました」
フィデス人民共和国 ディンバース
国防省
「徴集兵を中心に敵に投降する兵士が続出しています」
「所詮は二等市民か…偉大なるフィデス国民になるチャンスだというのに敵に投降するなど…万死に値する!」
そう言って怒りのままに机を叩くのは国防長官のフィスター大将だ。
総統命令に伴い敵への投降は禁じられているにも関わらず前線では徴集兵を中心に敵に投降する部隊が続出していた。当然、それを知った総統は激怒し、その矛先は国防長官であるフィスターに向いた。
そして、そのフィスターの怒りの矛先は徴集兵や眼の前にいる秘書へと向かっていた。まあ、つまりは八つ当たりである。
「なお、第1軍団は戦力の消耗を理由に後退。代わりに第6軍団が前線に出ていますが、敵の航空攻撃を前に苦戦している模様です」
「東部管区軍から3個師団を前線にまわせ」
「よろしいのですか?フィロス連邦への備えが薄くなりますが」
「あいつらがフィロス山脈を越えるわけがない。それくらい誰でもわかることだっ!」
「…失礼しました」
怒りの矛先が向かったことから秘書はすぐに引き下がる。
フィロス連邦はフィロス山脈の東側に位置している国で、フィロア大陸ではフィデスに次ぐ国力を持つ。といっても、フィデスとの軍事力の差は非常に大きい。それでも、フィロス山脈という鉄壁の守りのおかげで現在までフィデスによる攻撃をほぼ受けていなかった。
それをいいことに、東部諸国を纏めてフィデスに対抗する軍事同盟「フィロア同盟」を設立。国境沿いで睨み合っていた。フィデスにとってはアトラスと共に目障りな国の一つだがアトラスと同じく自ら仕掛けるということをしない国でもあった。
実は、転移前のフィデスはこのフィロス連邦を攻略するための準備を進めていた。陸軍1個軍や海軍1個機動艦隊などを投入して実施する予定だった作戦は転移に伴い延期となり、フィデス上層部は新たに出現した大陸のほうが侵略しやすいと判断して中央アメリカへの軍事侵攻を始めた。
実際、最初の頃は上手くいっていた。
中米はどれも小国ばかりでフィデス軍に対応できるだけの軍事力は持っていない。戦車を持っている国事態がほぼなく、仮に持っていても製造から半世紀以上経った旧式かあるいは戦後すぐに製造された軽戦車が少数配備しているくらいだ。
空軍戦力に至ってはジェット戦闘機を保有しておらずほとんど妨害を受けることもなかった。だからこそ、フィスターも含めて1個軍団で十分足りるだろうと考えていた。
だが、ニカラグアを超えた後にアメリカ軍が待ち構えていた。
そこから、フィデスの進軍は完全に止まった。
今では、沿岸部にある早期警戒レーダーが破壊されたことから定期的にアメリカ軍の爆撃機や巡航ミサイルによる攻撃が内陸部にある軍事施設を中心に届いており兵站なども破壊されている。
こういった情報は、箝口令がしかれているので一般に流れることはないし。基本的に兵士たちにも伝えられていない。自分たちの国が厳しい状況にあるなどいったら士気が更に下がると軍上層部が判断したからだが、まあそんなことをしなくても徴集兵の士気は当初から最悪であり最近では士官の間からも「このまま戦う意味はない」と考える者までいた。
「それもこれも全てアメリカが悪い…確実に我が国を敵にまわしたことを後悔させてやるっ!」
などと、机をたたきながら言うフィスターであったが具体的な策が彼の中にあるかといえばなにもない。というよりも、軍はアメリカに一矢報いるために様々な手段を講じてきた。
それこそ、爆撃機を飛ばしてみたり先日のように弾道ミサイルを発射してみたりとしていたがいずれもアメリカ軍によって撃退されている。つまりは、もうとれる手段はなにもない。総統はフィスターになんとかアメリカに一矢報いる作戦を考えろ、と無茶振りをしフィスターはそのまま参謀本部の作戦部に同じ無茶振りをしていた。
(一体どうなるんだろうな…この国は)
フィスターの怒号を半ば聞き流しながら秘書官は国の未来を本気で心配になってきた。




