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アーク歴4020年 4月23日
ガゼレア共和国 南方沖
アトラス連邦海軍 巡航ミサイル潜水艦「リーバス」
ガゼレア共和国から2000kmほど南方の沖合の海中に一隻の潜水艦が潜航していた。
巡航ミサイル潜水艦「リーバス」
水中排水量15,000トン。全長150mを超える大型潜水艦だ。
その機関には核融合推進を採用しており原子力潜水艦に比べて静粛性が極めて高い潜水艦だ。弾道ミサイルを保有しない同国にとってはこの「リーバス」の存在は極めて重要になる。
リーバスには最大で120発を超える巡航ミサイルが搭載されており、1隻だけで地上目標へ向けての飽和攻撃を行うことができる。
潜水艦の中枢ともいえる司令室には数人のエルフたちがそれぞれ前にあるディスプレイを監視していた。その中で大佐の階級章をつけた女性エルフが手元にある時計に目をやっていた。
「そろそろ時間ね。副長、準備は?」
「すでに目標地点の座標指定は終わっています。命令があればいつでも発射できます」
大佐――リーバス艦長の問いかけに答えたのは中佐の階級章をつけた女性エルフであった。潜水艦という閉鎖空間は長らく乗員は男性のみで構成されていたがアトラス連邦海軍は20年ほど前から女性も潜水艦の乗員になれるように制限を撤廃していた。そのため、女性艦長や副長というのは特に珍しいことではない。ただ、艦長と副長。どちらも女性であるケースは女性軍人が多いアトラスでも珍しいことだ。
日本でも10年前から女性乗員が潜水艦に乗り込むことが解禁されている。女性艦長も一年前に誕生し、その時はメディアでも大きく取り上げられていた。ただ、世界的に見ると日本やアトラスのように女性が潜水艦の乗員となるケースは珍しく、女性潜水艦艦長というのはほぼ例がなかった。
そんな彼女たちに課せられた任務はただ一つ。
ガゼレア共和国への報復攻撃だ。
もちろん、目標は軍事施設に限定している。
それが、できるだけの精密攻撃を行えるだけの軍事力をアトラスは有している。この3ヶ月の間に多くの衛星を打ち上げたがそのほとんどは軍事衛星やGPS衛星だ。それらを総動員することで今回の報復攻撃が実施できる。
「では、やりましょうか」
「了解。攻撃開始!」
「了解『エルシオン』発射します」
リーバスが搭載している巡航ミサイルは「エルシオン」という。
最大射程3,600kmを誇る対地巡航ミサイルだが、派生型として対艦ミサイルとしても運用できる多目的弾頭を搭載したものもあり潜水艦を始め水上艦艇や航空機搭載など幅広いプラットフォームに対応していた。
リーバスはミサイルを発射するために潜望鏡深度まで浮上した後14基あるVLSから次々と巡航ミサイルを発射した。
ガゼレア共和国 ディスピア
大統領官邸
「ガリアから作戦が失敗したという報告が届いたのだが。どういうことなのかな?」
「そ、それは…」
ガルバーニ大統領から詰問されているのは、アトラスへの軍事侵攻を強硬に主張していた国防大臣のトラード大将だ。まさか、ガリアから作戦が失敗したという報告が大統領の下に届くと思っていなかったトラードは冷や汗を垂らしながらどうやって言い訳をしようかと必死に頭をひねる。
渋る大統領に対して「絶対に上手くいく」などといって強引に軍の派遣を決め、更にガリアに対しても大臣の独断で軍事支援を要請していた。これを大統領に問題視されても作戦が成功すれば言い逃れができると思っていたトラードは失敗した時の言い訳を一切考えていなかったのだ。
「私は様子を見るべきだと言ったが、君たちは『絶対に上手くいく』と半ば強引に軍を派遣することを決めたわけだが。その結果、一つの艦隊は壊滅し陸軍の外征部隊にも大きな被害が出た。これでもし、敵が攻め込んできたらどうやって国を守るつもりなのかね?」
「か、仮に攻め込まれたとしても蛮族どもに我々は絶対に負けません!」
「ガリア側からも『アトラスを攻めるのはリスクがある』という懸念が伝えられたらしいが、それを聞いても君はこの作戦は成功すると考えていたということかね?」
「当然です!我々神に選ばれし人間が亜人などという人擬きに遅れをとるなどありえません!」
責められているはずなのになぜか得意満面の表情で言い切るトラードにガルバーニは思わず呆れた視線を向けてしまった。
「――ともかく、アトラスが反撃してくる可能性が高い。軍は国を守れるのだな?」
「当然のことを聞かないでください閣下。蛮族共が攻めてきてもすぐに追い返してみせます」
「――そうか。期待しているよ」
「ええ。では、失礼いたします」
最後はいつものふてぶてしい態度で部屋を出るトラード国防大臣。
しかし、彼はこれから数時間後に再度、大統領に呼び出されることとなる。
そして、それは彼の進退はもちろんのこと軍全体を揺るがす大騒動へとなっていく。
ガゼレア国防省
「全く、ガルバーニの奴め…所詮我々の協力がなければ大統領になれなかったくせにこの私に説教などしおって…絶対に後悔させてやる」
官邸から国防省へ戻ったトラード国防大臣。
自分の庭に戻ってきたのでガルバーニ大統領への不満がブツブツと口から出てくる。
「早速、反大統領派に不信任を出せば協力する――と匂わせておくか。神輿のくせに我々に反抗してきたことを後悔させてやる」
ガゼレア共和国は一党独裁国家であるが、同時に軍部の政治に対しての力も異常に強かった。まあ、そもそも国防大臣が現役の軍人でなければならないという法律がある時点で軍部が政治に深く関与できる土壌が形成されていることを見れば軍部の力が強いのは仕方がないだろう。
そして、このトラード国防大臣は特に政治的野心が異常に強かった。
それこそ、将来の大統領の座を狙っているほどに。
しかし、あまりにも野心が強すぎるが故に軍部でさえ彼を大統領にすることには難色を示す声が多かった。とりわけ、その傲慢な性格は部下たちからも嫌われていた。
ただ、こうして国防大臣にまでのし上がったように政治能力は非常に高い。
軍人ではなく政治家となっていれば早くに大統領などになっていた可能性もあったほどだ。ただ、やはりその人柄から周囲の反発は受けやすく政治家になっていたとしても大統領になれたかはわからない。そして、当人は自分が周囲から嫌われているということを自覚していなかった。
どうすれば、カルバーニを大統領の座から引きずり降ろそうか、と考えていると唐突に電話が鳴り響く。トラードは苛立たしく受話器をとって耳にあてる。すると、電話越しから非常に緊迫した声が聞こえてきた。
『た、大変です。閣下!』
「どうした。騒々しい」
『ふ、複数の基地が攻撃を受けました!』
「なんだとっ!?どういうことだ!」
『じ、巡航ミサイルが複数の基地に着弾したのです!現在、情報収集の途中ですが、被害は甚大かと』
「――分かった」
トラードは受話器をおいて机を怒りに任せて叩く。
「おのれ…おのれ蛮族め!このガゼレアを攻撃したことを必ず後悔させてやるっ!」
アーク歴4020年 4月24日
アトラス連邦共和国 ヴェルス
大統領官邸
「ガゼレア共和国の主要軍事施設に対しての攻撃は成功しました。これでガゼレア共和国の外征能力はほぼ喪失したと想定されます」
ガゼレア共和国に対しての報復攻撃は成功した。
ほぼ、軍事施設に限定した攻撃であったが巡航ミサイルの飽和攻撃によってガゼレア共和国の海軍・空軍基地及び、陸軍の駐屯地に甚大な被害が出ていることが軍事衛星でも確認された。民間地の被害もほぼ確認されておらずこれでガゼレア共和国がアトラスにさらなる軍事侵攻を行う可能性は限りなく低くなった――と、アトラス軍の統合参謀本部は判断していた。
もっとも、ノーリッポ島を含むフローリアス諸島周辺の警戒は当分の間続ける方針であり、ガリア帝国に対しても同様の報復を行うべきかという検討も行っていた。
というのも、世論がガリアに対しての報復を求める声を上げているのだ。
普段は、何かと政府の軍事行動に批判的な論調をとる野党も今回ばかりは政府に対して「徹底的な報復をすべきだ」と言っていた。
「ガリアに関しての対応は?世論は報復を望む声が大きいですが」
「現在、統合参謀本部で議論を重ねていますが。ガゼレアと同様に軍事施設への巡航ミサイル攻撃を考えています。ただ、ガリアは多くの軍事施設を抱えていますので、一部を攻撃すれば逆にガリアによる攻撃を誘発する可能性もあるため攻撃目標はかなり慎重に選定している状況ですね」
疲れたような表情でカーペンター国防大臣は答える。
「ガリアはどうやら、我が国に対してそれほど積極的な攻撃をする意思はないようなのです。徒に報復すると今度はガリアが我が国に大規模な軍を派遣する可能性も否定はできませんし、そうなると他国からの支援を受けなければ対処するのも難しいです」
PTOに加盟していて本当に良かったです、と付け加えるカーペンターにブラウンも同意するように頷く。
ガゼレアは小国だがガリアは5大国の一つだ。
その兵力はアトラス以上と言われている。ただ、外征能力はそれほど高くはないという話だったが実際のところは不明だ。なにせ、ガリアに関する情報は世間でもあまり出回らない。それだけ、世界から孤立しているともいえるが、それが今回に関しては不気味に感じてしまう。
正暦2025年 4月25日
日本皇国 東京市新宿区
国防省 情報本部
「120発の巡航ミサイルを正確に目標に着弾させる…やはり、アトラスの技術力は相当なものだな」
国防省情報本部で主に他国軍の情報解析を担当している職員はアトラスがガゼレアに行った攻撃がほとんど民間地に被害を及ぼさないものだったことに驚嘆した。
昨今、衛星通信網が発達したことによって精密攻撃の精度は飛躍的に向上した。それでも「絶対に軍事施設以外を攻撃しない」というのは現代でも難しいことだ。国軍の施設はわかりやすいとはいえ、何かの拍子で関係のない場所に誤爆する可能性も否定できない。その中で無数の巡航ミサイルを的確に目標地点に着弾させているアトラスの軍事技術の高さは、地球の列強並かそれ以上のものといえるだろう。
「アメリカが見たらより警戒するかもしれんなぁ」
アメリカという国。自国の脅威になると考えたら割りと見境のない行動を取ることが多い。すでに、アメリカ国内ではアトラスを警戒する声が出始めているし、保守派の間からは「日本などと組んで自分たちに対抗するのではないか」という一種の被害妄想まで広がっている。
それだけ、アトラスの軍事力と技術力を脅威に見ているということなのだろう。まあ、何もしていない日本に対してまで疑いの視線を向けるのは勘弁してもらいたいところだが。
「これで、ガゼレアの外征能力は大きく低下――問題はガリアとかいう大玉か」
アトラスがガリア帝国に対してどのような対処をとるのかはわからない。
ただ、向こうの世界で「5大国」の一角に名を連ねるような大国らしいのでガゼレアに対して行ったような報復攻撃は躊躇しているようだ。相手がそれで大軍を向かわせたらそれこそ全面戦争だ。
まあ、仮にそんなことになったらPTO加盟国の危機なので日本を含めたPTO加盟国が軍を派遣することになりヨーロッパや中米に次ぐ規模の大規模な戦闘に発展するのは間違いないだろう。
そして、こうなる可能性は非常に高い。
なにせ、アトラスとガリア・ガゼレアの間には一切の外交ルートが存在しない。つまり、話し合いでの事態解決へ持っていくのにかなりの時間がかかるし更に「人間主義国家」である両国が亜人国家であるアトラスとの間でまともな話し合いができるとも思えない。
「ガリア帝国の軍事力に関しての調査が必要だが…」
問題はガリア帝国に関する情報をアトラスですらほぼ持っていないことだった。




