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正暦2025年 3月26日
日本皇国 台湾州 高雄市
この日。台湾州全域で独立の是非を問う住民投票が行われていた。
南部にある台湾第二の都市・高雄でも朝から市内各所に設置された投票所に多くの市民がやってきて投票していた。今回の住民投票は台湾や国内はもちろんのことイギリスなど周辺諸国からも関心を集めており主要な投票所などには多くのテレビカメラが詰めかけ記者などが投票を行った住民に対して取材を行っていた。
殆どの住民は独立に反対だと答えていた。
中には「台湾は独自に歩んでいくべきだ」と賛成に投票した――と答える住民もいたがその数は非常に少ない。過去すべての住民投票で圧倒的に「日本残留」が多数派だっただけに主要メディアの多くは「今回も独立はしないだろう」という報じ方をしていた。
台湾独立勢力は投票前日まで「独立すれば自分たちの思い通りに国を動かせる」だとか「日本本土に搾取されずに済む」など独立に向けて投票するように呼びかけを行っていたようだが住民たちにはほぼ相手にされていなかった。
台湾州の人口のうち半数ほどは自らを台湾系日本人と名乗る華人だ。
彼らの多くは日本が台湾を領土化する前に主に華南地域から台湾へ移ってきた者たちの子孫だ。すでに多くが日本による教育を受けてきたことから自分たちは日本人だと考えており独立に否定的な意見を持つ者も多い。
更に多いのが日本本土から台湾へ移住者の子孫だ。
彼らもまた日本への帰属意識が強い。
三番目に多いのが中華戦争などによって大陸から台湾に移住してきた華人たちで彼らはそれほど日本への帰属意識は強くはなく、台湾独立勢力を率いているのは基本的に大陸から近年移住してきた住民が多い。
地方部では更に先住民族が生活している。先住民は日本の支配に抵抗していたこともあるが今は自分たちの権利が守られていることから日本本土への反発はほぼなくなっていた。
投票は夜8時に締め切られた。
そして、すぐに開票作業が各地で行われた。各所から動員されたアルバイトや自治体職員たちは夜通し開票作業を進めたがその結果は、独立反対が全体の9割を占め先月が続いた台湾の独立騒動はこの投票結果で一つの区切りとなった。
翌日
台湾州 台北市
台湾独立党 本部
『これは不正選挙だ!政府が何か操作をしたに違いない!』
一夜明けた台湾独立党本部ではその選挙結果を知った幹部たちが怒り狂っていた。彼らからすれば今回の選挙は「手応え」があった。仮に否決されたとしても独立賛成派が一気に増えるだろうと本気で思っていた。
しかし、実際は全投票の9割が独立反対。
独立賛成票は全体の1割にも満たないという過去にないほどの大敗北を喫したのだ。ちなみに無効票が大量にありその中には「もうこんな無駄な投票はやめろ」とか「独立運動に我々を巻き込むな」といった独立勢力を反対するような文言が投票用紙にかかれていたことが今朝のニュースで流れておりそれを見た幹部たちは更に怒りのボルテージを上げていた。
『そもそも、ここは本来ならば中国の領土だ。それを日本が奪い取った!』
などと叫ぶのは30年前に台湾に移住し、日本へ帰化した華人の独立運動家だ。
とはいえ、台湾は中華連邦などの前身である中華帝国の領地になったことは一度もない。1680年に鹿児島駐屯の軍が上陸して当時の台湾王朝と接触。その後1725年に台湾王朝でクーデターが勃発した際に王朝側が日本に支援を求めた結果、日本軍が上陸し制圧した。
中華帝国は「台湾は我々の領土」だと反発したが日本政府は「いや、台湾は独立国だったけれどウチへの併合を望んだから」といって取り合わずに1730年に正式に日本領として併合されたわけだ。
この時、先住民族などは日本併合に抵抗して半世紀ほど日本は台湾平定に手間取るが先住民族と和解し彼らの権利を認めるなどして全域が「台湾総督府」の管轄下に入り、日華戦争後に「台湾道」となった。
このときに中華帝国は台湾の領有権を放棄しており、その後の中華民国も概ねそれを(渋々ながら)引き継ぎ中華連邦にも引き継がれている。ただし、分断中国の北側である北中国は分断時からずっと「台湾は我が国の領土。中国の一部である」という主張を現在でもしていた。
台湾における最初の独立の是非を問う住民投票が開かれたのは第二次世界大戦後の1946年のこと。日本が東南アジアの植民地への独立を働きかけていた時で欧米から「じゃあお前のところもやれよ」と言われたので台湾や南洋諸島と樺太で行った。
結果はどちらも「日本残留」を選んだことから引き続き台湾は日本の一領土という道を進む。台湾独立勢力はこの時から少数ながら存在していたがそれが組織化したのは南北中国による中華戦争が停戦した1960年代からで構成員の殆どが大陸から台湾に逃れてきた「外省人」であった。
この独立運動の背後には中国国民党と中国共産党がいた。
中華民国の支配政党であった国民党は表面上は日本の台湾領有を認める立場ではあったが内部では「台湾内部に独立派を増やし日本から独立させて併合してやろう」と考えてそのための工作活動を行っていた。同じことは中国共産党も行っていたが共産党の活動はまだこの時はそれほど活発ではなく、1960年代は中華民国主体で行ったものだ。
そのため台湾では1960年代に2回。更に住民投票が行われたが独立反対が過半数になった。その後、中華民国は民主化の末に中華連邦となり、中華連邦政府は台湾の独立工作から足を洗う。
その代わりにやってきたのが中国共産党であった。
共産党はコツコツと工作員を台湾に送り込んで独立運動を活性化させようと工作していた。そして更に4回の投票が2000年代までに続いたのだがどれも独立反対が多数派となった。
この間の台湾は重工業や電子産業が大いに発展していき、日本でも屈指の工業生産額を叩き出す工業地帯となり住民の生活レベルも本土の東京などに匹敵するレベルにまで成長していった。
逆に、台湾独立の機運は更に低下していった。
というのも、住民の大半が自分を「台湾系日本人」と認識するようになったからだ。同様の事は樺太や南洋諸島でも起きていた。
これに焦ったのは北中国の工作員だ。
生活レベルが向上すれば独立への欲が出てくるだろうと考えていた彼らはまるで逆のことが起きたことに大いに慌てた。それでも、台湾独立勢力である「台湾独立党」を結成し、ある程度の数になった「外省人」の勢力を味方につけて州議会に議席を維持できる段階にはいったのでそこで徐々に侵食を進めていこうと考えていた矢先に起きたのが「異世界転移」だった。
これで、工作員は本国からの支援や人員供与を受けることができなくなってしまった。
仕方がないので彼らは独立運動家を煽ることで8回目の住民投票を行わせたのだが結果は過去最悪レベルの大敗北である。工作員はもう台湾での独立工作は上手く行かないと悟ったわけだが、彼らが集めた独立勢力はもちろんそう簡単に諦めるわけがない。むしろ「これは捏造だ」と激怒し暴走を始めようとしていた。
『こうなったら我々の手で台湾を真の独立へもっていくしか無い!』
『そうだ!今こそ決起の時だ!』
(これはまずいことが起きるな…その前に南に逃げるか)
独立党を公安警察が監視していることは工作員も知っていた。
公安警察が動き出す前に早く姿を隠そうと、工作員は決意し決起を叫ぶ独立運動家たちに気づかれないように外へ出た。
「どうやら、奴らは動き出すようだな」
台湾警察公安部の捜査官である金子警部補は台湾独立党の幹部たちが動きを見せたことを察し、本部へと連絡をいれる。すぐ近くには機動隊と更にこういったあらごとに慣れている保安隊のそれぞれ一個中隊が待機していた。
保安隊――元々は陸軍憲兵隊の一部門として主に治安維持活動にあたっていた部署だ。公安警察と共に第二次世界大戦前から共産主義者や一部の国粋主義者などの取締を行っていた。その苛烈な取締手法は現在になって人権主義者の間で問題としてやり玉に上げられるほどだが、それだけ当時から日本は共産主義者や国粋主義者といった極左・極右による騒乱を酷く恐れていたといえる。
第二次世界大戦後に海軍の海上警備部門と共に軍から内務省傘下の保安庁に移管され「保安隊」と名前を変え、1992年には内務省から警察庁と共に分離し「保安省」となり、保安隊は保安省の管轄となった。
有事の際は国防省に管轄が移り陸軍参謀本部の指揮下で陸軍の後方部隊として運用されることから階級なども軍のものに準じている。
「今日はよろしくおねがいします。王中佐」
「こちらこそよろしくお願いします。西警部」
台湾警察第一機動隊の西警部とがっしりと握手をかわすのは保安隊側の指揮官である王憲一中佐。
どちらも保安省管轄の保安隊と警察機動隊。
保安隊は機動隊以上の武装をしており主にこういった過激派組織の鎮圧や災害派遣などに駆り出される。
「それで今回の罪状は――スパイ防止法ですか?」
「ええ。現役の州議会議員もいますが、逮捕状はこのように準備してあります」
「ある程度の抵抗は予想されます。恐らく北中国の工作員も紛れているでしょう。我々が先行しても?」
「ええ、構いません。こういったあらごとは保安隊に任せたほうが確実ですからね」
「では――」
「ええ。参りましょう」
一通り打ち合わせを終えた保安隊と機動隊は台湾独立党が入る雑居ビルへと静かに突入した。事務所があるのはビルの3階で保安隊と機動隊は正面と裏手の二つのルートから三階を目指す。
「ここが事務所か」
「小隊長。怪しい中国人をC小隊が見つけ拘束したようです」
「了解。そちらはC小隊に任せよう。俺らは突入するぞ」
「いつでもいけます」
「よし、3・2・1…今だ!」
小隊長の声にあわせて保安隊員が事務所へとなだれ込む。
事務所では、今から決起をしようと幹部たちが声をあげていたがそこに突如として武装した保安隊員がなだれ込んできた。
「保安隊だ。手を上げろ」
「な、なんだお前たちは!」
「だから保安隊だ。お前らにはスパイの疑惑がある。大人しく警察まで来てもらおうか」
「我々は認められた政治活動をしているだけだ!それを阻止するとは国家権力の横暴だぞ!」
「そんな御託は警察署で言うんだな」
「くそっ!」
一人の幹部が保安隊員に飛びかかるが保安隊員は男をかわしてそのまま床に押し付ける。
「は、離せ!保安隊は一般市民に手を上げるのかっ!」
「残念ながら活動家は一般市民とは認められてないんだよ。この国ではな」
「この国は間違っているっ!」
「海外の手先としてこの国を混乱に陥れようとしていた奴に言われたか無いな。お前らが武器を隠し持っていることもしっかりとこっちは掴んでいるんだ。言い逃れは出来ないから覚悟しろよ?」
独立党の幹部たちは必死に抵抗しようとするが、全員が保安隊員によって抑えつけられている。その間に機動隊や他の保安隊員たちはビルの隅々を捜索していた。そして地下を捜索していた部隊から通信が入る。
『こちらB小隊。爆発物や機関銃など銃火器を多数見つけた。これより押収する』
『こちら中隊本部。でかしたぞ、これで奴らが台湾で混乱を起こそうとした証拠になる』
「よし、証拠も見つかった。連れて行け」
尚も抵抗しようとする幹部たちを抑えながら階下に降りると、C小隊によって拘束されたと思われる数人の東洋人風の男たちが連行されている姿だった。それを見た独立党の幹部は「お前逃げたのか!?」と東洋人の男に詰め寄っていたが男は何も答えなかった。拘束された党幹部と東洋人の男たちはそれぞれ車両に詰め込まれ事情聴取のために台湾警察本部へと移送されていった。
同日の正午のニュースでは「台湾独立党の幹部などがスパイの疑いで警察に拘束された」とこの件をトップニュースで伝えられた。一部の左派系市民団体などは「国家権力の横暴」として今回の警察や保安隊の捜査体制を批判していたがこのニュースを見た台湾の住民たちは「あいつら怪しかったしな」と拘束は妥当だという意見が多かったという。
イギリス連合王国 ロンドン
首相官邸
「へぇ…台湾でスパイの一斉検挙ね。日本の警察も中々派手に動くわね」
「どうやら北中国などが深く関与していたようです。恐らく日本は今後もスパイ狩りを積極的に行っていくでしょう」
ハワードに台湾のことを伝えたのは秘密情報部の長官だ。
「日本はそういったこと甘いと思っていたのだけれども…」
日本で大規模なスパイの摘発があったという報告を聞いたハワード首相は内心少し驚いていた。これまでの日本のイメージは仮にスパイがいても積極的に摘発をしないと思っていたからだ。というのも過去の日本はかなり苛烈な取締をし、そのことが国際社会で問題になったからだ。
普通ならばそんなの無視すればいいのだが歴代の日本政府は「世界の声」というものに弱く。以後、スパイの摘発をそれほど苛烈に行わなくなった。アメリカの保守派などは「弱腰だ」と痛烈に日本を批判していたし、イギリス内部でも同様の意見を出ていたほどだ。
「転移が関係しているのかもしれませんな」
「――ところで、我が国はどうなのかしら?」
「怪しい組織は幾つか――アイルランド独立勢力にソ連の工作員が転移前に接触していたという情報があります」
「また、厄介なところが関わっているわね…」
アイルランドの独立運動過激派にソ連の工作員が接触しているという話にハワードは渋い顔になる。アイルランドの独立運動は昔に比べればだいぶ下火にはなったが完全になくなったわけではない。なんとか、自治権を大幅に認めるなどのことをしているがイギリスからの完全な独立を求める声はまだアイルランド内には根強く、独立派はアイルランド議会にもそしてイギリスの国会にも一定数いた。これは、スコットランドやウェールズでも同じだった。
「当分は独立派の動向を監視する必要がありそうねぇ…」
後日。アイルランド議会でも独立の是非を問う住民投票の実施を求める声が野党側から噴出。イギリス下院でも同様の意見が相次ぎ議会が紛糾する事態となる。




