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正暦2025年 3月25日
マーゼス大陸 イリニーア自治州(旧イリーニア共和国)
ソ連軍がマーゼス大陸の南端にあるイリーニア共和国へ軍事侵攻して二ヶ月あまりが経った。最初に軍事攻撃を受けたイリーニア共和国は二週間あまりでソ連軍によって占領された。
現在のイリーニア共和国は全土にわたってソ連によって併合され「イリーニア自治州」が作られ、ソ連軍による軍政によって統治されている。住民の多くは占領される前に他国へ逃れており、政府要人たちも別の国へ亡命する形で国を離れている。
現在、イリーニア自治州には陸軍10万人。海軍1個艦隊。空軍2個航空師団が配備されており部隊は更に増強されている。ソ連国防省は最終的には地上部隊だけで50万人ほどを上陸させて周辺諸国へ本格的に侵攻を始めるつもりであり、すでに隣国のアンガード共和国の大部分を占領していた。
ただ、マルシア連邦を始め大陸諸国の義勇軍が続々と集結するようになったのでソ連軍もこれまでの通りの速度で進軍することはできなくなっていた。それでも現地のソ連軍は状況を楽観視していた。
というのも、彼らから見てマルシア連邦などの装備はやや遅れており戦車はかろうじて第3世代主力戦車を見ることができるが大半は第2世代の主力戦車。戦闘機も第3世代機がメインで時折第4世代機を見る程度。海軍に関しては現在の所ほぼ動きはなかったからだ。
とはいえ、楽観視はしているが油断はしていない。
特に、マルシア連邦に関してはかなり強く警戒していた。
「マルシア連邦は厄介そうだな」
「ええ。他の国々はイリーニアと大して変わらない軍事力ですが、このマルシアだけは頭一つ抜けている。正面からぶつかるには最低でも地上軍だけでも50万人規模は必要かと」
「…我が国の輸送力ではいつになるかな」
参謀の報告に遠い目になる地上部隊指揮官のグリコフ中将。
ソ連軍は陸での戦いはその物量を発揮できるのでめっぽう強いのだが、海上輸送という点では大きく不足していた。今回も国営の海運会社の貨物船などを使って輸送していたくらいだ。樺太侵攻や北海道侵攻も想定していたがどうしても陸軍や空軍に予算は流れ。海軍に流れる予算も戦闘艦や潜水艦に消えたので補助艦艇の建造にはまわらなかった。
まあ、そもそも大規模な輸送力を持つ国はアメリカと日本くらいしかなくそれ以外の国も基本的に軍独自の輸送手段はなく有事の際は民間に頼む。日本だって大規模な海外派遣は考えていないので海軍の輸送力は1個軍団を運べる程度だ(これでも十分すぎるレベルだが)
ソ連は陸軍の装備を輸送するのに海軍を護衛につけてユーラシアとマーゼスの間をひたすら輸送艦を送り込んでいる。幸い大陸南部にはまともな海軍戦力がないらしくほとんど妨害されることはない。マルシア海軍と思われる艦艇による襲撃を受けたが護衛艦艇によって退けている。ただ、マルシアは空母を保有しているという話もあるのでこちらも油断することはできなかった。
「長期戦になるのは想定内だ。兵站さえしっかりしていれば我々はいつでも戦えるからな」
アンガード共和国 北部
イリーニア共和国の北隣にあるアンガード共和国。
イリーニア半島の北部にあり人口400万人ほどの小国だ。大陸の奥地へ向かうにはこの国を通過する必要がありすでにソ連軍は半島の付け根にあたる同国の北部まで進出していた。しかし、そこで待ち伏せていたのはマルシア連邦軍南部方面軍を基幹とする大陸諸国軍約15万であった。
アンガード共和国北部でソ連軍とマルシア連邦を主体とする大陸諸国軍による戦闘が続いていた。数の上では大陸諸国軍が優位ではあったが、戦闘自体はソ連側有利でことが進んでいた。
マルシア連邦南部方面軍が主力としている「P-66」戦車はアメリカのM-60戦車に似た砲塔が丸みを帯びたデザインをした戦車で、主砲も105mm砲であった。同国では120mm戦車砲を搭載した戦車である「P-80」も存在するのだが数が揃いきっておらず南部方面軍にはほぼ配備されなていなかった。
一方で、ソ連の主力戦車はT-90であった。
T-72をベースにした第3世代主力戦車で約4000両がソ連陸軍に配備されていた。T-90はP-66相手に有利に立ち回りその多くを撃破した。大陸諸国軍側も対戦車ミサイルなどを使って反撃を試みておりこれにより旧式のT-72やT-80などに若干の被害は出ていたがソ連軍全体としての損害は軽微であった。ソ連軍は海軍の空母からの航空支援などを受け着実に前進を続けていた。
アンガード共和国 タラクシー
大陸諸国軍 前線司令部
アンガード共和国最北部にある都市・タラクシー。
ここには、大陸諸国軍の前線司令基地が置かれていた。
市民の大半は戦火から逃れるために事前に避難しており、市内にいるのは軍人しかいない。
マルシア連邦陸軍南部方面軍司令官であるライアン・ブライアント中将は戦況が確実に悪化していることを実感していた。
「グラークソン大佐。君はこの戦どうなると思う?」
「あと数日で前線は崩壊するかと」
中将は今後の展開を作戦参謀であるグラークソン大佐に尋ねるが彼から返ってきた答えはかなり厳しい見通しであった。
「数日か…」
「はい。相手の機甲戦力と航空支援で諸国軍の機甲戦力はすでに半壊しています。なんとか戦線を維持していますが、それも数日で限界になり一気に突破される可能性は高いでしょう」
「――潮時か」
「ええ。アンガードを失うことになりますが。北にはサルベ川があります。時間は十分に稼げるかと」
タラクシー市街地すぐ北には川幅数キロに及ぶ大陸南部を代表する大河「サルベ川」が隣国との国境という形で存在していた。川には幾つかの橋があったがここを潰しさえすればしばらくはソ連軍の進軍を抑えることは可能だ。タラクシーを諦めることになり、アンガード全域をソ連軍によって占領されることになるが部隊再編の時間を稼ぐことは可能だと、グラークソン大佐は言う。
「全軍に対してサルベ川北岸へ後退するように指示をしろ。だが、敵に感づかれないように少しずつ後退するようにな」
「わかりました」
後退の指示を受けた大陸諸国軍は一部から「徹底抗戦すべき」という声は出たものの大部分は徐々に後退していき3日かけてすべての部隊がサルベ川を渡った。全部隊が後退したのを確認したグラークソン大佐はすべての橋に事前に仕掛けていた橋を爆破。これによってソ連軍は川を越えることが出来ずタラクシーでしばらく足止めを食らう羽目となった。
正暦2025年 3月25日
マーゼス大陸 マルシア連邦 首都・フォスター
首相府
大陸北部の6割あまりを国土としているマルシア連邦。
彼らが所在していた世界ではノルキア帝国などと並んで「列強」と呼ばれる大国であった。その軍事力は列強の中でも随一であり、マーゼス大陸のほぼ全域をその影響下においていた。
首都であるフォスターは大陸の北東部に位置した港湾都市。
人口は300万人で同国最大の都市だ。市街地は再開発が行われた結果高層ビルなどが立ち並ぶ近代的な町並みが広がっている。海に面している北部は大規模な港湾や工業団地になっており同国の経済の中心地点であった。
「イリーニア半島はすべて侵略者のものになってしまったか」
イリーニア半島奪還のために向かわせた陸軍南部方面軍を主体とした大陸諸国軍が最後まで死守していたタラクシーを放棄し、サルベ川の北岸まで後退したことでイリーニア半島の全土はソ連軍によって占領されることになった。その報告書に目を通したマルシア連邦首相のアーサー・ベルモンドは深々とため息を吐く。
「侵略者はそれだけ強いのか?」
「恐らく相手の装備は我々より10年以上先をいっているかと。主力のP-66戦車が全く相手にならなかったとブライアント中将が報告しています」
ベルモンド首相の問いかけに防衛大臣が手元の紙を読みながら答える。
彼がもっているのは南部方面軍司令のブライアント中将が本部に送った報告書だ。
「ならば新型のP-80はどうなんだ?」
「P-80はまだ数が揃っておらず南部方面軍には配備されておらず…ただ、増援部隊の中にはP-80を装備した第1戦車師団がいますので、侵略軍に対抗できるかどうかはすぐにでもわかるかと」
「もし、P-80もダメならばかなり厳しいことになるな――しかし、奴らは一体どこから来た。南方に大陸なんて存在しなかったはずだが…」
「研究者の中には我々が異世界に迷い込んだと言っていた者がいましたが…」
「最初はバカバカしいと思ったがもしかしたらそれが正解だったのかもしれないな。それで侵略者のことで何かわかったことは?」
「彼らは『ソビエト連邦』と名乗っているようですが、ソレ以上のことは一切わかっていません。どうやらイリーニアは軍政を敷かれているので軍部の力がかなり強い国なのかもしれませんが」
「まあ、こうして侵略してくるんだ。普通の国ではないだろうな」
この時のベルモンド首相は気持ち的にまだ余裕があった。
相手は、未知の軍事大国だといっても地の利は自分たちにある。
すでに、増援に50万人規模の部隊を派遣している。いくら装備で勝っていても物量ならば自分たちは負けていない。
この時はそう考えていた。




