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正暦2025年 3月5日
日本皇国 東京市千代田区
総理官邸
この日、官邸には連立政権を組む民政党の長島清秀代表と改進党の橋川修代表が下岡総理と会談するためにやってきていた。会談には保守党幹事長の大澤も同席しており、この与党党首会談はメディアの注目を集めていた。
「――ヨーロッパへの軍事派遣ですか」
「ええ。正式に欧州連合から我が国に援軍要請がありました。今後のヨーロッパ諸国との関係も考えて政府としては軍を派遣するつもりです」
メディアをシャットアウトした部屋で下岡から発せられた言葉はヨーロッパに軍を派遣するというものだった。ヨーロッパ各国から日本に対して軍の派遣要請は繰り返し行われており、今月に入ってからは欧州連合からも正式に日本に対して軍の派遣が要請された。
日本から見てヨーロッパは北アメリカ大陸を超えた先――約2万キロ以上離れたところにあったが、今後のヨーロッパとの関係を考えた上で下岡は軍を派遣することを決め、それに関して与党三党に対して国会での協力を要請した格好となった。
「確かに今後のヨーロッパとの関係を考えれば要請を断るのは難しいですな…」
民政党代表で副総理兼文部大臣として入閣している長島が理解を示すように呟く。
「それで肝心の派遣部隊は?」
橋川は当初から賛成だったようですぐに派遣部隊の規模を尋ねた。
「現時点ではまだ国防省が調整していますが、海軍に関しては『大和』の派遣は確定かと。陸軍は1個軍団。海兵隊も1個旅団。空軍は1個航空団規模の派遣が妥当というのが国防省の判断ですね」
「まあ、それだけの規模を出せばヨーロッパも文句は言わないでしょうね」
橋川のストレートな物言いに参加者たちは揃って苦笑する。
橋川修は元々テレビ番組に多く出演するタレントだったが、10年ほど前に改進党を設立し、自身も国政に進出。
無党派層や関西地区を中心に支持率を集めていき今では衆参両院にあわせて70議席を持つようになった。与党に加わったのは5年前からで、岸政権の政治改革路線を支持してのことであった。その後は、民政党や保守党と選挙協力をしており着実にその支持を広げている。
代表の橋川はタレント時代から歯に衣着せぬ発言で知られており、それは政治家になっても変わっていない。時折、その発言で騒動を巻き起こすが当人はこのことで謝罪や釈明をしたことは一度もない。これは、保守党最右派と言われている山本内務大臣によく似ていた。
「幸い。議会は我々与党が多数派だし野党の一部もこれには乗るだろう。進歩党の急進派と社会党あたりは反対し遅延戦術をとってくるのが当分の懸念ではあるが――まあ、それらはこっちのほうでなんとかしておこう」
「すみません、大澤さん。お願いする形になってしまって」
「構わんさ。こういうのは俺らの仕事だからな」
それまで黙って内容を聞いていた幹事長の大澤が野党との交渉は任せろ、とばかりに笑った。
正暦2025年 3月4日
朝鮮連邦共和国 ソウル
青瓦台
転移によって半島に変わった朝鮮半島。
最大の障壁であった中華人民共和国は消失したことにより、これまでの陸軍に偏っていた軍の編成を大規模に改変すべき――という意見が国防部の中で出ていた。そのため、転移直後から国防部は軍の再編に向けた話し合いを続けており今回その暫定案がまとまった。
「この『強襲揚陸艦を2隻増備』というのは?」
「今回の転移で新たに複数の島を我が国は確保しました。地域情勢は安定しているとはいえ未知の侵略国家がいても不思議ではありませんから、その対処のためにも強襲揚陸艦は必要――と海軍が強く主張しまして。国防部全体としても離島防衛に強襲揚陸艦は必要だろうという判断です」
大統領にそう説明するのは国防長官。
朝鮮連邦の国防長官は伝統的に退役軍人が務めており、現在の国防長官も合同参謀議長を務めた後に退役した元陸軍大将が務めている。
朝鮮連邦海軍は典型的な沿岸海軍だ。主力艦はフリゲート艦であり、コルベットやミサイル艇などを多く配備することで黄海や渤海そして日本海での人民解放軍やソ連海軍の動きを監視することが主目的になっていた。
ただ、近年になってアメリカからイージスシステムを購入してイージス駆逐艦を3隻建造するなど、沿岸海軍から外洋海軍への移行を目指してきたように海軍内部では当初から空母保有を主張する声が多かった。
今回の転移によって、朝鮮連邦は新たに数十の島を確保し領土として編入していた。その中には済州島より一回り大きい島もあり調査によれば油田などの存在も確認されている。
日本と同じように天然資源が乏しい朝鮮にとってみればこの島は宝の島であり、この島を守り抜くためにも揚陸艦が必要――というのが今回の海軍の主張であった。
その言い分は大統領も理解はできる。
問題は議会を説得できるかどうかだ。
現在、議会――特に野党が求めているのは国防費の削減だ。
多額の予算をかけることになる強襲揚陸艦の建造には野党から強い反発を受けるだろう。そしてなにより世論が認めるかどうかだ。
「議会は荒れそうではあるが…まあ、仕方がないか。ベースはどうするつもりだ?」
「中華連邦海軍が運用している香港型をベースにすることを考えています」
国防長官はそういって香港型強襲揚陸艦の資料を大統領に渡す。
香港型強襲揚陸艦は中華連邦海軍が運用している軽空母兼強襲揚陸艦で就役は2017年。現在の所2隻が就役している。建造の理由は南シナ海における人民解放軍の活発化であり特に中華連邦領である海南島や南沙諸島などの防衛のためとしているが、人民解放軍の空母艦隊に対抗する第一歩として整備された軽空母――としての側面が強いだろう。
スペインのアラゴン級強襲揚陸艦をベースにし、スペインの造船所の協力によって中華連邦国内で建造されたこの強襲揚陸艦の満載排水量は約3万トンであり日米の強襲揚陸艦に比べれば小型であるがF-35Bを最大10機、ヘリコプターも14機搭載することが可能で強襲揚陸艦としては1200名の海軍陸戦隊を輸送することができる。
「なるほどな…あとは、艦載機やパイロットの問題はあるが」
「海軍での育成は時間がかかりますから、空軍のパイロットを出向させるしかないでしょう。実際、中華連邦はそのような手法を用いています。艦載機の候補はF-35Bしかありませんね」
「…高い買い物になるな」
現時点で軽空母などに運用できるのはF-35Bしかない。
ハリアーもあるにはあるが、すでに各国軍で退役が進んでいる機体なので仮に導入しても長く飛ばせるのは難しくそれならばF-35Bを買ったほうが安いだろう。もっとも、そのF-35Bも中々高い機体なのだが。
なにせ、ステルス戦闘機だ。
だが、現状選択肢はF-35Bしかない。
更に、問題なのは製造国であるアメリカにその余裕があるのかだ。
「ところで、アメリカは売ってくれるのか?今は忙しいだろう」
「日本でも製造はしていますから、最悪そちらに頼ることになるかと――最悪ヘリコプターのみを載せることも考えていますが。どちらにせよできるのは5年後の予定ですから、それまでに用意できれば問題はないかと」
「肝心の造船所はどこになる?これだけの軍艦は我が国では建造経験がないが…」
「現時点では朝鮮重工の釜山造船所が有力かと。あそこならばイージス艦など多くの軍艦を建造してきましたから、技術力はあります」
「――わかった。ならばこれでいくとしよう」
最終的に大統領が納得したことで朝鮮連邦の壮大な空母建造計画は一歩進むことになる。
正暦2025年 3月9日
シンガポール 太平洋条約機構 本部
太平洋条約機構(旧・アジア太平洋条約機構)の本部はシンガポールに置かれている。
APTOは1954年にアメリカ・日本・中華連邦・オーストラリア・ニュージーランド・タイ・インドネシア・フィリピン・ブルネイ王国・朝鮮連邦共和国によって設立された軍事同盟だ。
ヨーロッパで誕生したNATOと同じく太平洋地域における集団安全保障のシステムを構築し、加盟国外からの攻撃から互いに防衛することに合意していた。NATOとは設立時から協力関係にあり、一方でソ連・北中国が中心に設立したユーラシア条約機構「ETO」とは激しく対立していた。
元々アメリカはこの地域にNATOのような組織を作るつもりはなかったのだが、1950年の中華戦争をきっかけにこの地域にある西側諸国を守る軍事同盟の必要性に迫られたことからNATOと同様の組織としてAPTOを設立することを決めた。
1964年にマレーシア・シンガポール・ベトナム連邦・ラオス王国・ビルマなどの東南アジア諸国が加盟。1992年にティモール・ニューギニア・南太平洋島嶼国家が加盟し環太平洋地域の大半の国が加盟する軍事同盟となった。特に近年はソ連と北中国の軍部増強が大きな懸念材料になっており、加盟国の間にもこれに対抗するための軍備増強計画が進められていた。
その矢先に起きたのが今回の転移騒動であった。
転移後。NATO加盟国であったイギリスやカナダからAPTOへの加盟を目指すという表明が行われたことをきっかけに「アジア太平洋条約機構」から「アジア」をとり「太平洋条約機構(PTO)」とすることが加盟国の全会一致で決まり1月末に現在の名前に変わった。
2月から本格的にイギリス・カナダ・アトラス連邦・アイスランド・メキシコがPTOへの加盟を申請。加盟国すべてで5カ国の加盟が認められ、この日5カ国の首脳などが参加する記念式典がシンガポールにあるPTO本部で執り行われていた。
式典には新規加盟国の首脳はもちろんのこと、加盟国の首脳たちも集結している。各国の首脳がこうして顔をあわせるのはこの世界に転移して初めてのことであった。
「やはり、ブラウン大統領は各国から人気ですね」
「そうね。ここにも美人がいるというのに失礼しちゃうわ」
アトラスのセシリア・ブラウン大統領に集まる各国の首脳やメディア関係者をみて苦笑いを浮かべる下岡。
今回の主役の一人でもあるイギリス首相のハワードは自分が全く注目されていないことに少しご立腹の様子だ。
「でも、貴方はブラウン大統領に挨拶しなくていいの?」
「挨拶ならもう済ませていますから、ご心配なく。ハワード首相は?」
「私もさっき軽く挨拶をしてきたわ。あとになると人に揉まれそうだから」
予想通りだったわね、といって呆れ顔で集まっている首脳を見るハワード。
多くの国の人々にとってエルフを実物で見るのは今回が初めてだ。
だからといって、だらしなく鼻の下を伸ばしているようでは話にならないとハワードは内心思った。
「いやはや、すっかり主役の座を奪われてしまった」
「エルフはやはり目立ちますからね」
苦笑いを浮かべながら二人に声をかけたのはカナダのクラーク首相とアイスランドのヨハンソン大統領だ。
両国ともにNATO加盟国だったが、アイスランドは今回を機にNATOからの離脱を決め、カナダはアメリカと同様に引き続きNATOにも加盟することを決めている。また、アイスランドは軍の創設を正式に決めており現在は具体的な編成に関しての議論が政府内で行われている。
「そういえば、日本はヨーロッパに軍を派遣することを検討しているらしいですね」
「ええ、現在調整をしていますが。今月中にヨーロッパに向かう予定です」
「日本も律儀ねぇ。日本がヨーロッパ援軍に向かうのは今回で3回目かしら。ドイツもフランスも日本に足を向けて寝れないわね」
「そういうイギリスはどうなさるおつもりで?」
「さすがに、無視はできないから一個艦隊を送るつもりよ」
しかも、その艦隊は空母機動艦隊だ。
ドイツもフランスもイギリスに陸軍戦力はそれほど期待していないだろうから一個艦隊出すだけでも十分だろう――と、ハワードは言った。
「それにしても、バルカン半島に攻め込んでいる国といい。中央アメリカに攻め込んでいるフィデスといい。どこもかしこもソ連並の兵力を抱えている国ばかりでいやになるわね」
「まったくですね。我々のように兵力を限られる国はだいぶつらいですよ」
ため息を吐くヨハンソン大統領。
アイスランドは人口40万人ほどの小国だ。
それでもNATOに加盟し、レーダー基地をもっていたり国内にアメリカ軍基地を抱えているなどしていた。そのアメリカ軍も転移に伴って撤退しておりかわりに日本空軍とイギリス空軍がアイスランドの防空任務にあたっていた。今回、PTOに加盟することになったが同じ新規加盟国であるアトラスは当初、アイスランドの加盟は慎重になるべきだ――という懸念を表明していた。軍事同盟に入るならばせめて自国軍くらい保有したらどうか、という懸念だ。日本やイギリスなどはアイスランドの人口の少なさなど理解はしているものの、アイスランド政府自身がその場で「軍を設立する」と表明したことでひとまずアトラスはアイスランド加盟に関して反対を表明することはなかった。
現在、アイスランド政府は約5000人ほどの軍隊の設立を予定している。
陸軍は1個連隊規模。空軍はレーダーサイトを。そして海軍は沿岸警備隊で賄う予定でアイスランドの人口からすれば十分以上の兵力を持つことになるだろう。まあ、国土防衛という点では厳しいので近隣にある日本やイギリスなどの支援はどうしても必要になるが。
そんな、アイスランドからすれば数百万人規模の動員力を持つ国があちこちにあることは純粋に恐ろしいだろう。ただでさえ転移前はソ連の存在にアイスランドも悩まされていたのだから。




