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連邦歴650年 1月17日
イリーニア共和国 首都・ヴェントレー
大統領官邸
ダウォンポートから北に200km。半島の北部に首都のヴェントレーがある。人口は約30万人で同国最大の都市だ。古くからヴェントレーは交通の要衝として栄え、他国との往来の利便性も高いことから200年前にこの国の首都機能がそれまでの首都であったダウォンポートから移転。以後、急速に都市として発展していった。
イリーニア共和国の国家元首であるロベルト・カルロ大統領は続々と寄せられるダウォンポート関係の情報に胃痛を感じていた。他国軍から占領されたダウォンポートからは市民が続々と脱出しており彼らの証言からダウォンポート市の情報が徐々に明らかになっている。
まず、市民に対しては特に手を出すことはしていないという。
ただ、軍人などは拘束され捕虜にされているようだ。
市長など市の幹部や職員に関しては無事ながらも軍による監視を受けながら市民生活の維持を行っているという。市民がダウォンポートから逃げ出すのに関しては容認しているようだが、ダウォンポートの市街地はあちこちに見たこともない戦車や装甲車が配備され、あちこちに銃をもった兵士たちが見回っておりとても安心して外に出歩ける状態ではない――というものだ。
「閣下。ここは一気にダウォンポートを奪還すべきです!」
「我が国だけで奪還は無理だ。マルシアからの援軍を待つべきだろう」
「そのマルシア海軍はダウォンポートからすぐに逃げ出したではないかっ!それに祖国の一大事を他国任せにするとは属国と一緒だっ!」
大統領の目の前で口論する二人の壮年男性。
一人は国防大臣。
もう一人は内務大臣。
ちなみに、ダウォンポートを奪還すべき!だとかマルシアは信用ならん!と顔を真赤にして主張しているのが内務大臣である。マーゼス大陸の多くの国がマルシア連邦の実質的な保護国となっているがそのことを気に食わない人間というのは各国に一定数いた。
内務大臣もその内の一人であったというだけだ。
勇ましいことを言っているが、イリーニア陸軍の兵力は1万人ほどしかいない。元々小国なのと周囲に敵対国家もなくほとんどがマルシア連邦の保護国なのでもっぱら仕事は災害派遣やら治安維持くらいしかないのだ。
イリーニアには海軍以外にマルシア連邦は駐屯していないが、隣国にはマルシア軍の南部軍団が駐屯しているので仮に何かあってもそこからマルシア軍がきてすべてを解決する――というのがこれまでの大陸南部だった。
なおも言い争いを続けている二人の大臣のことを意識の外に向けてカルロは「さて、どうすべきか…」と悩む。正直いって自国が軍事侵攻されるなんて全く想定していないので対処のしようがない。
それこそ、国防大臣の言う通りマルシアの援軍が来るのを待つしかない。
マルシアからは大使館経由で「すぐに援軍を送る」という連絡が来ていた。
どれくらいの規模がやってくるかは分からないが少なくとも師団規模の部隊が来てくれるのだろう。更に周辺諸国もそれぞれ軍を派遣すると表明していた。幸い、この国は半島の中にあるので少ない数で防衛線を敷くことは可能だと国防大臣と一緒にきた参謀総長が言っていた。
「…ともかくマルシアや他国の援軍が来るまで待つとしよう」
「閣下っ!」
「我が国の軍事力を考えたら同盟国であるマルシアを頼るのはおかしいことではないだろう」
「しかし…」
「これは決定事項だ」
なおも何かいいたげな内務大臣を「決定事項」の一言で黙らせる。
一応、国家元首である大統領にはそれなりに強い権限が与えられている。
このまま議会に通しても問題はないだろう。内務大臣のような思想を持つ政党もいるが、数は少数なので障害にはならない。
「それよりも、避難者の支援をまとめてくれ」
「…はい」
ジロッと自分の仕事をしろと暗に大統領に言われた内務大臣はガクッと肩を落として執務室を出ていった。
「まったく。仕事はできるんだがな…マルシアを絡むとああなるのはどうにかならんのか?」
「まあ、他国に安全保障を委ねるのに抵抗感を持つのは分からなくもありません。今回のような事態は特にそう感じるのでしょう」
ため息を吐くカルロ大統領に先程までその内務大臣と言い争っていた国防大臣がフォローするように言った。
「それで、ダウォンポートは奪還できそうか?」
「私の口からはなんとも…当然軍は奪還するために全力は尽くしますが」
「相手の情報が一切わからないか…」
「はい。そもそもどこからやってきたのかすら我々はわかりませんから」
こればかりはマルシアに頼るしかありませんよ、と国防大臣は苦笑した。
正暦2025年 1月18日
ソビエト連邦 モスクワ
クレムリン
「新天地への橋頭堡は無事に築かれたか」
ソ連の最高指導者ゴルチョフは軍部からの報告書に珍しく頬を緩ませる。
この世界は彼らにとっては楽園といえよう。アメリカやヨーロッパといった敵国が近くから消えたのだから。マーゼス大陸をソ連が発見したのは転移してすぐのことだ。旧北極海を飛行していた早期警戒機が強力な電波を探知したことで大陸の存在が判明した。それからはゆっくりと時間をかけて上陸に最適な地点を探し、その結果イリーニア半島の南端部にあるダウォンポートに決まったのだ。ただ、半島なので守備を固められてしまっては攻略するのが難しいという部分はリスクはあるものの、事前の偵察ではたいした軍事力はないというのがわかっているので問題はない――というのが軍部からの報告だ。
鵜呑みにするわけではないにしても、仮に苦戦しようとも数十万人規模の部隊を送り込めば数の圧力でどうにかなるだろう、とゴルチョフは考えていたので特に問題視はしてはいなかった。
「――ふむ…中国の連中も軍事侵攻は順調にしているのか」
「どうせなら苦戦してくれればよかったのに」と次の報告書を見てボヤく。
同じ時期。北中国もダストリア大陸へ軍事侵攻しており、やはり港などを確保していた。対日・対米で一応協力関係にあるソ連と北中国だが実際の関係はここ20年ほど悪い。特にゴルチョフと北中国の国家主席である周はお互いを嫌い合っていた。首脳会談などではお互い持ち上げたりしているが本心では「さっさとくたばれ」と思っているほどだ。
敵対国ながら日本の下岡のことを「周の何十倍もマシ。日本はより手強くなった」とプライベートの場で称賛していたこともあったくらいには周国家主席のことが嫌いだった。
「どうせなら、中国あたりにちょっかいを出すべきか?」とまで内心で思うほどだ。仮に口に出したら国防大臣あたりから猛反対されるだろうから口には出さないが、それだけ北中国の成功がゴルチョフは気に食わない。
(そもそも、あの国は我が国の援助がなければ建国すら出来なかったというのに――さも、自分たちは社会主義の成功者だと顔をするのが特に気に食わん)
せっかく、機嫌がよかったのに北中国の報告書を見て機嫌が急降下するゴルチョフ。近くにいた秘書官はその機嫌の急降下を感じ取って顔を青くさせていた。
同日
イリーニア共和国 ダウォンポート
ダウォンポート港
この日の夕方、ダウォンポート港に巨大な空母が入港した。
ソ連海軍初の原子力空母「ソビエツキー・ソユーズ」だ。
全長310m。最大幅70m。満載排水量8万4000トンはソ連が保有する艦艇の中では最大のものであり、約80機の艦載機を運用可能だ。北方艦隊を配備しており現在に至るまでソ連海軍の象徴的な存在になっている。これまで唯一の原子力空母だったが2018年に全面的な改良を施した「ロシア」が就役し、現在は更にもう1隻の建造が進められていた。
「あれは空母か?」
「随分とでかいな…」
「この前の空爆はあの空母からだったのか」
突如現れた巨大空母を一目見ようと市民たちが集まるがその顔色はみな悪い。これが自国を助けてくれるものだったのならば彼らは歓喜しただろうが実際には今、この町を占領している国の軍艦なのだから怯えるのは無理もないことだろう。
一方で今作戦の海軍側の指揮官である北方艦隊司令のカベンスキー中将はご満悦だった。
「中々に立派な港じゃないか。この『ソユーズ』が2隻いても余裕がありそうだな」
「今後は我が国の第三の海軍拠点になりますよ。閣下」
「違いない!」
港に集まる市民は彼らの目には写っていない。
自分たちを恐れているのであればそれで構わないし、歯向かうというならば誰に歯向かったのかを覚えさせればいい。今後のことを考えればダウォンポート市民は一種の「労働力」としか彼らは見ていなかった。
もちろん反抗されるのは面倒だから待遇はそれなりのものを用意するつもりではあるが。
ソユーズは無事に岸壁に接岸し、カベンスキー中将は久々に陸地に降りるとすぐに陸軍側の指揮官であるグリコフ中将が彼を出迎えた。
「ダウォンポートへようこそ。提督」
「わざわざお出迎えしていただけるとはありがとうございます。将軍」
「今後の話もあるので移動しましょうか」
「そうですね」
二人は和やかに握手を交わすと。マルシア海軍が使っていた司令部庁舎へと向かった。
「ここは、マルシア連邦という国の海軍が使っていた司令部のようです。まあ、残念ながら機密文書などはすでに処分された後でしたがね」
「ふむ――つまりは他国の海軍に基地を提供していたのですか、この国は」
「どうやらそのようですね。この街の市長から色々と話しをききましたが、この国はイリーニアという名前でこの町はダウォンポートと呼ぶらしい。先程話したマルシア連邦の保護国となり国防などの面倒を見てもらっているらしいですな」
まあ、結局こうして我が国に占領されそのマルシア連邦とやらはさっさと逃げ出したようですが、といいながら意地の悪い笑みを浮かべるグリコフ中将。どうやら、この部分をついて市民たちに「逃げたところで無駄だぞ」という脅しをかけることにしたらしい。
「性格が悪いな」と自分のことを棚にあげながらカベンスキーは内心思う。
「それで今後は?」
「追加の兵士の移送を行っているのでその到着次第ですな。恐らく防衛線を敷かれるでしょうが。そちらの航空支援があれば問題ないでしょう」
と、どこか挑発的な表情でカベンスキーを見るグリコフ。
まるで「高い金で作った空母だから当然だよな?」とでも言っているように見えるのは果たしてカベンスキーの気の所為だろうか。なにせ、海軍の空母建造時に最も反発したのは陸軍だったのだ。
表面的には和やかに会話はしているが内心ではそれぞれ「足をひっぱたら承知しない」と思っているあたりソ連もまた軍同士の仲はあまり良くはなかった。




