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正暦2025年 1月17日
東京市 千代田区
総理官邸
「――現在の所民間人の被害は出ていません。樺太に上陸した部隊に関しては大半が投降したため間宮駐屯地内にある捕虜収容所へ収容しています。なお、占守島に上陸した敵部隊に関しては投降を拒んだことから7割ほどが戦死。残りは捕虜として拘束し、こちらも間宮へ移送中です」
国家安全保障会議では五島国防大臣から樺太での一連の戦いは終結したと報告され、出席した閣僚たちから安堵の声が漏れた。民間人の被害は出なかったものの、日本側でも戦死者が出るなど戦闘は激しく特に占守島での戦いは非常に苛烈なものだった。
捕虜となったノルキア兵は樺太北部の拠点都市である間宮に作られた捕虜収容所に移送され詳しい聞き取り調査などが行われる予定だ。
「『ノルキア帝国』に関してわかった情報は?」
「ほぼありません。ただ、我が国と同じ立憲君主制で議院内閣制の国で民主的な選挙は行われているので北中国やソ連などのような独裁国家というわけではなさそうです。ただ、どうやらかつてのヨーロッパ列強のように『海外領土』という名の植民地を保有していたようで、今回の件はこの植民地の幾つかを失ったことで代わりの植民地になる土地などを探していた過程で樺太を見つけ、軍を送り込むことにしたようです」
続いて立ち上がったのは内閣情報局長官の藤田だ。
藤田の報告に内務大臣の山本などは不機嫌そうに顔を顰めた。
「その島が、どこかの国の領土だという考えを彼らはしなかったのか?」
「民主主義の国がやることではないな」
この時点で日本政府は知らなかったが、今のノルキア政府を率いているのは「人民党」という新興の右派政党だった。勇ましい事や世論に耳心地のいい政策を多く公約として掲げたことで政権を担当していたが、閣僚の不祥事などが相次いだ結果支持率が大きく悪化。更にここにきて転移によって海外領土の一部が行方不明になったので、それに焦った政府と当初から領土拡張意識が強かった軍上層部が結びついた結果。今回の樺太侵攻が半ば強引に決定された。
さて、日本とノルキア帝国は当然ながら外交関係にないし。外交ルートも存在しない。そのため抗議をするにしても直接ノルキアへと乗り込まなければいけない。国の位置などは捕虜から聞いてすでにある程度の位置は絞り込めているのであとは外交官を現地へ向かわせればいいだけだ。
ただ、いきなり攻撃をしかけてきた国なので、当然ながら外交官を丸腰で派遣することはできないので、軍も外交官と一緒に派遣しなければならない。その過程で再度の戦闘に発展する可能性もあるわけで、送り込む部隊の規模も軍艦一隻では心もとない。それこそ一個機動艦隊くらいを送り込む必要があった。
世論は、今回の件で徹底的な報復をするべきである――という意見が多数派になっていた。もちろん、中には対話での解決を求める声もあったが報復するにしても対話するにしても直接ノルキア帝国に踏み込まなければこれ以上の話が進まない状況なのであった。
ともかく、相手は武力侵攻をしてきた国だ。
日本側も相応の「戦力」を派遣しなければならない。
「やはり、直接『ノルキア』へ軍を送り込むしかなさそうですね」
「それ以外に選択肢はありませんな」
「派遣部隊はどのくらいに?」
「一個艦隊と外交官だけでいいのでは?」
「ですが、それですと。報復を望む世論から反発があるのでは?」
「下手に上陸部隊を送り込むのも事態が長引くだけでは?戦艦や空母を含めた一個機動艦隊で十分でしょう。もし、交渉の椅子に座らなかったら港湾施設などに攻撃して威圧すればいいのです」
最終的に政府は、ノルキアへ一個艦隊と数名の外交官を派遣することを決めた。もしものために海軍特殊部隊の要員を外交官たちの護衛という形で同行させた。もし、交渉がまとまらなかった場合に備えて海兵隊一個旅団を基幹とした海軍の遠征打撃群もノルキア近海へ待機させることもあわせて決まり、このことはこの日すぐに招集された衆参の本会議に提出――与党と野党の大部分の賛成によって成立した。
2日後。
第5艦隊を基幹とした艦隊が小樽を出発。一路、ノルキア帝国へ向かった。
ノルキア帝国暦1500年 1月18日
ノルキア帝国 リンガール
首相府
ノルキア帝国はノルキア島とノホール島という二つの主要な島と2500ほどの島嶼。2つの巨大な植民大陸によって構成された君主制国家だ。
古くから海洋帝国として栄え、多くの海外領土(植民地)を保有し、元いた世界では「列強」の一国として世界を牽引していた。今回の転移によって海外領土であった幾つかの島を消失していた。
日本やイギリスと同じ議院内閣制であるノルキアは長らく中道右派の国民党と中道左派の社会民主党による二大政党が交互に政権につく二大政党制が続いていた。
しかし、三年前の選挙で税金の廃止などを訴えた新興右派政党「人民党」が総選挙に勝利したことで政権を獲得した。しかし、人民党政権になって三年経ったが未だに人民党が公約として掲げた政策は何一つ達成されておらずそれどころかむしろ増税が実施されるなど真逆の政策ばかり行い。さらには所属議員の不祥事まで続出しており、支持率は歴代内閣で過去最低水準にまで落ち込んでいた。
これに焦りを覚えたのが現首相のビクトル・ハミルトンだ。
このままでは次の選挙で敗北間違いなしなので、なんとか政権支持率をあげようとハミルトンは画策した。その一つが「新たな海外領土を得る」ことだ。元々民族主義政党である人民党は保守層から支持を得ていた。海外領土を拡大すれば離れていた保守層からの支持を回復できるのではないか、とハミルトンは考えたのだ。
ちょうど、領土を拡大したいと考えていた軍上層部とも思惑が一致したことからハミルトンと軍上層部は偶然みつけた樺太を一つの足がかりとして確保するために軍を派遣することを決めた。
ただ、これには主に海軍などで疑問の声が多く出ていた。
というのも、島への調査をほとんどせずに軍の派遣を決めたからだ。
海軍は「もう少し調査をすべきではないか?」と声をあげたが政府もそして軍上層部もこの声を半ば無視して軍の派遣を強硬に決めた。海軍の中でも軍上層部に賛成する者もいたため第1艦隊も派遣されることになったものの、海軍の一部はこうした政府や軍上層部の動きに反発を強めていった。
「艦隊が壊滅しただと?一体なにがおきた!早く説明しろっ!」
唾を飛ばしながら激高し机をバンバンと叩くのは現首相のハミルトン。
彼はてっきり作戦は成功した報告が来ると思っていただけに「艦隊が壊滅した」という報告にしばらく呆然となった後、ようやく報告の意味がわかってこのように激高していた。
当たり散らされているのは国防省の官僚だが彼は内心「俺がそんなの知るわけ無いだろう」と思いながらも黙ってハミルトンが落ち着くのを待つ。ちなみに本来なら報告すべき国防大臣も似たような状態になったので官僚である彼がこうして首相府まで報告に来ていた。
実は、ハミルトンを含めて人民党の議員というのは政治の素人かあるいは他党から移籍してきた者たちばかりなのだ。政治思想は党そのものは「右派」ということになっているが実際には左派もいるし、極右もいるしで議員たちの政治思想もバラバラただ政権をとるためだけに人が集まったような政党なのだ。しかも今は議員不祥事や離党者などが相次いで議会の過半数割れをした「少数与党」になっている。ハミルトンはとりあえず自分の意のままに動く者たちを閣僚にしているので政治素人ばかりの内閣になってしまい官僚たちの仕事が倍増していた。
「これでは次の選挙に勝てないではないかっ!」
海外領土を増やしたところで現政権の不祥事は山のように積み上がっているので今更人民党に投票するのはごく一部の民族主義者か物好きくらいだろう。今の政権になってから海外領土の二つの大陸では独立運動が活性化しているが現政権は絶対に阻止という構えで軍まで出していた。
植民大陸の独立は絶対に許さない保守派は現政権を支持しているが、その数は世論の全体でみれば少数派だ。首相府や国会前には連日のように政府に不満を持つ市民たちが抗議集会を開いている。ハミルトンは武力でもって解散させようとしているが秘書たちが必死に「それでは政権崩壊する」といって抑えているような状態だ。
(早く次の仕事したいんだが…)
結局、彼はこのあと三十分ほど首相府で足止めになった。
国民党本部
現在のノルキア政界で人民党に次ぐ勢力を持っているのは中道右派の国民党。前政権であった社会民主党が経済政策の失敗や閣僚の不祥事などで三年前の選挙に敗北して下野。それまでならば国民党が他の中道政党と連立を組んで政権を発足するはずだったのだが、人民党が単独過半数を得てしまったそのまま再度野党の立場になっていた。
支持層の一部も人民党に流れてしまい議席もほとんど増えず、協力関係にあった中道政党も中には議席を得ることが出来ないなど国民党にとっても三年前の選挙はかなり厳しいものになった。ただ、地方選挙に関しては好調で幾つかの地方政府で与党の立場になっており最近の世論調査では他党を抑えて一位を確保しているなど、次の選挙が行われば確実に政権奪還できるだろうと言われていた。
とはいっても、今のノルキア帝国の現状はあまり楽観できるものではない。
人民党――というよりはハミルトンと軍上層部が好き放題しているせいで前政権時代に比べれても経済は低迷しているし、近年は落ち着いていた植民大陸の独立運動も活発になっている。これまでの植民大陸は自治の大幅拡大などで独立意欲を抑えていたのに人民党政権はそれらをすべて撤廃。結果的に植民大陸の独立心を更に活性化させてしまったのだ。
「そうか。例の作戦は失敗したか」
「はい。どうやら第1艦隊は壊滅。輸送艦もほとんどが沈んだようです。残りの部隊がどうなったのかは不明ですが、おそらくは…」
「彼らの欲望によって大勢の兵士を失うことになったわけだな」
「陛下も心を痛められておられますが。いかんせん…」
「今の帝室は政府に口はだせんからな」
国民党は、樺太侵攻に反対していた。
管理できるかどうかわからない島を確保するよりも、国内の経済対策を優先すべきだ――と議会でも主張しているが人民党政府は一切聞く耳をもたなかった。それどころか軍高官から「国家反逆罪に問うこともできる」などという脅しをかけられる始末だ。
「国家反逆罪は貴様らだ」という言葉を国民党党首であるサムエル・ギブソンはなんとか飲み込んだ。
「次の選挙までこの国はもつだろうが…次の政権は苦労するだろうな」
そして、その可能性が一番高いのは今最大野党の党首であるギブソンだ。
「まあ、それよりも相手からの報復を考えるべきか。第1艦隊がやられたのだ。相手は相当な軍隊を持っていると考えたほうがいいだろうな。その前に現政権を退場させられればいいのだが…」
「向こう側はそれで納得するとは思えませんが」
「まあ、そうだな。先に仕掛けたのは我が国だからな」
つぶやきながら重い息を吐き出すギブソン。
彼にはこの国の前に横たわる高いハードルが見えた気がした。




