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正暦2025年 1月15日
イギリス連合王国 ロンドン
首相官邸
「日本に戦争を仕掛けるなんて、命知らずの国もいたものねぇ。眠れる獅子の尾を踏んだも同然のことよ?」
日本が攻撃を受けたという報告を聞いたハワード首相は呆れ顔で言う。
「本来ならば軍を送って恩を売るってことをするのだけれど。日本が相手ならば何もしないほうがいいのよねぇ…アメリカの反応は?」
「傍観するようです」
「まあ、アメリカは中米にヨーロッパと大変だから仕方がないわね」
「我々も一応NATO・EU加盟国ですが…」
「一個艦隊に海兵隊一個旅団を送ったでしょう?これ以上は無理よ。今となってはヨーロッパが極東のように遠いところになってしまったのだから」
向こうもそれを理解してほしいわねぇ、とボヤくハワード。
彼女の頭の中ではすでにEUもNATOも脱退したも同然だ。
それよりも日本やアトラスを巻き込んで新しい地域連合・軍事同盟を作りこの地域での影響力を確保することを彼女は優先させたかった。
「それで我が国の周辺はどうなの?」
「現時点で異常はありません。幸い我が国の周辺に未知の大陸などはありませんから」
「それだけは幸いね…本土に上陸されるなんて考えたくもないわ」
第二次世界大戦で追い詰められた時でもなんとか枢軸国による本土上陸を阻止したイギリス。ただ、その時と違い今のイギリスの防空網はそれほど強固なものではない。
ちなみに、イギリスには日本空軍の早期警戒機が派遣されておりイギリスとアイスランドの領空警備にあたっていた。これは、日本ほどレーダー網が整備されていないイギリス政府とアイスランド政府が日本に要請したためだ。そのため、現在3機の早期警戒機がイギリスとアイスランドに派遣されてレーダーのかわりに領空警備を実施していた。
ただ、そのおかげでイギリスは調査に早期警戒機などを使用することができるようになり、ニュージーランドやオーストラリアなどの国が比較的早期に発見することができたので日本としてもメリットのあることだった。
「それにしても…」
ハワードは執務室の窓を見る。
首都ロンドンは銀世界が広がっていた。
「この世界に来てからよく降るようになったわね…」
ロンドンはそこまで雪が降ることはないのだが、この世界に来てから連日のように雪が降るようになった。気温も転移前に比べると低温で推移しており市民生活にも影響が出ている。
イギリス気象庁もこの雪の原因はわかっておらず首を傾げるばかりだ。
なにせ、この世界の北極は地球に比べればイギリスから離れている。
にもかかわらずここまで強い寒波がやってきている。一体どこから寒気がやってくるのかと気象学者たちも困惑するしかなかった。同じことは日本など各地で起きており「これでは天気予測すら難しい」という声が気象予報士の間では出ているという。
今の政府にとっての一番の悩みは、この気候の変化であった。
アーク歴4020年 1月15日
アトラス連邦共和国 ヴェルス
大統領官邸
「日本が軍事侵攻を?大丈夫なのですか」
国交を締結したばかりの日本皇国が軍事侵攻を受けているという報告をストーン外務大臣から聞いたブラウン大統領は不安げな表情でストーンに問い返した。
「資料による日本の軍事力ならば大きな問題は起きないかと。それに、我が国が参戦する理由もありませんから、今は様子を見るしか無いかと。他の国も基本的に同じ考えのようです」
「…そうですか」
うなずきながらブラウンは日本に関する資料の内容を思い出す。
日本の軍事力は総兵力80万人あまり。予備役を含めれば120万人まで瞬時に動員できる。仮に日本がアトラスのいたアークにいても十分以上に軍事大国とよべるだろう。
「確かに、日本はかなりの軍事大国でしたね…」
「ですので、日本は心配はいりません。今のところ一番の問題は、そうやらフィデスがアメリカのある大陸に軍事侵攻しているところでしょうか」
「…フィデスですか」
フィデス。
その名前にブラウンの顔が曇る。
フィデス人民共和国――転移前までアトラスの北に位置していた「フィロア大陸」の大部分を統治していた全体主義国家だ。
半世紀前からアトラス領であるフローリアス諸島の領有をフィデスが一方的に宣言し、そこからアトラスとの軍事的緊張状態が続いていた。過去に3度フローリアス諸島付近で紛争になった。いずれも、海軍力に勝るアトラスがフィデスを退けたもののフィデスは転移前まで諦めておらず海軍の増強やあるいは弾道ミサイルの発射実験などをして常にアトラスへの挑発行為を続けていた厄介な国だ。
「アメリカは日本以上の軍事大国ですよね?」
「そうですね。いずれアメリカが反撃に出るでしょう。そうなればフィデスはかなり厳しい状況に陥るでしょうね」
フィデスもかなりの軍事大国だが、資料で見たアメリカの軍事力はそれ以上だ。おそらくアメリカが本気になればフィデスの現政権は早々に崩壊するだろう。それはフィロア大陸に大きな混乱をもたらすであろうが、今後のことを考えればむしろそのほうが良いとさえブラウンは思う。
(我が国としてはこれ以上フィデスに悩まなくて済むので朗報ではあるのですがね…)
ちなみにフィデスに関する情報はアトラスの情報機関である連邦情報庁がアメリカの情報機関であるCIAに提供していた。
正暦2025年 1月14日
アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
ホワイトハウス
「パナマに攻め込んできた国の情報がわかったのか?」
「はい。アトラス連邦の情報機関から情報提供を受けました。こちらをご覧ください」
もっていた資料を大統領に渡すCIA長官。
アトラスの情報機関である連邦情報庁とCIAには直接的な繋がりはない。ただ、ここに日本の情報機関である内閣情報局が仲介することで今回の情報提供を受けることができた。
というのも、今回パナマを軍事侵攻した国はアトラスにとって因縁深い国だったからだ。
「フィデス人民共和国――フィデス人民党による全体主義国家。なるほどこいつは色々と厄介だな」
資料に序盤をみたクロフォードは盛大に渋い顔をした。
どうやら自分たちは覇権主義国家と距離を置くことはできなかったらしい。
資料によれば、フィデスとアトラスは半世紀に渡って対立していたという。発端はアトラス北端にある「フローリアス諸島」でフィデスはこの島が伝統的に自国の領土であったのにアトラスに奪われた、と主張しアトラスに対して返還を求めたのが対立の始まりだったという。
もちろん、自国の領土をそう簡単に他国に明け渡すわけがなくアトラス政府は拒否。フィデスは武力行使にて島を奪うことを決めて軍を進めた。
これが最初の衝突である「第一次フローリアス紛争」だ。
結果は、一部の島を占領されたが当時から海軍大国だったアトラスがフィデス艦隊を撃退。更に陸軍海兵部隊が占領した島を奪還するなどしてアトラスの勝利に終わった。
だが、フィデスは戦争に負けてもフローリアス諸島を諦めずに定期的にフローリアス諸島に軍を送ってはアトラスに撃退されるという紛争を現在までに合計3回行ったという。
「なぜ、そこまでその島に執着する?」
「資料にも書かれていますが。この島一体は豊富な石油資源の存在が明らかになっています。それ以外にも希少鉱石の鉱脈も発見されているらしく恐らくはそれが狙いだったのだろうと。更に、フローリアス諸島一体は天然の良港でもあるので海軍の拠点を作るにも適しているようです。フィデスは他大陸への進出にも意欲的だったそうですから」
「――まるでどこかの分断された国のようだな」
最初はソ連のような国かと思ったが資料を見る限りこのフィデスという国はどちらかといえば北中国のような国であった。北中国も太平洋進出のために海軍の整備を続け、日本の南西諸島や台湾周辺に出没するという挑発行為も続けていた。唯一の違いは実際に戦闘を仕掛けなかったことだが。
(まあ、あの地域で戦争なんておこしたら瞬時に周辺諸国に飛び火するからな…)
同じ東側陣営であるソ連ですら北中国とは問題を抱えているし、北中国の周囲には中華連邦や朝鮮、日本といった西側陣営の国が取り囲んでいるのでひとたび軍事侵攻を行えばこの3カ国と中華連邦や朝鮮に軍を駐屯させているアメリカ軍が動く。
さすがに北中国の最高指導部はそのあたりは冷静だったので挑発は許しても人民解放軍による独断の武力侵攻だけは許さなかったという。このあたりは極東軍の暴走を許したソ連とは対照的だ。まあ、ソ連の場合はモスクワとハバロフスクがかなり距離があったのと、極東軍側が上手くモスクワ指導部のスキをついて行った計画らしいので事情が違うのだが。
現在、海兵隊がコスタリカに展開しているがフィデス軍は更に軍を増備し2個軍団規模になっているという。更に、空母機動艦隊を投入してコスタリカへの爆撃も始めている。コスタリカ政府からは地上部隊の増援や艦隊派遣などを要請されているが相変わらずニカラグアがアメリカ軍の領内通過を認めないため地上部隊はアメリカで待機中だ。
一部の部隊は輸送機を用いて輸送しているが大量の部隊を送り込むにはやはり地上を自力で走ったほうが早い。ニカラグアに次いでアメリカ軍の領内通過に難色を示しそうだったメキシコに関しては大統領の判断で認められているがそれでメキシコ政界はやや混乱しているらしい。
さて、メキシコが領内通過を認めたことから国防総省やホンジュラスまで軍を進めてそこを防衛線にすることを検討している。ホンジュラスから南ニカラグア・コスタリカ・パナマを実質的に放棄する作戦であるが、現状ニカラグアから色よい返事が聞かれない中ではそれ以上のことはできない。
唯一できるのは海兵隊などを使った遅延戦術だろう。
コスタリカには更に一個海兵旅団が投入されており合計2個旅団体制でフィデスからの軍事攻撃に備えていた。すでに、パナマの大部分は占領されており数日以内にコスタリカにも侵攻を始めるだろう――というのが現地の海兵隊からの報告だ。
「――まあ、これで敵の情報はわかったな」
「まだまだ、ハードルは高いですが」
「無理やりニカラグアを通り抜けることもできるが、そんなことをしたところで状況が大きく変わるわけではないからな」
むしろ、ニカラグアの反米がより先鋭化する恐れがあった。
それはその後の対応が面倒なのでできる限りやりたくはない。
昔ならともかく今のアメリカ政府は長期化する紛争などにはあまり介入したくはないのだ。世論の反発が大きくなるのもそうだが、安定化したところでアメリカにとっての旨味もあまりない。
まあ、麻薬組織のアジトの一つが消えるのは旨味があるだろうが連中はあちこちに散らばって麻薬密売をしているので一つ潰したところで意味がないのだ。




