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正暦2025年 1月10日
日本皇国 東京市千代田区
保守党本部
「事実は小説よりも奇なり――とは言ったものだが、まさか本当に異世界などという場所に飛ばされるとは思っていなかった」
「まったくだ。だが、おかげでソ連や北中国と離れることができたのは我が国の安全保障にとってみれば朗報ではあったかな」
「かわりに貿易が完全にストップして株式市場が大混乱に陥っているがね」
「それは時間が解決するさ。気の短いものはあれこれと批判するかもしれないが、それだけで下岡くんはぐらつくとは思えないからね」
「たしかにな。俺のような年寄りをまた幹事長にするくらいのヤツだからな…下岡は」
「まだまだ老け込む年齢じゃないだろう?大澤さん」
「政治家にとっての70なんて本当はさっさと引退する歳だよ」
「大澤さんのことだから生涯現役で行くと思っていたよ」
「昔ならそれは通用しただろうが今じゃ年寄りなんてあっさりと選挙に落とされるからな。いくら『昔から地域のために頑張っていた!』といったところで期待値で若いヤツに票が行くのは仕方がない。一番いいのは潔く身を引くことを先に決めておくことだろうな」
などという会話をしている初老男性二人。
二人共、スーツをしっかりときこんで国会議員の証である議員バッジをつけている。
この二人こそ、下岡を内閣総理大臣になるための後ろ盾となった元首相の大澤和夫と前首相の岸晴信だ。大澤は下岡に請われる形で25年ぶりに党の実質ナンバー2である幹事長の役職についている。岸は党の役職についていないが党内最大派閥である岸派の会長として下岡体制を支えている。
そんな、二人にとっても元日から続いている一連の出来事には驚いていた。
「おや、大澤さんからそんな言葉が聞けるとは。生涯現役だと思っていたよ」
「今はそんなの通用しないからな…さすがに80、90になってまで政治家をやりたいとは思わない。岸さんもそうだろう?」
「そうだね。どっぷりと政治の世界に身を沈めていたがそろそろあがってもいい頃合い――言うなれば隠居は憧れるね。下岡さんみたいに」
「下岡さんは本当に思いっきりがよかったからな…還暦前に政治家を引退するとは思ってなかったよ」
彼らの言う「下岡さん」というのは下岡俊英の実父のことだ。
下岡の実父である敏夫は党幹事長などを務め「将来の総理大臣筆頭候補」とまで言われていたのだが60歳になる前に政治家を引退することを突如として発表して世間を驚かせた。
大澤も岸も敏夫とは親しい付き合いをしていたが、引退の発表はやはり二人にとっても突然のことでかなり驚いたものだ。なにせ、このまま政治家を続けていれば総理大臣になれる可能性が極めて高かったからだ。
ただ、当人は「俺は総理の器じゃないよ」といっていた。
大澤たちはそれはただの謙遜だろう――と思っていたのだがどうやら本人は本気でそう思っていたらしい。
そして、敏夫の後継として出馬したのがまだ26歳だった俊英だった。
当時は世襲議員による不祥事が与野党共に多発していて世襲候補そのものに世間の目は厳しかったのだが俊英は父親の組織をしっかりとまとめて野党候補を圧倒して当選した。
その時の俊英とあった大澤と岸は彼の振る舞いから「将来大物になるな」と感じた。ただ、まさか42歳の若さで総理大臣まで駆け上がるとは当時の彼らは思ってもいなかったが。
「さて、下岡くんはこの難題をどうやって乗り切っていくのかな」
「さあどうだろうな。ただ、さっさと異界の国と国交を結んだのはいいことだな」
「『アトラス連邦』か…資料を見たけれどかなりの先進国のようだし、良い付き合いができそうだね」
「それに、イギリスが何かを企んでいるらしい。恐らく地域連合か軍事同盟あたりを自分たちが主導して作ろうとしているんだろうな」
「下岡くんはそれに乗ると?」
「可能性は高いし、ウチとしてものったほうがメリットはある。アトラスも多分入るだろうからな」
「アメリカはどうでるか――だね」
「今のクロフォード政権なら恐らく食い込んでくるだろうな。まあ、あとはどれくらいこの世界に国があるかだな。外務省はさぞかし忙しくなるだろうな」
「大澤さんも忙しくなるね」
「まったくだよ――これから野党との協議をしないといけない。しばらくは大人しいだろうが来月あたりからまたうるさくなるだろうな」
「特に今年は夏に参議院選があるからね…」
野党としてもアピールしなければ選挙で議席を落としてしまう。
それはなんとしてでも避けたいだろう。今はまだ異常事態ということで野党は協力的だがそれも春頃までと岸たちは見ていた。
東京市千代田区
進歩党本部
保守党の本部から2kmほどのところにあるビルに、最大野党・進歩党の本部がある。進歩党は1990年に当時の民政党などから分裂したリベラル派たちが結成した中道左派政党だ。これまで3回政権与党になったことがあるが3回とも短命政権で終わっている。
最後に政権を担ったのは15年前だが、結局この時も2年足らずで政権は崩壊し野党であった保守党が民政党や更に新興右派政党の改進党と連立を組む形で政権を奪還。以後は3党による連立政権が現在まで続いている。
進歩党政権が短命に終わる要因。それは党内対立だ。
複数政党の離脱者を中心に右派から左派にかけて様々な政治思想をもった議員たちが「打倒右派二大政党」という名目で集まって出来たのが進歩党だ。それまでの日本政界は100年以上にわたって保守党と民政党が交互に政権を担うという「右派二大政党」時代が続いていた。
これは、日本国民が他国に比べて保守的な政治思想をもっていたことが一番だが、二大政党の一角である民政党が右派政党ながら比較的リベラル寄りの政策を行っていたためリベラル票の多くを確保していたからだ。それ以外に民主社会主義政党の社会党や、労働組合を支持基盤に持つ労働党などもあったがいずれも政権を確保するための十分な支持は得られなかった。
その状況が変わったのは1980年代末からだ。
民政党執行部の保守的な政策に党内の左派が一斉に反発し集団離党したのだ。当時最大野党でおきた分裂はメディアなどで大きく取り上げられこれまで100年ほど続いていた保守党と民政党という二つの右派政党による二大政党制が終わったのはこの頃だと言われている。
集団離党した議員たちが中心となって設立したのが「進歩党」だ。進歩党には少数のリベラル政党なども合流し、労働党や社会党の所属議員も飲み込みリベラル政党として最大勢力を得るまでにいたる。その後に行われた衆議院選挙では保守党に次ぐ議席を得ることになり、1995年と2002年・2008年の合計3回他党との連立などによって政権与党になったが、前述の通りいずれも短命で政権を手放している。
その原因の一つが党内対立だ。
進歩党の中ではしばしば集団離党騒ぎが起きている。
その中で最大規模なのが2010年の集団離党騒動だ。
これは、当時左翼的な政策をしていた執行部に反発した党内保守派議員約30名が集団離党し「自由党」という中道政党を結成した。
これによって進歩党は他党と連立を組んでも過半数割れし、そのかわりに保守党が民政党や改進党に更に右派政党の国民党の協力を得て政権を奪還。その後の選挙で右派連合が議席を伸ばしかわりに進歩党は大きく票を失った。
現在は、そのときに比べれば票は戻っているが近年は「自由党」に支持者が流れており、4回目の政権奪還は中々厳しい事態になっている。
「暫くは保守党に協力するしかないな」
そう、つぶやくのは現在の進歩党の代表である鬼塚秀一だ。
党内保守派に属する彼は党を立て直すために代表に昨年就任したのだが今のところ党を立て直すことはできていない。というよりも、党内の意見が基本的にまとまらないので彼が立て直そうと頑張ったところでマスコミに進歩党のバラバラ具合を報じられては、支持率が下がるという近年と同じことを繰り返していた。
特に手を焼いているのは与党と徹底的に対立すべき――と主張する党内最左派グループの存在だ。近年になってその勢力を拡大していることから鬼塚たち党執行部も中々無視することができない。
今回も執行部の「保守党に協力する」という提案に真っ向から反発しており「それでは野党としての仕事を放棄するも同然だ!」とすごい剣幕で鬼塚たちに詰め寄るくらいだった。
彼らが、ここまで強く反発しているのは今年の夏に参議院選挙が予定されているからだろう。果たして、この状況下で選挙をやるのかは不透明だが夏までに状況が改善されていれば選挙は実施されるだろう。
現在の、下岡内閣の支持率は70%を超える。
これは、政権支持率としては極めて高く。政党支持率も与党3党は合計で全体の7割ほどの支持率を集めていた。一方の進歩党の支持率はやや下がっておりついにライバルである自由党に支持率が抜かれた。
自由党は政権に対しては「是々非々」という立場を維持しておりそれもあってか近年野党の中でも支持率が伸びていた。進歩党支持層の一部も自由党支持に流れてしまったほどだ。
そういったこともあり、党内最左派はより過激な反政権姿勢を出すようになっているのだがこれがウケるのは本当に限られた層だけだ。
(あー…胃が痛い)
先行きが見えない状況に鬼塚の胃は悲鳴をあげていた。




