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正暦2025年 1月9日
パナマ共和国 パナマシティ
パナマの首都・パナマシティは3日前に突如として巡航ミサイルの飽和攻撃を受け実質的に壊滅した。多くの市民たちは着の身着のままパナマシティを脱出し、大統領など政府首脳も隣国のコスタリカへと逃れた。
その、2日後。パナマシティに数十万人のフィデス軍が押し寄せた。
「中々大きい都市だったようだな」
「ええ。今は無惨な姿になりましたがね」
「それをやったのは我々だがね」
「ここの住民は運が悪かった――そう思うしかありませんね」
巡航ミサイルの直撃によってほぼ崩壊した高層ビルを見て会話しているのは今回の作戦の指揮官であるマリウス・ジーヘルト中将と、参謀長であるエーリヒ・クロイネン大佐だ。
彼らが所属するフィデス人民陸軍第1軍団が今回パナマを始めとした中米地域を制圧するために派遣された。第1軍団はフィデス陸軍の中でも特に精鋭が集まる部隊であり、最新兵器が多く配備されておりこの部隊に配属されるということはフィデス陸軍内でも特に優秀なエリートだとされていた。
「しかし、派手に破壊しすぎではないかね?これでは前線拠点を築くのも大変だぞ」
「戦略軍と海軍の連中が張り切りすぎたみたいですね…」
「全く、アトラス相手に出来なかったからといって我々の仕事も考えてほしいものだ」
パナマシティの惨状は地上部隊の彼らにとっても予想外のことだ。
事前にパナマシティを攻撃したのは陸軍とは別の「ロケット軍」や「海軍」がそれぞれ実施した。
海軍は3年前に配備したばかりの空母をパナマ攻撃に投入しており、ロケット軍も多数の弾道ミサイルや巡航ミサイルをパナマに向けて発射していた。
無差別の飽和攻撃によって市街中心部はほぼ壊滅している。本来ならばホテルなり政府庁舎なりを接収して現地司令部を作る方針だったのだが無事な建物がほぼない状況のため、彼らは仕方なく少し離れた場所にテントを張ってそこを一時的な司令部にしていた。
「閣下。どうやらこの先は運河を渡らなければいけないようですが、橋がすべて崩壊しておりこれ以上先には進めないようです」
「戦略軍の連中の仕業か?」
「あるいは、この国の連中が逃げるときに落としたかと」
「復旧にはどれほどかかる?」
「そうですね…工兵隊が言うには3・4日はほしいということです」
「仕方がない。それまでこの近辺の情報収集をするしかないか」
パナマシティはパナマ運河の東側にある。
つまりは南米大陸側にある都市だ。対岸に渡るためには2つの橋があるのだがその橋は後退したパナマ国防軍の手によって爆破されていた。
思わぬ場所で足止めを食らうこととなったが、ジーヘルト中将は特に慌てることはなかった。
パナマ共和国 中部
「橋は破壊できたが…多少の時間稼ぎにしかならないだろうな」
「その間にアメリカが来てくれれば良いんだがな」
「難しいだろう。ニカラグアが確実に阻止してくる」
「このままだと自分たちの国も危ういのにか?」
「連中にとってはアメリカが自国領に入る方が嫌なんだよ」
パナマ運河を超える橋から少し離れた場所にパナマシティから撤退したパナマ国防軍の1個小隊がいた。この小隊がパナマ運河にかかる橋を爆破し一時的に運河の両岸を寸断することができた。
もっとも、それが少しの時間稼ぎにしかならないのは理解していた。
彼らにとって今最も待ち望んでいるのは、アメリカの救援だった。
だが、ここで問題になるのが反米国家のニカラグアの存在だ。
キューバと共にこの地域で数少ない社会主義国家であるニカラグアは現在もアメリカと外交的に対立している。そのため、ソ連などからの軍事援助を受けこの地域ではメキシコに次ぐ規模の機甲戦力を保有していた。殆どがソ連からの中古品とはいえまともな戦車を保有していない近隣国からすればニカラグアの機甲戦力は脅威だ。
そして、アメリカ軍が陸路でパナマへ向かうにはニカラグアは必ず通らなければならない。だが、反米政権のニカラグアがアメリカ軍の領内通過を認めることはないだろう。
もう一つ、アメリカの隣国で同国と微妙な関係にあるメキシコもアメリカの領内通過を認めるのかどうか微妙なところだった。
「ともかく、俺たちがやれることは敵の進軍速度を少しでも遅らせることだ」
「絶望的だがやるしかないな…」
祖国にとっては絶望的な状況ながらパナマ軍の兵士たちの士気は十分すぎるものがあった。
パナマ上空
パナマ上空をアメリカ空軍の早期警戒管制機であるE-10が飛行している。
未だに本格的に軍の派遣を表明していないアメリカであるが、情報収集のためにE-10早期警戒管制機などをパナマ上空などに飛行させていた。
E-10はB-767を改造した早期警戒管制機であり、アメリカ以外にイギリスや日本にドイツなどの国々で導入されている。それまでの主力機であったE-3が老朽化したことに伴い2010年から導入されている。アメリカ空軍はそれ以外にB-737を改良したE-7も早期警戒機として運用している。
「空から見ることしか出来ないなんてな…なんというか歯痒いよ」
「仕方ないさ。軍を送り込むにも情報は必要だからな」
「だが、向こうのレーダー監視網はソ連並だぞ?」
E-10は何度かフィデス領内の偵察を行おうとしたが強固なレーダー網に阻まれ上手くいっていなかった。その間にフィデスはパナマへ軍事侵攻を行ってしまう。
中米諸国からはアメリカ政府に対して軍の派遣が要請されているがニカラグアがアメリカ軍の通過を認めていないことからアメリカは地上部隊の派遣を見送りかわりに海兵隊をコスタリカへ向かわせていた。
「まあ、パナマ軍のおかげで少しは時間が稼げるだろう。その間に海兵隊がコスタリカに到着する」
「…そうだな」
それでもやはり、空から見るしか出来ない状況が歯痒いとレーダー員は顔を歪ませた。
正暦2025年 1月10日
アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
ホワイトハウス
「パナマの状況は?」
「偵察衛星などからの情報をまとめますと、首都のパナマシティは壊滅。ただ、まだ敵はパナマ運河は超えていないようです」
「敵の規模は?」
「約一個軍団規模かと」
「中米だけでは手に余るな」
パナマの現在の状況について国防長官から報告を受けるクロフォード大統領。中米諸国からはすでにアメリカに対して軍事的支援を求める声が相次いでいる。ただ、アメリカ国内にはすぐに動かせる実働部隊は少なく、また反米政権のニカラグアがアメリカ軍の領内の通過を認めていないことから大規模に中米救援のために軍を派遣することは今は出来ていない。
アメリカ軍は世界中に部隊を駐屯させている。
最も多いのは中華連邦で次いでヨーロッパ。この二つだけでも陸軍戦力の6割が駐屯しているし、空軍や海軍の主力も太平洋やヨーロッパにおいていた。いずれも、対ソビエト、対共産中国対策のための部隊だ。ただ、中華連邦と朝鮮半島に駐屯している部隊に関しては順次撤収させることがすでに決まっておりその第一陣は今日の午後に両国を出発した。
一方でヨーロッパはギリシャが軍事侵攻を受けているため欧州軍を撤退させることは難しく、それどころかドイツなどから追加の軍派遣を求められていた。
「ヨーロッパの件はどうしましょうか?ドイツなどから追加の部隊派遣の要請が届いているようですが」
「軍にその余裕はあるのか?」
「残念ながら。一個空母打撃群と一個遠征打撃群ならば捻出できますが、そうすると大西洋艦隊で空母が不在になります。現状、西海岸やハワイから東海岸へ艦隊を移動させるにはカナダ北方の旧北極圏海域を使うしか手段はありません。カナダ政府からの情報によれば分厚い氷などは姿を消しているようですが、あちこちに流氷などがある状態らしくあまり使いたいルートではありませんが…現状使えるのはこのルートのみです」
もう一つの手段はパナマに軍事侵攻している大陸の南を通ることだが他国に軍事侵攻している国の近海を通るのはリスクが大きいと国防総省の中では判断しているのでこの場で話されることはなかった。
「ハワイからまわせるか?」
「問題ありません」
「では、一個空母打撃群をヨーロッパへ派遣しよう」
「わかりました」
「ああ。太平洋の艦隊ならば一つまわしても大丈夫だろう。なにせ、あそこには日本がいるからな」
「個人的にはあまり日本に借りを作りたくはないのですが…」
「日本なら借りを作っても問題はないだろう?」
あの国は理不尽なことは言わないからな、と付け加えるクロフォード。
彼のように日本を最大の同盟国として信頼している者は多い一方で、国防長官のダニエル・クーパーのように同盟国とはいえあまり日本に借りを作るようなことをしたくないと考える者たちも主に安全保障や情報分野の高官たちに多かった。これが、現場の指揮官クラスになると「なんのための同盟国だ」と渋い顔で上層部批判をしていたかもしれない。
日本とアメリカは1946年から現在まで同盟関係にある友好国だが、その前は太平洋を舞台に戦争を行っていた。太平洋戦争と呼ばれる戦争は1934年の1月から翌年の3月にかけて行われた戦争で、主に広大な太平洋を舞台に海軍同士が衝突した戦争だった。
戦争原因は諸説あるが、アメリカの政権交代によって白人主義だった当時の政権が黄色人種である日本がアジアの強国になるのが気に食わずその力を削ぐのを目的にしていたという説と。単純にアジアへの進出に日本が邪魔だったので排除したかったのどちらかが有力だと言われている。
実際、当時の軍事力や海軍では互角だがそれ以外はアメリカが日本を上回り経済力もアメリカは日本の数倍の規模だったことからアメリカ国内では「楽な戦争」だという位置づけがされていたようである。
だが、実際の戦争では最初の奇襲攻撃こそ成功したもののそれ以後の海戦では日本海軍の空母を用いたアウトレンジ戦法や潜水艦を用いた撹乱作戦などに翻弄され次々と戦艦などの主力艦艇を失い。太平洋の拠点であるハワイまで失った。それでも、アメリカの工業力ならば時間をかければ日本を降すことは可能だったが、日本との戦争を推進していた大統領が病に倒れる事態が発生するなど国内で混乱がおき、最終的に当時の大統領が死亡。あとを継いだ副大統領はヨーロッパ情勢の悪化なども考えて「民主主義国の日本と戦ったらイギリスなどとの関係が悪化する」と危惧し、日本との停戦交渉することを決意。
日本側もこれ以上戦ってもジリ貧であるのは理解していたのと、イギリスが仲介に乗り出したことから交渉の席に座りハワイは返還するもののアメリカ側が日本に譲歩するなどを確認して翌年3月にアメリカのサンフランシスコで講和条約が締結され戦争は終結した。
それでも、アメリカ世論は日本のことを敵視していたようだがそれが変わったのはヨーロッパの戦争に日本とアメリカが参戦することになってからだ。どちらもイギリスなど連合国に参戦したことから共に戦う内にアメリカ国内の対日感情は和らいでいった。
そして、戦後の東西冷戦ではどちらもソビエト連邦を仮想敵と認識していたことからイギリスを交えた3国で1946年に軍事同盟を締結。以後、アメリカは大西洋・ヨーロッパの「NATO」とアジア・太平洋の「APTO」という二つの軍事同盟を中心とした安全保障体制を構築するに至った。
そのため、日本はもう長年の同盟国なのだが。未だにアメリカ国内では日本の力を警戒する意見は多くある。これは保守・左派問わずに出ている。ただそれで日本と敵対したところでアメリカにとって旨味はないので同盟解消――という話はさすがにどの陣営からも出ていなかった。
「中米は暫く情報待ちだな…アトラスに頼るしか無い」
後日。アトラスからの情報提供で、中米に侵攻している国がソ連や北中国並に厄介な国だと知ったクロフォードは盛大に渋い顔をするのだった。




