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現実世界と異なり、樺太は全域が日本領であった。
樺太全土が日本領になったのは1958年に勃発した日ソ戦争の結果である。
当時の樺太は南部が日本。北部はソ連領であり島国である日本にとっては唯一陸上国境が存在する場所であった。東西冷戦が始まると西側陣営に所属することになった日本と東側陣営の盟主であるソ連の関係は急速に悪化していた。ただ。ソ連政府は衛星国となった東欧に集中しており、極東にはほとんど視線は向かなかった。
このことを利用してなのか、ソ連の極東軍管区の一部が政府の許可をとらず独断で軍を南樺太へ侵攻――これが日ソ戦争の引き金となった。
日本はソ連からの侵攻に備えてはいたが、それでも1958年10月におきた侵攻は当時の日本軍にとっても日本政府にとっても予想外の攻撃であり結果的に南樺太の北部は一日あまりでソ連軍に占領されてしまった。
もちろん、日本もこのまま手をこまねいているわけではない。
すぐに、樺太駐屯部隊や北海道の部隊を再編成しながら樺太中部の主要歳である敷香と恵須取を結ぶ線に防衛線を築いた。また、海軍もすぐに陸軍支援のために大湊の第5艦隊を派遣し、更に舞鶴の第4艦隊や横須賀の第1艦隊なども動員してソ連海軍が満足な行動が出来ないように海上封鎖を実施した。この海上封鎖によってソ連の太平洋艦隊は身動きがとれなくなり、後々日本側に戦況が傾くきっかけになった。
ソ連は千島列島にも軍を進めており北部の新知島までが占領した。しかし、南部への侵攻は日本軍の粘り強い防衛線のまえに遅々として進まなかった。このとき、日本政府にはアメリカやイギリスなどから「参戦の用意は出来ている」という打診はきたが日本政府は「自力で解決する」としてこれらの打診を断っている。
前線は一週間ほど停滞するが、日本側から追加戦力が投入されると逆に日本側が反撃に出てどんどんソ連軍を北部へと押し返した。戦車の性能においては日本陸軍よりもソ連陸軍が上回っていたが、日本軍は海や空からの的確な地上支援が行われた結果強力なソ連の機甲部隊を撃破した。ソ連側も戦闘機などを飛ばしたが制空権はすぐに日本側が確保することになった。
南部の制海権も日本が握っており、ソ連としては中々厳しい状況に追い込まれていた。このときになってモスクワも極東の異変に気づいたようだが遠く離れた極東へ介入するにも時間がかかり、その間にもソ連軍は日本軍に徐々に押し込まれていき戦いの場は北樺太に移ることになった。
北樺太へ逆侵攻した日本軍は各所でソ連軍を撃破。
また、占領された千島列島北部にも海兵隊が次々と強襲上陸を決めてソ連軍を撃破し9日目で千島列島北部はすべてが奪還され、北樺太も2週間ほどでほぼ全域が占領された。このときになってようやくモスクワは戦争を主導した極東軍管区の幹部を粛清。日本側と停戦交渉をすることになるが、先にソ連が仕掛けてきたこともあってか北樺太は日本に割譲されることになった。
ソ連が北樺太を日本に割譲したのはソ連政府の視線がヨーロッパに向いておりこれ以上極東で厄介事を増やしたくないの戦争の引き金をひいた極東軍管区に対しての懲罰的な意味合いもあったという。
また、この日ソ戦争によって第三次世界大戦の引き金が引かれるのではという憶測も飛び交ったほどだが。幸運なことながらこの日ソ戦争によって第三次世界大戦の引き金が引かれることはなかった。ただ、その後の東西関係はキューバ危機などを含めて非常に危機的な状況になったのは事実である。
北樺太のロシア系住民は4割がロシアへ送還されたが、残りの6割は日本国籍を取得することを選んだ。当時の北樺太はそれほど大規模な開発はされていなかった。一方で南樺太は豊原や大泊などの主要都市では都市化が進み人口が急増していた。このこともロシア系住民が日本国民になることを選んだ一因だと言われている。
その後の北樺太は豊富な天然ガスや原油などの天然資源に恵まれていることがわかり日本政府によって大規模に開発されることになる。このことはソ連にとっても想定外だったらしく、ソ連内には樺太奪還の声も強く上がったようだがソ連政府は結局転移するまで樺太の武力による奪還を行うことはなかった。
しかし、日本は引き続きソ連の侵攻を警戒し樺太は対ソ連の最前線地帯として約10万人の軍人が転移後の現在にいたるまで常駐していた。
正暦2025年 1月6日
樺太北西沖
ノルキア帝国海軍 潜水艦「エメラルド」
樺太北西100kmほどの水中に一隻の潜水艦が潜航していた。
ノルキア帝国海軍第2潜水艦隊に所属する潜水艦「エメラルド」だ。
エメラルドが潜航している海域は二日前から発達した低気圧によって荒れに荒れていた。海上は30mを超える暴風が吹き、波は6mに達していた。
「艦長。上は相当に荒れているみたいですね」
「そのようだな…だが、この近くに島があるのは確かだ。なんとか海兵を上陸させなければならないんだが…」
エメラルドはこの付近に確認された島を調査するために海兵隊の偵察部隊を秘密裏に島へ上陸させることを任務としていた。艦内には一個小隊の海兵隊員が同乗している。しかし、海上は荒れているため艦長はこのまま島に近づいても大丈夫だろうか、と不安だった。
だが、あまりこの海域に長居するほどの燃料や食料に余裕があるわけではない。彼らが生活しているノルキア帝国は樺太から3000kmほど離れたところに位置している。帝国もこの世界とは異なる世界「ユーリス」と呼ばれる世界から、この世界に転移してきたばかりだった。
ユーリスは複数の列強が植民地を賭けた争いを数十年間続けており、ノルキア帝国も列強の一角として各地に植民地を有していた。しかし、転移によって多くの植民地の行方はわかっていなかった。
帝国は議院内閣制国家だが、多くの植民地を失ったことに焦りを覚えた政府と軍部は世論から批判をかわすために「新たな植民地の確保」することを決めた。
エメラルドはその一環でこの海域に派遣され、樺太島を発見したことから海兵隊偵察小隊を島に送り届けるために樺太に近づこうとしていた。
「暫くここで足止めですか?」
「少尉か。ああ、上は随分と荒れているようだからな」
司令区画に海兵隊の指揮官である少尉が顔を出す。
彼ら海兵隊にとって潜水艦の狭い環境はやはり苦痛らしく、表情には疲れが見える。
「これは相当な防寒対策をしないと調査は難しいかもしれないな」
「一応、寒冷地対策の装備は用意していますが…隊員たちはほとんど寒冷地での作戦の経験がないのが不安材料ですね。民家などが上陸地点にあればいいのですが」
「こんな環境で果たして人は暮らしているのかね?」
「先住民族などが少数生活している可能性はありますから」
「たしかにな…だが、この島を占領して政府はどうするつもりなのだろうな」
「一応、近隣に石油採掘プラントのような施設がありました。油はとれるのかもしれません」
「石油がとれるのならば占領する理由はあるな」
そして、採掘施設があるのならば人が生活している可能性は高い。
(ということは軍が駐屯している可能性も高いな…)
すでに揚陸艦を主体とした艦隊はノルキアを出たという。
本来ならば偵察部隊が上陸して調査が進んだ段階で軍を派遣するのだが、こんかいは待っている時間はないと軍上層部が出発を急がせたという。あまりにも早急な政府や軍上層部の対応に艦長は「本当に問題はないのだろうか」と疑問に思うが、軍人である彼はただ上からの指示に従うしかなかった。
天候は回復したのはその日の午後だ。
しかし、日がすでに傾いたこともあり偵察部隊が実際に島へ上陸するのは翌朝まで待たなければならなかった。