13
正暦2025年 1月7日
朝鮮連邦共和国 ソウル
日本などがこの世界に転移して一週間が経った。
最も大きな変化を受けたのはユーラシア大陸だ。転移によって大陸は幾つかに分離。そのうち、日本のほど近いところにあったのが中華連邦共和国と東南アジア地域とユーラシア大陸から分離し、島となった朝鮮半島だ。
いずれの国も、日本と同じ西側陣営に属していた。
朝鮮半島は現実世界と異なり全域が「朝鮮連邦共和国」によって統治されていた。朝鮮連邦は大韓帝国が第二次世界大戦後の1946年に民主化して発足した国でその名の通り連邦共和制をとった民主主義国家だ。現実世界の朝鮮半島は日本に対して複雑な感情を持っており様々な問題を抱えているが、この世界における朝鮮半島はたしかに実質的に日本の保護国のような扱いであったが現実世界のように日本によって併合されていなかったことから、日本に対してやや複雑な感情を持つ勢力もいるが国全体としてみればむしろ親日的な国家だ。
朝鮮は中華連邦と共に西側陣営にとっては極東の防波堤の一つと認識されており、国内には約10万人の在朝米軍が現在でも駐屯している。また、朝鮮事態も常備兵力50万人を誇る陸軍国家として北中国――中華人民共和国と対峙していた。しかし、それも転移によって終わりを告げていた。
「アメリカ軍の段階的な引き上げか――まあ、北中国が消えた時点でそうなるのは仕方がないか」
アメリカが朝鮮及び中華連邦から段階的に駐屯軍を引上げるという通達を受けた朝鮮連邦共和国大統領パクの反応は非常に淡々としたものだった。
北中国という仮想敵はユーラシア大陸と共に朝鮮からはるか北西へ移動してしまったことは数日前にすでに判明している。
今の朝鮮は、日本と同じ島国となり大規模な外国軍を置く理由もなくなった。それでも「完全撤収」はアメリカ政府はする予定はなく。引き続き空軍や海兵隊が朝鮮には駐屯する見込みだ。リベラル系の野党などはこの際、全軍の撤収を求めているようだがアメリカ側がそれに応じる理由はないだろう。
アメリカは転移をきっかけに部隊の大規模な再編を行うことを決めた。
まあ、これは単純に距離が遠くなって部隊のローテションが難しくなったので特にアメリカから遠く離れた地域の部隊を引き上げさせ本国で再編成を行って再度別の場所へ駐屯させることを意味していた。
朝鮮からの部隊撤収も陸軍がメインであり空軍と海兵隊はほぼ手つかずだ。
一方の中華連邦駐屯は陸軍一個師団のみを残して完全撤収し、フィリピンに関しては引き続き海軍と海兵隊の大規模部隊を駐屯させる予定だ。
恐らくは日本対策ではないか、と一部メディアでは推測しているが実際はそうではなく極東地域(今はこの世界の中央部だが)に出現したアトラス連邦共和国への警戒というのが一番の理由だろう。
現在の所、アトラスは日本とのみ外交関係にありそれ以外の国とは現在外交関係樹立に向けた交渉が行われている。朝鮮も外務省の職員をアトラスは派遣していることでアトラス側と交渉している途中だった。
「アメリカは相当、アトラスという国のことを気にしているようだな」
「日本やイギリスと密接な関係になってこの地域での影響力を拡大するかもしれない、と懸念しているのでしょう。特に日本を引き抜かれるのはアメリカにとってもダメージは大きいでしょうから」
「だが、日本がアメリカとの関係を今更見直すとは思えないが。保守党は伝統的に親米政党だからな」
「とはいえ、日本も場合によっては付き合い方を変える可能性はあるから。あの国は潜在的に反米感情は比較的根強くありますから」
「まあ、それは我が国も同じだがね」
外務大臣の言葉に、大統領のパクは苦笑を浮かべながらつぶやく。
朝鮮半島は日本の保護国であったのと同時にアメリカも強い影響力をもっていた。特に、第二次世界大戦後は顕著であろう。日本は朝鮮に対して近代化のお膳立てはしたがそれ以上の国家体制に対しては特に何も言わなかった。それは内政干渉になると、当時の日本政府が判断したからだ。
一方でアメリカは朝鮮のそれまでの体制は「時代遅れ」だと批判し。半ば強引に民主主義・資本主義国家へ作り替えようとした。それが、大韓帝国の崩壊であり朝鮮連邦共和国の誕生の裏側にある。もちろん、朝鮮国内ではこの強引なアメリカの手法に反発を覚える者も多かったが、それで北中国など共産主義者に近づかれるのは困る日本がなんとかそういった者たちを説得し最終的には大きな混乱なく、朝鮮半島は全土が朝鮮という連邦国家によって統治されていくことになった。
同様のことは、南中国――当時の中華民国でも行われたのだがこちらは指導者の蒋介石が徹底的に抵抗し、更に共産中国との接近も匂わせたことでアメリカが諦めたようだ。まあ、コレに関しては日本がアメリカ側を必死に説得したのも大きいだろう。
アメリカという国はどこか独善的なところがあり、1940年代後半の極東はそのアメリカの一面が現れた場所だった。ちなみに、中華民国は最高指導者である蒋介石が死亡すると、国民党政権への反発が国内各地で広がったことで1972年に連邦国家である「中華連邦共和国」へと体制が変わった。
実はこれが日本の狙いだった――などと、今では囁かれている。
実際、日本の情報機関は1940年代から民主化へ向けての足場を固めていたという資料が後に出てきている程度に日本はゆっくりと南中国の民主化を進めようとしていたらしい。実は、アメリカの横槍が入るまで朝鮮でも同じことをするつもりだったのだがこちらはアメリカが強硬だったこともあり上手くいかなかったのだ。
さて、話はそれたがその後もアメリカは朝鮮において時折横柄な態度をとることがあったので朝鮮国民からアメリカはあまり好意的ではなかった。保守派の一部は反米主義に走っていたほどだ。それでも、共産化はどの勢力も恐れていたので結局今までアメリカと共同歩調を取り続けていたわけになる。
それは、今後も変わらないつもりではあるが進歩派を中心に「共産主義者が消えたからアメリカとの関係を見直すべき」という声はやはりあがりはじめていた。
それは、海を挟んだ隣国でも起きていることだった。
同日
中華連邦共和国 香港
大統領官邸
南中国――中華連邦共和国は1911年に民主化革命によって中華帝国を打倒して設立された中華民国を前身としている。当時の中華地域は軍閥なども各地に存在していたがなんとか中華大陸のほぼ全域をその支配域においていた。しかし、1920年代になるとソビエトによって育成された共産主義者たちが北部で活発に行動を始め中華民国政府はその対応におわれるこおになる。衝突は激化し、1930年代中盤からは「国共内戦」と呼ばれる内戦がはじまり1950年に一時停戦するまで20年ちかくにわたって衝突が続いた。
結果的に中華大陸は、北部の大部分と南部の一部を中華人民共和国が統治することになり、残る華南地域の7割ほどが中華民国が統治することになり両国の国境地帯は国連によって非武装地帯とされた。中華大陸は極東における東西冷戦の最前線となり、中華民国には数十万人規模のアメリカ軍が駐屯。共産中国にもソ連軍が駐屯したが、このソ連軍は1970年代からの中ソ対立によって撤退している。
1972年には中華民国の最高指導者であった蒋介石が死亡。
後継者を巡る内乱が起きかけたが、世論の民主化を求める声が各地で噴出しアメリカや日本などもこの動きを支持したことから中華民国は40年にわたって続いた国民党による一党独裁体制を放棄し、連邦制、複数政党制を認めた中華連邦共和国へと変わった。
現在の首都である香港は長らくイギリスが租借地にしていたが、この民主化後にイギリスから返還され、それまでの首都だった広州から首都機能が移転された。
この間の南北国境は両国軍が小競り合いは続けるが大規模な軍事衝突にはなっていない。中華連邦は民主化後に欧米企業などが多く参入したことで飛躍的な経済成長を遂げ、一方の北中国も最高指導者の毛沢東が死亡したことで「改革開放路線」に路線変更し、経済成長の兆しが見えた。
この間、南北間では「それぞれ独立国として認める」という外交交渉が行われ結果的に1980年に南北中国はそれまで加盟できなかった国連へと加盟することになった。
ただ、南北関係が完全に改善されることはなく定期的に国境では小競り合いが続いた。特に北中国の経済成長とそれに伴う軍備拡張は中華連邦だけではなく韓国や日本など周辺の国々にも大きな警戒感を与えるものであり、北中国政府もより強権的な体制になったことから極東の安全保障問題はかなり逼迫していた。
それも、今回の転移によって元凶であった北中国と離れたことで解消された。そのため、中華連邦にもアメリカ政府から軍の一部を撤収させるという通達がこの日の朝に届いた。
この通達に対しての中華連邦上層部の反応はというと――。
概ね、朝鮮上層部と同じものだった。
「まあ、仕方がないな。北が消えた今、我が国に数十万の陸軍や空軍を置く意味は皆無だからな」
「それでも空軍の一個航空軍は我が国に引き続き展開し続けるようです」
「恐らく日本対策だろう。アメリカが完全に撤収すればそのかわりを日本が務めることになるだろうからな。アメリカにとってそこはなんとしてでも阻止したいんだろうな」
日本はアメリカほど苛烈ではないから日本のほうがマシだと思っている国は多そうだろうがな、と中華連邦大統領の李は内心思う。
アメリカは民主主義の押し売りをしてくるが、日本の場合は粘り強く相手が根負けするほどに説得しているので、アメリカが介入するよりも問題が起きにくい。特に、アジアの場合は日本が独立の支援などを秘密裏に行っていたので親日的な国が多い。
例外なのは、現在でもアメリカの影響力が強いフィリピンや複雑な宗教問題を抱えアメリカやヨーロッパの利権なども絡まっている中東くらいだ。
「それと、アメリカが一番警戒しているのは『アトラス』だろうな。我々が日本やアトラス陣営につくことをアメリカは恐れているようだな」
「日本から話は来ていますが、それほど警戒するような国とは思えませんが…」
「この場合は軍事的ではなく経済的な意味での警戒さ。どうも、アトラスはかなりの技術大国のようだからな。貿易面で不利になるとアメリカが考えていてもおかしくはない。なにせ、日本とも貿易面で大きく揉めたからな」
親米国家である日本で一時的に反米感情が高まったのが1980年代から90年代にかけておきた日米貿易摩擦。安価で優秀な日本製品が多く流入し対日貿易赤字が出したことでアメリカの産業界が激怒しておきた、アメリカによる日本への圧力とそれに反発した日本の対立は蜜月関係とまで言われていた日米関係の終焉とも言われた。結局は、アメリカ側が折れる形でこの問題は終息したようだがそれぞれに反米主義者、反日主義者を増やし以後の日米関係にやや悪影響をもたらしたことを李は言っていた。
さて、アメリカが軍の一部を引き上げるということで中華連邦軍の中では特に海軍を中心に大規模な戦力拡充を求める声が上がっていた。特に海軍は空母を含めた機動艦隊の設立を政府に対して本気で求めていた。
転移前の中華連邦は南シナ海と東シナ海に面しており、近くには海軍大国の日本があったこともあり軍備は海軍よりも陸軍や空軍に集中投資していた。しかし、転移によって陸における脅威が消失し国土の北側も海に面することになったことから海軍が「今度こそ海軍を増強すべき」と主張しているのだ。
ただ、予算面の都合でこの海軍の主張が受け入れられるかは微妙なところだ。脅威がなくなったのだから軍縮すべきという世論の声も大きくこれに多額の資金が必要な空母を整備すれば国民からの反発は避けられない。
そのため、政府はこの海軍の要求に対してはあまり乗り気ではない。
ただ、大統領個人とすれば空母はともかくとして強襲揚陸艦の必要性は高いのではないかと思っていた。