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新世界歴2年 4月7日
ドイツ連邦共和国 ベルリン
ギリシャへ最大の支援を行っているのはヨーロッパ最大の経済力を持つドイツであった。現政権は、欧州連合を中心とした「欧州の連帯」に重きをおいており、被害を受けたギリシャへの金銭及び人的支援を惜しまない――と当初から表明し、実際にそれを行っていた。
ドイツ世論の多くも、政府の決定に賛同していた。
報道などによって伝えられるギリシャの惨状にドイツ世論が同情したのが大きいだろう。そして、それは他のヨーロッパ諸国でも同じだった。
一方で、大々的なギリシャ支援に否定的な声もやはりあった。
その最大勢力が「人民党」だった。
「人民党」は30年ほど前に出来た民族主義政党だ。
ドイツは、第二次世界大戦のこともあって民族主義――否、極右とされる思想が避けられる時代が長く続いており、ヨーロッパの中でもかなりリベラルな風土を持つ国だった。それでも、強い民族主義思想を持つ者たちは多く「人民党」はそういった政治思想を持った者たちによって設立された政治団体を前身としていた。
当初は、それほど注目される団体ではなかったが、状況が変わったのは設立から10年後のことだ。当時のドイツ政府はアフリカや中東からの難民や、東欧諸国からの移民を積極的に受け入れていた。これは、人道的支援の一環でもあるが、同時に安価な「労働人材」を得るために財界が政府に強く働きかけた結果でもあった。
はじめは世論も「人道支援」だとして評価していたし、それを行わない国に対して批判的だった。だが、それも、ドイツで移民や難民絡みのトラブルが増えてからは大きく変わる。
まず最初に声をあげたのは「人民党」であった。
「ドイツに不利益をもたらす移民や難民は送り返せ!」と叫びながら抗議集会をいくつかの都市で開いたのだ。
メディアでは大きく取り上げられることはなかった。それでも「迫害勢力が抗議活動」という小さな見出しでいくつかの新聞が記事に出していた。そして、この抗議集会には約1000人の有権者が参加していた。いずれも「人民党」の活動に距離をおいていた有権者たちであった。
この、抗議集会は定期的に開かれるようになり徐々に参加者は増えていきメディアでの露出も増えていくことになる。
背景にあるのは移民や難民によるトラブルや犯罪件数がどんどん増加し、市民生活に影響を見せるようになってからだ。
人道支援で難民の受け入れを容認していた世論も、トラブルや犯罪の話を聞き続ければ態度を硬化させるのは仕方がないだろう。自分たちの世界の安寧を余所者によって傷つけられるのは誰だって嫌がるものだ。
そして、人民党はこうした世論の「変化」を敏感に感じ取っていた。
だからこそ、抗議集会の場で「有り得るかもしれない未来予測」を語る。
「このまま、移民や難民が増えれば国が乗っ取られるかもしれない」と。
もちろん、本当に起きるとは彼らは言っていない。あくまで「起きるかもしれない」という憶測を民衆に語っただけだ。
だが、人というのは単純なもので「最悪の結果が起きるかもしれない」と考えてしまった。はじめは、同じような懸念を述べていた者たちを糾弾していた者たちが今では懸念を口にするようになるのだ。
ただ、難民たちだって何も犯罪をしたくてやっていたわけではない。
彼らは本当に祖国から命からがら逃げてきたのは事実なのだ。
そして、ヨーロッパに行けば祖国にいるよりも安定した生活ができると信じて、やってきているのだ。だが、言語の壁やまた人種への迫害など様々な壁によって彼らは犯罪行為へ走ってしまった。
中には、ヨーロッパに憎悪してテロ組織の勧誘を受け入れて戦闘員になった者までいたほどだ。もちろん、きちんとそれぞれの国に溶け込んで普通に生活している難民や移民も多いが、溶け込むことが出来ずに最終的に犯罪行為に手を染める者もいる。
そして、情報というのはこういった犯罪に手を染める者たちのことが大々的に取り上げられ。最終的にそれが移民・難民全体が問題を起こすのではないか?という疑念を世論は抱くのだ。
風評被害と似たようなものだろう。悪い情報ばかりが先行した結果、すべてが問題だと感じてしまうのだ。昔は、新聞や噂話などで時間をかけて広がっていたが、今ではインターネットが広く普及しSNSなどで簡単に情報発信できる時代になったので、あっという間に悪い情報は拡散されるようになったので、問題はより深刻化していた。
現在のドイツ連邦議会は、中道右派の「自由党」が多数派を形成している。
現職の大統領も「自由党」出身で首相経験者だ。その後に続くのがリベラルの「社会党」であり、民族主義政党の「人民党」は議会内では5番目の議席となっている。
メディアなどの事前予測ではどの政党も議会の過半数を得ることはできないと言われている。それだけ、今回の選挙はどの政党も「第1党」になるチャンスがあるほどの接戦であった。特に、民族主義政党の「人民党」は欧州懐疑主義や米国懐疑主義がドイツ国民に広がっているため、支持率を伸ばしており既存の各政党はそれを阻止すべく「あの時代に逆戻りする」と盛んに「人民党」を攻撃しているが、既存政治への不信感が根深く残っているためか中々うまくはいっていなかった。
「まるで、第二次世界大戦前夜のようだな」
「あの時と違って我が国は敗戦国ではないんですがね……」
「たしかにな、あの時と状況は違う。だが、国民の欧州連合への不満は予想以上に深刻のようだ」
「我が国の富を他国に流れるのは我慢できない……ですか」
「それだけ国民に余裕がないのだろうな。しかし、今後のギリシャ復興支援にかかる多額の費用を我が国が供出するとすれば世論は更に不満を高めそうだな……」
「アメリカは中米支援で手一杯ですし、唯一の救いは日本がまとまった支援を出してくれることくらいですかね」
「それでも、多くは我々とフランスが負担しなければならないがね」
そう言って、肩を落とす大統領。
それだけ、ギリシャ復興には多額の金が必要だった。
経済規模だけでいえばイタリアやスペインもあるが、両国ともに転移前から経済が破綻しかけており、他国のことを気に掛ける余裕はない。一応、両国ともに支援金を供与しているがその金額はドイツなどに比べるとずっと少ない。
ここにイギリスがいればまだなんとかなっただろうが、そのイギリスはヨーロッパから遠く離れた場所だ。一応、支援金は出してくれたがその額はドイツやフランスが期待したものとは程遠かった。
『我々も厳しい状況にあるのです。ご理解いただきたい』
それが、イギリス大使が発した言葉であったが、ドイツもフランスもそれは信じていない。なにせ、自分たちに比べて遥かに環境に恵まれているのはすでに知っていたからだ。それなのに「厳しい状況」などとは言い訳にしても杜撰すぎる、と憤る者も多かった。
「イギリスも薄情なものだ。同じヨーロッパの一員だったはずなのに」
「まったくです。もっと出せる余力はあったはずです」
そんな愚痴が口から出てしまう程度に、大統領たちは追い込まれていた。
ドイツ連邦共和国 ミュンヘン
「ヨーロッパ連合は我が国に何をもたらしたのか!ただひたすら、国民の税金を他国にばら撒いただけです!我々はその悪しき状態を取り除かなければならない!」
ドイツ南部の主要都市・ミュンヘン。
街の中心部では選挙を前に「人民党」の大規模な集会が開かれていた。
ドイツの中でも保守的な有権者が多いとされるバイエルン州。これまでは中道右派の自由党が多くの議席を得ていた。今回の選挙においても自由党の優勢が伝えられているが、人民党もそれを猛追しているという状況だった。そのため、人民党はさらなる票の掘り起こしのために大規模な集会をミュンヘンで開催した。
この、集会には公式発表で2万人が集まっており、その熱気に取材に訪れていた記者はやや引いていた。
「すごい熱気ですね……」
「それだけ有権者の間で既存政治に対しての不満が強いんだろうな」
「でも、実際にばら撒いているわけじゃないですよね?」
「そりゃそうだ。きちんと国民生活のための予算は確保されている。だが、彼らにはそんなことは関係ないんだよ。実際に生活が苦しいわけだしな」
「嘘か本当かは関係ないってことですか」
「そういうことだな」
転移後のドイツ経済は大陸外との貿易が完全に停止していることもあり落ち込んでいた。物価も徐々に上がっており国民はそのことに対して徐々にであるが不満を持つようになる。
人民党は経済低迷の原因は「欧州連合」にあると断じていた。
欧州連合が推し進める難民救済策やギリシャ復興支援に税金が大量に流れていると、人民党は主張していた。実際にはそのようなことはないのだが、生活が苦しいのは欧州連合の政策のせいであるという主張を信じる有権者は日増しに増えていた。
彼らにとってはそれが事実かどうかはあまり関係ないのだろう。
実際に生活が苦しくなり、彼らからみれば政府は何の対策もしてくれない。それどころか、人道支援という名目で他国に多額の資金を投入する。自分たちは政府に見捨てられた――などと思い込むのだ。
「事前にわかっていたことだが、2週間後の選挙は大荒れだろうな。このままの情勢が続くと議会の過半数を得る政党は出てこない。どうやって連立を組むかで揉めそうだ。少なくとも、国民党と社会党が人民党と組むことはないだろうな」
「ということは大連立ですか?」
「可能性はある。だが、人民党に投票した有権者は荒れるだろうな」
政治を変えるために投票したのに、大連立という既存政党の馴れ合いでは何も変わらない――仮に大連立になった時、人民党支持者はそう考えるだろう。すでに、難民問題で国民の分断は進んでいる。選挙の結果次第ではより分断は進むだろう。
「試練はまだまだ続きそうだな」
どこか遠くを見ながらベテラン記者は深々と息を吐き出した。