159
新世界歴2年 4月1日
アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
ホワイトハウス
この日の、ホワイトハウス前には異様な雰囲気を纏った大勢の人々が集まっていた。彼らは一様に横断幕やプラカードを掲げて、政府や大統領を罵倒するようなシュプレヒコールなどをあげている。
この日、ホワイトハウス前に集まっているのは早期の中米避難民の送還に対して反発する市民団体が主催している抗議集会の参加者たちだった。
ホワイトハウス前ではこのように定期的に何らかの団体による抗議集会が開かれており、その様子は度々メディアを通じて世界に配信されているが、この日の抗議集会の様子も国内外のメディアが記録していた。
フィデスとの戦争が実質的に終結して一ヶ月程度がたち、正式な講和条約も結ばれることになった。アメリカには中米諸国から1000万を超える住民が避難民という形で身を寄せており、その大半がアメリカ南部の各州に設置された難民キャンプで生活している。
アメリカ政府は、フィデスとの戦争が終結したことから1年以内に難民キャンプを閉鎖する方針を先日決めた。これが、ホワイトハウス前で抗議集会が開かれる理由だった。
1年ではほとんど復興が済んでいない国に戻ることになる、そんなのは避難民がかわいそうだ――といったニュアンスの抗議声明がいくつかの市民団体が共同で声明を出していた。
もっとも、世間の受け止め方は政府の判断は当然であるというものが多かった。難民支援に多額の予算が計上されており、それが更に続くことを多くの国民は許容していなかった。
「そんなに気になるなら、金持ちが金を出せ」なんという言葉が抗議集会に向けて飛ぶなんてこともあったほどだ。多くの国民にとってみれば難民支援したところで自分たちが豊かにならない。ならば、その予算を使って自分たちの生活がよくなる政策をしてほしいと思っている。
特に、この世界に転移してからアメリカ経済は落ち込んでいるからなおさらだった。
「この世界に来てから一段と増えた気がするな」
「抗議集会ですか?」
「そうだ」
秘書の返しにクロフォードは渋い顔で頷く。
元から、大統領の政策などに反対する勢力による抗議活動というのは定期的に起きているのだがアメリカだが、近年のアメリカは特に多かった。
まあ、これはクロフォードの前任者である大統領が中々に破天荒な人物で物議を醸すような政策を次々と掲げたためだが。
そのおかげで、前任者引退後の大統領選挙は大接戦となり、辛うじて前任者と同じ共和党から出馬していたクロフォードが大統領となった。クロフォードは前任者と違いかなり穏健的な政権運営を行っているのだが、それでも主にリベラル勢力から強い反発を受ける政策が多い。
ただ、この場合はそもそもリベラル派とクロフォードでは政治思想が正反対だから仕方がない部分がある。一方で、身内といえる与党内でも前任者に近い議員を中心にクロフォードの政策を批判する動きがあり、これをメディアは「与党内の内紛!」として大々的に取り上げていた。まあ、内紛といっても本当に党が分裂することはないし、反発する議員も少数なのでクロフォードはさして気にしていなかったのだが、この一年ほどはさすがのクロフォードも精神的に参っていた。
「あいつらは、口だけ出すが一切金は出さない。難民支援にどれだけの金がかかっているのか知れば、あんな活動なんて出来ないはずなんだがな」
そもそも、避難民を早期帰還させることにしたのは、中米各国の要請によるものが大きい。これから本格的に復興させていくにしても、人手を多く必要としているからだ。各国は、他国に避難していた自国民を使おうと考えていた。そのほうが、他国の手を借りるよりも安上がりだからだ。
それに、住民がいない状況では復興とはいえない。
だが、避難民の多くはこのままアメリカの滞在を望んでいた。
これは、国に戻ってもまともな生活が出来ないと考えている避難民が多いからだ。
元々アメリカには中南米から多くの不法移民がやってくる。彼らの多くは国では満足に生活できる収入を得ることができないから、先進国であるアメリカへ向かうのだ。
移民は安価な労働力であるが、不法移民が増大することで元々そういった仕事をしていた元からのアメリカ国民が仕事に就けないという問題も出てきた。更に、移民が増大することにより相対的に治安も悪化し、凶悪犯罪が増加していた。それもあって、移民に対してあまりいい感情を持たない国民は増えていた。
ちょうど、同時期に積極的にアフリカや中東諸国から難民を受け入れていたヨーロッパでも、治安悪化などを理由に難民の受け入れに批判的な世論が主流になっていた。
欧米先進国のこういった流れはメディアでは「右傾化」などといって取り上げていたが、そうなった理由は「人道的」という理由で無秩序に難民や移民を受け入れた結果である。
にも関わらず、未だに支援団体を名乗る市民団体は「政府による継続的な支援が必要」であると訴えている。だが、以前と違って彼らの言い分に耳を傾ける人は疎らだった。
「彼ら、最近は資金調達に苦労しているようです」
「支援者である財界人たちがこの転移騒動で慈善活動に目を向ける余裕がなくなったからだろうな」
慈善活動などに積極的に取り組んでいるのはここ30年あまりで急成長したIT関係企業の経営者が多いのだが、転移に伴いそれまで整備していたネットワークシステムが壊滅状態になったことでその対応に彼らは追われていた。
結果的に、市民団体などに流れる支援金の額も大幅に減らされることになり、彼らの活動に制限がつくようになったのだ。市民団体関係者は大いに慌てて必死になって資金を確保しようと各所に働きかけを行っているらしいが結果は芳しいものではない。最終的に世論から支持を得ることで寄付金を得ようと考えたわけだが、そのために持ち出した「難民キャンプ問題」は残念ながら世論受けはあまり良くなかった。
それでも彼らは止まるつもりはないらしい。
否、止まりどころが彼ら自身もわかっていないのだろう。
「しかし、1年以内に中米側はきちんと受け入れ体制を整えてくれるのでしょうか?」
「金と人は我々が出すんだ。やってもらわないと困る」
中米支援には当然ながら多額の資金と人員が必要であり、そのどちらもアメリカや日本、イギリスなどが提供することで決まっていた。そうでもしなければとても国の復興など出来ない状態だからだ。
これは同時期に戦争で国が破壊されたギリシャでも行われていることだ。
ギリシャの件は欧州連合が日本やアメリカにも「支援してくれ」と要請していたわけだが、こちらに関しては日本もアメリカも多少の金銭的な支援はした一方でそれ以上踏み込んだ支援はしていない。そのことに欧州連合は不満そうだったが、日本もアメリカもあちこちに大量の資金を支援するほど余裕があるわけではないし、そんなことをすれば「なんで外国ばかりに金を出すんだ!」と国内から猛反発を受けてしまうので、やれることは少ない。
転移前ならば面子なども気にしていたが、物理的に距離も大きく離れてしまった異世界では遠い異国での評価が下がろうと国としてのダメージも小さかった。
「不安があるとすれば暫定政府側の汚職ですが……」
「その部分も自分たちでどうにかしてほしいんだがな」
中南米の国々の政情が不安定な理由は、政治家や官僚などが汚職などで腐敗しているのも大きい理由の一つにあげられている。賄賂などがはびこっているので、それによって国の経済が大きく停滞しているのだ。
賄賂などを贈れる層は問題ないが、そうではない一般層はいつまで経っても生活が改善されないため、アメリカなどの先進国へいって稼いだほうが国に残るよりもマシだからだ。
アメリカとしてもその部分を改善したいと考えているのだが、アメリカが手を出すと国が混乱するという事例が過去に多くあったこともあって、近年のアメリカは他国へ積極的に介入することがなくなった。今回の中米復興の件も人員と資金は出すが口を出すつもりはなかった。
そんなことをしてもアメリカにとっての「理想国家」が出来ないことをさすがのアメリカ政府も理解していた。