154
新世界歴2年 3月26日
日本皇国 南洋諸島 マリアナ諸島 グアム島
南洋諸島の北部にあるマリアナ諸島。その南端にあるのがグアムだ。
グアム島はマリアナ諸島最大の島であるのと同時に南洋諸島最大の島であり、南洋諸島州の州庁舎などもグアム島に置かれているなど、南洋開発の拠点となっている島だ。
グアム島やマリアナ諸島が日本領になったのは1840年代のこと。
元々はスペインの植民地であったが、日本がスペインから購入して日本領になった。日本領になってからは日本政府による開発が行われ、後に他のミクロネシア地域の島々も領有してからは「南洋諸島」の開発拠点として「南洋庁」が置かれるなどした。
現在のグアム島は、沖縄と並ぶリゾート地として観光開発があちこちで行われており、大型連休などになると全国からはもちろん海外からも多くの観光客が訪れる。
一方で、グアム島は軍の一大拠点でもあった。
島内には海兵隊の大規模な駐屯地や、爆撃機などが所属する空軍基地に潜水艦基地を中核とした海軍基地などがあり、約4万人を超える軍関係者が居住している。
現在も含めて、南洋諸島は日本の南方防衛の拠点でありグアムを始め、幾つかの島が軍事拠点化されている。なぜこうなったのかといえば、アメリカの存在が大きかった。
日本が南洋諸島の軍事拠点化を進めたのは1920年代。
当時、日本とアメリカの関係は冷え切っており、日本は北方のソ連と同様に太平洋を挟んだ隣国であるアメリカのことも軍事的脅威があると考えていた。ただ、第一次世界大戦で獲得した旧ドイツ領では国際連盟の決まりによって軍事拠点化するのは禁止されていた。一方のマリアナ諸島に関してはその以前に日本領になっていたことから、国際連盟の縛りを受けることはなかった。そのため、当時の日本政府はアメリカに備える本土防衛の防衛拠点としてマリアナ諸島の軍備増強へ踏み切った。
元々、マリアナ諸島はアメリカも狙っていた場所であり。仮に両国で戦争になった際は、日本本土を攻撃する前線基地を確保するためにアメリカがマリアナ諸島を狙ってくる可能性が高かったこともあり、軍事拠点化は急ピッチで進められることになった。
そして1935年に勃発した太平洋戦争において、マリアナ諸島周辺は激戦地の一つとなった。特に戦争中盤で発生した「マリアナ沖海戦」は日米両軍の主力艦隊が正面からぶつかった大規模な海戦であり、当時のアメリカ太平洋艦隊の主力が壊滅し、それによってそれまで優位に進めていたアメリカの勢いがなくなり戦況が徐々に日本側へ傾く転機の一つになった。
太平洋戦争終結後も、グアムは引き続き南方防衛の拠点として整備は続けられた。
グアム島がリゾート開発されるようになるのは、1930年代からだ。
ただし、日米関係の悪化などから軍事拠点化をするのを優先されていたため、本格的なリゾート開発が行われ出したのは1950年代になってからだ。この時は東西冷戦という緊張関係にあったが、逆に日米関係は共通の敵が存在していたことから好転し、少なくとも南方方面を警戒する必要が薄まったのもリゾート開発が促進された要因といえるだろう。
元々、熱帯気候であり冬場でも温かく更に同じ国内なのでパスポートも必要なしに行けることから、リゾート開発されたグアムは日本国民にとって沖縄やアメリカのハワイと並ぶ定番のリゾート地として注目を集め、多くの観光客が訪れるようになった。
今では、観光がグアムを含めたマリアナ諸島の経済を大きく支えていた。
この世界に転移してから、マリアナ諸島の経済を支えていた観光業は一時的にに大打撃を受けることになった。国内はもとより、海外からの定期航空便のすべてが休止したからだ。一応、日本本土から船を使って行き来することはできるが東京から1日以上かけた船旅をする必要があるため、転移から暫くの間はグアムにやってくる観光客は激減した。
ただ、そんな状態も3ヶ月ほどで収束していく。
空の安全などが確認され、誘導装置も新たに設置されるなどしたことにより国内線に限っては空路の運行が再開され、更に転移から半年も経つと近隣の国からの国際線も再開した。
また、転移によっていいこともおきた。イギリスやアトラスなどといった転移後に隣国になった国からも定期便が開設したからだ。特に、アトラスからの需要は高かったようで、現在のグアムでは多くのアトラスからやってきた観光客を見ることができた。
アトラスにもリゾート地というものはあるのだが、法律によって大規模な開発は出来ないため、本格的なリゾートは海外へ行く傾向が多かった。それまでリゾート地までは飛行機でも片道10時間ほどかけて遠方へ向かうのが主流だったが、アトラスからグアムまでは片道5時間ほどのフライトでやってこれるためアトラス人にとっては「気軽に行けるリゾート地」という認識が一気に広がったのだ。
元々、転移後からアトラス人の日本への関心が高かったのも相まって、現在アトラスでは日本へ観光へ行くことが一種のブームとなっていた。
「わざわざ、こんなところまで来てまでやることじゃないよな」
ボヤくのはカメラでグアム島最大の空軍基地の前で居座っている集団を撮影している「デイリー東京」の記者である。
この集団は、主に本土などで活動している反戦や平和を訴えている市民団体であり、定期的に沖縄やグアム島そして国防省前などで座り込みなどの抗議活動をしている。
彼らがグアムで抗議活動をしている理由は、この基地が核兵器を運用する爆撃機の拠点になっているからだ。核廃絶活動も同時に行っている団体からすれば見過ごすことの出来ないらしく、こうして定期的にわざわざ本土から抗議のためにグアムまでやってきている。
まあ、一連の抗議活動が終わればそのままグアム観光を楽しむまでセットなので実際の所は抗議よりも、その後の観光を楽しみに集まっている者たちも多そうだ――と記者は思っているが。
「見事に高齢者ばかり……古の学生運動世代しかいないなぁ」
座り込みに参加しているのは高齢者ばかり。
一応、学生らしき若者たちもチラホラ見えるが絶対数は高齢者が多い。
これでは、シニア旅行のついでに抗議活動に参加しているのと変わらなかった。
かつては、より直情的な抗議活動をしていたらしいが、今では参加者の年齢層が上がってしまったので直接的な破壊活動などは行えず、やれるのは道路の前に座り込んで基地を出入りする車両の通行を妨げるくらいしか出来ないらしい。
まあ、これも立派な犯罪行為なので付近で監視している現地警察が時折排除に動き、そこでちょっとした小競り合いが起きる――というのがこの座り込みでの一連の流れだ。
(あーあ……せっかくグアムに来たのにやってるのが年寄りどもの座り込みを撮影するってなんの罰ゲームだよ)
上司に「グアムで抗議活動があるらしいから撮影してこい」と言われ、昨日グアム入りした記者は内心でそうボヤく。周囲にいる記者は現地駐在の者たちが多いが、そんな彼らはさっさと撮影して老人たちに話を聞いてからそそくさとその場を離れており、残っているのは彼以外にはフリーのジャーナリストが数名ほど。いずれも、極左的な記事を多く手掛けているジャーナリストでありいわば、座り込み活動をしている連中のお仲間だった。
ともかく、あと数時間はこの座り込みは継続されるだろう。
最終的に参加者かあるいは、それを指示している側が満足すれば解散となる。普段の抗議活動とほぼ変わらない流れになる――と、思っていた。
突如として、抗議活動に参加していた一人の青年が正門に向かって何かを投げ込んだのだ。それは火炎瓶であり、投げ込んだ先には正門を警備する兵士がいた。幸い、火炎瓶は兵士に直撃することはなかったが、この事態に付近を監視していた警官たちが一斉に駆け出す。
ただの座り込みで終わるはずだった抗議集会は一気に不穏なものになっていくのだった
「……こりゃ大スクープだ!」
一連の出来事をしっかりとカメラで撮影していた記者は先程まで不貞腐れていたのが嘘のように目を爛々と輝かせた。