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新世界歴2年 3月24日
日本皇国 東京市 渋谷区
光和社 本社
タブロイド紙の中で最も発行部数が多いのが「デイリー東京」だ。
発行しているのは、大手出版社である「光和社」であるが「デイリー東京」の「光和社」内の立場はあまりいいものではない。窓際部署――というわけではないが、社のイメージを傷つける部署――と考える他部署の人間は多いという。
そのような、社内でも浮いた位置にある「デイリー東京」であるが編集長を務める小川はそんな周囲の雑音も気にせず、ただひたすら「社会正義」の名のもとに大手メディアが報じないスクープに強いこだわりを見せていた。
「国後にいった愛川はかなり苦労しているみたいですよ?」
「あそこの連中は俺達のことを嫌ってるからな。そんなすぐにネタが見つかるわけがないさ」
若手記者の愛川に「南千島へいけ」と命じたのは、編集長の小川だった。
「でも、南千島に本当になにかあるんですか?」
「あそこは国境警備の最前線だ。だからこそ、ソ連は北樺太と南千島での工作を重点的に行なっていた。今でも、そういった連中が影で潜んでいるのは確実だ」
「じゃあ、愛川に探させているのは……」
「工作員の真実だよ」
「愛川には荷が重くないですか?」
「あいつにすべてを調べさせるつもりはない。ただ、取っ掛かりがほしいだけさ」
「あまり派手にやりすぎると、公安に目をつけられませんか?」
「それこそ。今更だな。俺は数十年前から公安の監視対象だからな」
そう言って誇らしげに胸を張る小川。
話を聞いていたベテラン記者は「いや、自慢げに言うことじゃないだろう」と内心でツッコミを入れる。
さて、なぜ小川が公安の監視対象になっているか。
それは、秘密の多い公安警察のすべてを知ろうと探りをいれたからだ。
公安からすれば天敵というほどではないが、目障りな存在だろう。交友関係を含めて監視対象になっているが、編集長はむしろそのことを誇らしげに常々「俺は公安から恐れられているんだ」と言っていた。
実際の所は「面倒な記者がいる」程度にしか思われていないわけだが、編集長にとってはそれが勲章のようなものなのだ。
「デイリー東京」の編集長である小川文哉の父親は「旭洋新聞」で記者をしていた。社会正義心の強い父親の背中を見ていた、小川もまた将来はジャーナリストになることを目指していた。
しかし、大手新聞社への就職に失敗した彼はタブロイド紙である「デイリー東京」を発行していた出版社へ就職することになる。
そこで、記者になった小川は「世界の闇」を明らかにすることへ強く執着することになる。大手新聞社ならばもみ消されたことも、タブロイド紙ならば記事として世に出すことが出来ると知ってからは、タブロイド紙の記者を「天職」だと考えるようになる。
ただ、彼の父親は小川がタブロイド紙の記者になることを良く思ってなかったようで、その関係は非常に険悪なものであり続けたという。人生の大半を「スクープ探し」に注いでいることから、結婚生活も早々に破綻するなど私生活のすべてを犠牲にしながら記者活動を行っている。
もちろん、そのことを言い訳にするつもりはない。
思えば、両親も結婚生活はうまくいっていなかった。仕事優先の父親に対して母親はかなり強い不満を抱えていたし、最終的に両親は離婚していた。
つまり結婚に向いていなかったのだ。
離婚してからはますます仕事に注力する日々が続いている。
特に関心を強く持っているのは政治スキャンダルだ。政治スキャンダルは芸能界のスキャンダルとともに数字がとれるネタなので、週刊誌をはじめ多くのジャーナリストが血眼で探している。実際、小川もこれまで幾つもの政治家のスキャンダルを見つけ出し記事にしていた。
今の下岡政権発足時も、閣僚などの不祥事を探し回ったほどだ。
まあ、現政権にはそういった不祥事はほぼなく。あるとしても週刊誌は数字狙いで浅い取材だけで記事にしたようなものだけだ。同じスキャンダルを探している同業者ではあるが、小川はああいった週刊誌記者の取材行動は嫌っていた。小川が狙っているのはあくまで「現実におけるスキャンダル」であり、記者がでっち上げたものではないのだ。
そんな小川が現在の関心事は、樺太・千島列島でのソ連工作員の活動に関してだ。同じく台湾独立問題に関しても小川は関心を寄せており、部下の記者たちを樺太や台湾に派遣して記事になるネタを探していた。
ただ、愛川を含めた部下たちの成果はあまり良くはない。
いずれの地域もかつての過激な取材活動によって、情報を持っていそうな現地有力者が総じて記者嫌いになっていて、中々取材に応じてくれないのだ。仮に取材に応じてくれても、小川が欲している情報を持っているわけではないので、記事の根拠になる資料集めが全く進んでいなかった。
ただ、樺太・千島列島の工作員問題も、台湾独立問題も半世紀以上前からメディアを賑わせている鉄板ネタということもあり、すでにある程度のものは記事として世間に出ていた。小川に指示されて現地へ向かっている部下たちも含めて大半は「なぜ編集長は今更このネタを追うのか?」と疑問に思っていた。
これらの疑問に対しての小川の返答は「直感」のみだ。
長年の記者経験からくる勘を小川は信用していた。
その「直感」のおかげで世間から注目される記事を幾つも世に出してきたからだ。今回も、世間をアッと驚かせる特ダネが見つかるはずだ――と小川だけが確信していた。