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新世界歴2年 3月16日
アトラス連邦 フローリア諸島北方沖
フローリア諸島の北方約600キロ。空母3隻を中核としたガリア海軍のアトラス侵攻艦隊は順調に海を南下していた。
3隻の空母はいずれも数年前に就役した新造艦であり、約50機ほどの艦載機を運用する中型空母だ。
「もっと早くこうすればよかったのだ……」
旗艦である空母「ガーファ」の艦橋にある指揮官席にどっかりと座る恰幅の良い壮年の男はボヤくように言う。
彼はこの艦隊の総指揮をとる中将であり同時に現役の伯爵でもあった。
ガリア軍の高級将校は基本的に高位の爵位を持つ貴族がなる。これは別に決まりでもなんでもないが「慣例」という形でそうなっていた。高級将校とはいうが彼らの殆どは実戦経験がほぼない素人であり、指揮経験を持っている者も少ない。それでもどうにかなっているのはガリアに攻め込んでくるようなもの好きがこの世界にほとんどいないから、そしてガリアが大規模な戦争をしていたのはだいぶ昔のことだからだ。
人間主義を掲げる差別的な国家と関わりをもとうとする国は同じような思想をもった国くらいで普通の国はそんな色々と厄介そうな国と付き合おうとは考えない。
なので、現在のガリア軍というのは実はほとんど実戦経験がない。
しかし、多くの将校たちは貴族特有のプライドの高さを持っているので今回の戦いも自分たちが勝つの間違いない――そう信じ切っていた。
曰く「蛮族の国に選ばれた存在である我々が負けるわけがない」というものだ。一体どこからそんな自信が出てくるのか?まあ、これは簡単である。
これまでの人間主義教育は「我々人間こそが選ばれた存在で亜人は劣等種」というものを徹底的に教え込んできた。その結果、プライドだけがやたらと肥大化した幹部将校が量産される結果となったわけだ。
転移前ならばそもそも近くに大きな国家などがなかったこともあり問題はなかったのだが、転移によって近くにアトラスという資源を多く抱えている亜人国家が出現したことで、プライドばかりが肥大化した軍人たちがアトラスへの戦争を仕向けることで一致した。
そして、それを諸々の手段をとって止めていたのが前宰相のルーリックであり少数派ながらなんとか軍全体も掌握していた前上層部だったわけだが、先のクーデターによって揃って表舞台から退場させられてしまったこともあり半ば暴走する軍部を止める者たちは現在のところガリアにはいなかった。
(地獄への片道切符だよなぁ……どう見ても)
そんな中で冷静に――否、半ばあきらめたような境地でこの場にいる者がいた。この艦の艦長である大佐だ。ガリア帝国軍の士官の大半は貴族出身であるが、艦長も男爵家の三男として生まれそのまま軍人となった。
昇進は早いほうであり、新造空母の艦長に抜擢されるあたり彼は優秀な軍人だった。優秀だからこそ、この先の展開も読めていた。
ガリア海軍のほぼ全戦力で行っている今回の作戦は失敗に終わると。
しかし、そんなことプライドの高い指揮官の前にバカ正直に言えるわけがない。言わなかったからこそ、彼は艦長の地位に今の時点でいるのだ。
「この作戦は失敗する」なんて言ったら艦長を罷免されるに決まっている。
(亜人が人間より優れた兵器を持っているわけがない――そう思い込んでるからなぁ。上の方々は)
本音をいえばこんな作戦途中で投げ出したい。
だが、艦長という地位に立っている以上そんなことはできない。
貧乏くじを引いてしまったな、と艦長は内心ため息を吐きながら道中何も起きないのをただ祈るだった。
ガリア艦隊から少し離れたところに1隻の潜水艦が海中に潜んでいた。
この潜水艦は、アトラス海軍の原子力潜水艦「アバドーラ」でありガリア大陸付近でガリア軍の動きを数ヶ月にわたって監視する任務についていた。
ガリア艦隊が母港から出港してからはその動向を逐次アトラス本国へ報告するために艦隊の背後にぴったりとつく形で追跡していた。
「奴ら、潜水艦への警戒心がまるでないな」
潜望鏡で艦隊の様子を確認しながら呆れたように呟く艦長。
ガリア艦隊は空母3隻を擁する大規模な機動艦隊であり、本来ならば天敵である潜水艦への備えを万全にするはずだ。一応、彼らは輪形陣をしいてはいるが機動艦隊の後ろで続いている輸送船団への守りは非常に手薄だ。
本来ならば、輸送船団の護衛のために対潜能力の高い駆逐艦やフリゲート艦などをおくはずなのだが、ガリア艦隊は1・2隻のフリゲート艦を輸送船団の護衛においている以外は空母の周囲に展開させていた。
そして、哨戒ヘリコプターがほとんど飛行していない。
本来ならば、広範囲の対潜哨戒をするために定期的にヘリコプターを哨戒させるものだが……。
「潜水艦での対処がやりやすそうですね」
隣にいた副長は呆れたように呟き、艦長は「そうだな……」と未だに困惑を隠しきれないといった表情で頷くのだった。
その翌日。ガリア艦隊はノーリッポ島の北方200キロほどまで進んでいた。これまで特にアトラス側からの反応は一切ないことから、水兵たちの間にもちょっとした余裕が出てきていた。
「蛮族め。今更怯えても遅いっての」
「まったくだよ」
「蛮族のメスは美形ばかりらしいから、楽しみだな」
勤務時間中ながら下劣な会話をしている水兵たち。
普通の軍隊ならばそれを見た上官が諌めるだろうが、ガリアの場合は上官がそれを見ても注意することはない。むしろ、自ら会話に参加した下品な会話を続ける始末だ。
だが、そんな状況もすぐに終わりを迎える。
隣を航行していた駆逐艦から突如として大きな水柱が上がり、やや遅れる形で爆発音が響き渡る。
「な、なんだ!?」
「も、もしかして機雷か?」
突然の事態に水兵たちはしばらく呆然となる。
それは、艦橋にいた艦長たちも同じだった。
「なにがおきた!?」
「ふ、不明です……機雷の可能性があります」
「蛮族め……小賢しいマネをして」
怒りで顔を真っ赤に染める艦長。
実際は機雷ではなく、潜水艦から魚雷が発射されたのだがこの時点でまだ彼らは潜水艦の存在に思い至ることはなかった。一般的な海軍軍人ならばすぐに潜水艦の存在に思い至るはずだが、ガリアの海軍が本格化したのは近年のことで更に世界から孤立化し、実戦経験もほぼないので水兵はもちろんのこと本来なら高い教育を受けているはずの士官クラスでさえそういった知識が欠落していた。
これは、陸軍や空軍にも共通していることで、前政権はこのことを問題としていたのだが軍部の抵抗が激しかったこともあり、手を付けることができなかった。
そんなやり取りをしている間にも、アトラスの潜水艦は次々と獲物に向かって魚雷を発射しており、艦橋で事態を把握出来なかった艦長率いる駆逐艦にも一発の魚雷が命中。乗員たちはこのときになってはじめて潜水艦の存在を思い出したが、もう何もかも遅いのだった。
「一体何が起きている!?」
混乱は旗艦でも起きていた。
それまで、自信満々の面持ちで指揮官席に座っていた艦隊司令は眼の前で次々と駆逐艦が謎の攻撃を受けている様子を見てすっかりと先程までの余裕がなくなり、キョロキョロと落ち着きなく周囲を見渡す。
ただ、参謀たちもこの状況は一切想像していなかったようで司令官と同じように何が起きたかわからないとばかりに視線をあちこちに彷徨わせていた。
「て、敵が仕掛けた機雷に接触した可能性があります」
「機雷だと!?おのれ……蛮族め小癪な真似をっ!」
そして、ここでも原因は機雷だと勘違いが起きていた。
指揮官もそして参謀たちも潜水艦による雷撃という認識がなぜかすっぱりと抜け落ちていた。
実はこれには理由があった。
ガリア海軍にも潜水艦はもちろん存在する。しかし、貴族主体のガリア海軍では潜水艦はあまり重要視されていない。というのも、潜水艦は居住環境が非常に悪いからだ。優雅な環境に慣れている貴族たちが過酷な居住環境で知られる潜水艦勤務など出来るはずがないし、見栄えばかりを気にしている彼らにとって重要なのは空母を含めた大型艦なのだ。
それでも、先進海軍の場合は近年かなり居住環境は改善されているのだが、ガリアは自力で潜水艦を開発する技術はなく他国から中古の潜水艦を導入することでひとまず数を用意しているだけに過ぎなかった。居住環境が悪い潜水艦乗りを志す者などガリアでは皆無に等しく、様々な部分で「問題児」とされた人員を送り込む窓際部署のような扱いになっていた。
そんな、過酷な潜水艦部隊に貴族出身者は当然ながらほぼおらず海軍上層部も含めて本気で潜水艦部隊の存在を忘れている者たちも多いという現代国家の海軍――しかも、空母機動艦隊を擁する国ならばまずありえない状態にあるのがガリア海軍であった。
まあ、これも貴族主体の上層部が見栄え重視で空母の導入を最優先にしたせいともいえるのだが……。
そんな事情もあり、司令官たちはこれはアトラスが事前に仕掛けた機雷によるものだと錯覚するのだった。その間にも、アトラス潜水艦隊からの攻撃は続き、艦隊の被害はましていくばかりだ。
「ああ……『オランディア』が!」
近くにいた同型艦の空母で大きな水柱が上がるのを見た乗員の誰かが絶望的な声をあげる。間髪おかずに別の空母からも水柱が上がるなど、状況は刻一刻と悪化していた。
そして、魚雷は艦隊旗艦である「ガーファ」にも到達した。
「な、なんだ!?」
艦全体が大きく揺さぶれるのと同時に発生した爆発によって、指揮官は椅子から投げ出されるが、やはり状況が理解できないのかキョロキョロと視線を彷徨わせる。
「ほ、報告!右舷に魚雷が命中した模様です!」
「ぎ、魚雷だと!?」
ここにきてようやく、これが機雷によるものではなく魚雷――つまり潜水艦からの攻撃だということを知る艦隊司令官たち。だが、この場で気付いたとしてもすでに遅かった。
そんな司令官たちを尻目に艦長は乗員たちに「すぐに避難しろ」と伝え、未だに立ち上がることのできない司令官たちにも「いずれ沈みます。すぐに退艦を」と退艦を促す。普段ならば「私に指図するな!」と激昂していたであろう司令官――ただ、この時ばかりはショックが強すぎたのか、特に何も言わずに参謀たちと共に救命ボートへ向かっていった。
(結局こうなったか……)
最後に残った艦長は内心そう思いながらため息を吐いて退艦する。
艦長が最後の救命ボートに乗り込んだ数分後。旗艦「ガーファ」は横転しながら海中へと沈んでいった。
アトラス攻略を目指したガリア海軍最強の空母機動艦隊は、アトラスの領海に踏み入れることなくアトラス海軍潜水艦隊の飽和攻撃によって壊滅した。