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新世界歴2年 3月11日
フィデス人民共和国 アディンバース
親衛隊本部
軍による蜂起が始まって5時間。
すでに、軍曹参謀本部や外務省といった政府中枢は蜂起軍によって制圧されていた。一方で、総統官邸は親衛隊の本部でもあることからまだ蜂起軍に制圧はされておらず、それどころか戦闘も起きていない。ただ、官邸の周囲には連隊規模の軍の部隊が取り囲んでいるため、実際には蜂起軍による包囲の中に親衛隊幹部たちは取り残されていた。
更に、ここにきて親衛隊幹部たちは避難していたはずの総統の姿が見えないことに気づき、親衛隊本部の中はちょっとした騒ぎになっていた。
「総統閣下の居場所はまだ掴めんのか!」
親衛隊の中枢である司令部の中で親衛隊総司令官の怒号が響く。
司令部の中にいた若い隊員たちはその怒号の圧に思わず身をすくめさせた。
親衛隊のトップである総司令官のトラボルタは、親衛隊の中でも特に総統への忠誠心が厚いことで知られる。最終的に親衛隊を裏切ったリオス副司令官とは同郷の幼馴染であり共に国家の中枢である総統を支えることを誓いあった仲でもあった。
リオスがある程度現実的な考えをする一方で、総司令官のトラボルタは総統や現在の国家体制に心酔している理想主義者であり、この国に歪なものは存在しないという考えをしていた。
そのため、実はかなり前からリオスとの間には見えない溝ができていた。
リオスがクーデターに協力しようと考えたのも、総統と彼に心酔するトラボルタたちの行動で国が滅亡してしまうのではないか、と危惧したからだ。
「それで、総統閣下と最後に会ったのは誰だ?」
「リオス副司令です」
「そのリオスはどこへ?」
「それが……副司令の行方もわかっていません」
「なに?リオスもいないのか」
副司令の所在も不明という情報に怪訝な表情になるトラボルタ。
しかし、まだこの時点でリオスが今回の件に関わっているとは思わなかった。長年の友人に疑いの感情を向けるということを本能で避けていたのかもしれない。
その間にも、外を包囲しているクーデター軍の数は増えているが総統が行方不明という状況に頭が混乱していたトラボルタたちは外の様子を気にする余裕はなかった。
「別働隊が総統の身柄を確保したそうだ」
「なら、あとは官邸を制圧するだけだな」
「それが一番の問題だがな……」
総統官邸を包囲している部隊を指揮する少佐は親衛隊が立てこもっている官邸を忌々しげに睨みつける。
作戦は順調に進んでおり、総統の確保にも成功している。
あとは官邸に閉じこもっている親衛隊を排除し、親衛隊本部を含めた総統官邸を制圧すればクーデターは終わりだった。
「応援は?」
「1時間後にこっちにくる。近隣の師団も動いているようだが時間が経てば数の上でも我々が上にたてるだろう」
クーデターがうまくいった場合は周辺に駐屯している師団などからも応援の部隊がやってくるというのは事前に取り決められていた。当然ながら失敗した場合の動き方なども事前に取り決められていたが、幸いなことに作戦は今のところうまくいっていた。
「これで戦争が終わればいいんだがな」
長引く戦争に一番疲弊していたのは彼ら兵士たちだ。
当初は前線が遠く離れていたこともあり殆どの兵士たちは気にはしていなかったが、首都も攻撃対象になってからは「いつか、自分たちの駐屯地も爆撃されるかもしれない」という不安を持つようになった。更に、徐々に前線の状況が人伝に伝わってくると「自分たちはとんでもない相手と戦争している」と更に兵士たちの不安は強くなっていった。
特に、強い危機感を持ったのが今回のクーデターを主導することになった若手将校たちだった。より、上の世代はフィデスこそが最強であるという自認を持つ者が多いのだが、若い世代は自国のことをかなり冷静に見ており他国の事情に関しても上の世代以上の知識を持っていた。
長年対立しているアトラスやリヴァスに関しての情報も上の世代に比べて豊富であり、どんなに軍備を強化したところで自分たちがアトラスを制圧するのは難しいと薄々感じていたほどだ。
だが、そのことを上に話してもまともに取り合ってくれることはない。
たいていが「何をバカな事を言っている」といった反応だ。更にはそういった悲観論を唱える者たちを出世コースから外すといった人事的な嫌がらせまでしてくる始末だ。そのため、改革派を自認する若手将校たちは今日まで秘密裏の活動を続けてきた。
いつの日か、自分たちの手で国を「改革」するのを夢見て。
「き、貴様ら!私をこのような目にあわせてただで済むと思うなよ!」
総統のグリーンベルは特殊部隊の手によって郊外の駐屯地まで運ばれていた。総統は数時間後に目を覚ましたが、目を覚ましてすぐに目についた軍服姿の男に向かって怒鳴り声をあげた。
普段ならば、怒鳴れば誰かが慌てたように対応する。
だが、眼の前の軍服の男――グレイル大佐は総統の怒鳴り声を聞いても冷めた視線を総統に向けるだけだった。彼にとってみれば眼の前の男は国を破滅へ向かわせている元凶の一人でしかない。
「これも、フィデスを救うためです」
「こんなことをしてフィデスを救うためだと?ふざけるのもいい加減にしろっ!」
「ふざけておりません。事実です。総統閣下は前線の現状をご理解していない様子だ」
そう言って肩を竦めるグレイル大佐。
まるで、総統のことをバカにしたような振る舞いに彼の怒りのボルテージは更に上昇していく。
「我が国は絶対に勝つ!軍人である貴様らがそんな弱気でどうするっ!」
「前線はもう限界です。そしてアメリカに勝つことはできないでしょう」
「ならば敵の首都を焦土にすればいい。そうすれば我々に歯向かう気力も削がれる!」
そんなことをすれば、より攻撃が苛烈になるだろう――という言葉をグレイルは寸前のところで飲み込む。口にしたところで眼の前の老人は「それがどうした!折れるまでやれ!」と喚くだけだ。
その先の被害なんて老人は一切関心がないのだろう。
この国の中枢がいかに自分たちのことしか見ていないのかがよくわかる言葉だった。
総統の今後に関しては一切決まっていない。
ただ、無実の人間を「反逆罪」などで拘束していることからその件に関しての裁判が行われる可能性は高いだ。しかし、この国の司法はまともに機能していないのですぐに裁判が行うことは出来ない。そのため、他に拘束した政権幹部と共に政治犯収容所に身柄を移送することがすでに決まっていた。
自分に反発する存在を収容した施設に自分たちが収容される――きっとそのことを知ったら総統は激昂するかもしれないが、グレイルにとっては知ったことではない。
それよりも……。
(親衛隊がこのまま大人しく引き下がるとは思えない――そう、リオス副司令は言っていたな)
親衛隊が総統の身柄を奪還しようとしてくる可能性は十分に考えられる。親衛隊は実戦経験はないといってもその装備品は最新のものばかり――一部では正規軍以上に優れた兵器を装備している。使う兵士の習熟度などが上がっていたら決して侮ることのできる相手ではない。
それに、軍とて一枚岩ではない。総統に近い軍人も多くそんな彼らが親衛隊と協力する可能性も否定することはできない。そのため、グレイル大佐は急いで政権内の穏健派と話をまとめようとしていた。自分たちで新政府の舵取りをしようとは大佐は考えていない。政治に関してはその手の経験者がやるべき――というのがグレイス大佐の考えだった。
大佐が心のなかでそのような思案をしている中で、総統は相変わらず罵詈雑言を大佐にぶつけていたが大佐はそれらの言葉に一切反応せず、未だに見にくく喚く老人を一瞥してから部屋を出た。