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新世界歴2年 3月10日
フィデス人民共和国 アディンバース
フィデス人民共和国の首都・アディンバース。
同国最大の都市もさすがに深夜の時間帯は静まり返っていた。
そんな静まり返った市街地を数人の親衛隊員たちが日課の警ら活動を行っていた。アディンバースにおける警察は総統親衛隊が担っている。各国にある所謂「首都警察」と呼ばれるものに比べると親衛隊はかなりの重武装だ。
今回の警らも、軍が使うような装甲車が使われたかなり物々しいものだ。ただ、アディンバースの中ではこれが普通なのだ。おかげで、アディンバースの中心部の治安は非常にいい。なにせ、軍に匹敵する装備を持つ者たちが定期的にパトロールしているのだ。普通の感性を持っていればそんな厳戒態勢の中で悪さをしようと考える者はいない。さらに、フィデスは軽犯罪でも非常に思い罰則が適用される。これは、国際社会からあまりよく思われていないものの犯罪抑止という観点で評価する国も多かった。
もっとも、実際に深夜に警らしている隊員たちのやる気はあまりない。
眠気と戦いながら一応、周囲に目を向けているが警らを行っているのは大きな通りくらいで裏路地などには一切目を向けることはしない。また、郊外にあるスラム街も警らの対象外だ。あくまで親衛隊が行っているのは人気が多いところに限定されている。
こういった部分は国の外から中々わからないことだ。
更に、上流階級を中心に親衛隊への贈賄なども頻繁に行われており上流階級の犯罪は意図的に見逃されることも多い。外向けには「どんな犯罪でも厳しく取り締まる」などとアピールしているがその実態はどこの国の上層部でもある汚職にまみれていた。
「今日も平和そのものだな」
「いいことじゃないか。さっさと終わらせて基地に戻ろうぜ。どうせ、こんな時間に悪さをする連中なんてこの街にはいないからな」
やる気のない同僚の返事に真面目に周囲を警戒していた親衛隊員は内心呆れるが、言葉に出すことはしなかった。こんなところで不真面目であることを指摘したところで言い争いになるだけだ。真面目にパトロールをしているときに精神的に疲弊するようなことは彼もしたくはなかった。
「ん?なんだ」
装甲車は郊外にある陸軍の駐屯地に差し掛かった時。
真面目な隊員はすぐに異変を察した。普段は閉じられている駐屯地の正門が開いており、そこから何台もの装甲車が外に出ていた。
「どうせ訓練だろ」
「こんな真夜中に?」
「夜間訓練なんざ俺らもしているだろ」
「……確かにそうだが」
深夜の時間帯に活動している軍に疑問を抱いたものの仲間は「気にする必要はない」とばかりにさっさと車を動かした。
「情報どおり、親衛隊の連中は真面目にパトロールしていないみたいだな」
「やる気があるのは一部の幹部だけさ……」
親衛隊の装甲車が通り過ぎるのを見送った兵士が皮肉げに嗤う。
首都の治安を守るならば少しの異変でも行動しなければならないが、近年の親衛隊はそれを見逃すことが多い。仮に不審に思った隊員がいたとしても上司に「そこは何もするな」と言い含められるだけだ。
軍もまた似た状況であったが、最近になって軍の内部は変わった。
皮肉なことにアメリカとの戦争によって上層部がそっくり入れ替わったおかげともいえる。現在の軍上層部は長期の戦争に否定的な考えを持つ者が主流になっている。もちろん、そんなことを表に出すことはしないが。
同じく。若手士官の中にはより過激な手段を用いて国そのものを変革しようと画策している者たちがいた。彼らはこの半年間、決起のための準備を行い――いよいよこの日に決起することを決めた。
参加部隊はアディンバースに駐屯している第1歩兵師団を中核とした1個連隊規模で、指揮をとるのは第1歩兵師団の参謀を務める将来を嘱望されていた若手将校であった大佐と、彼に賛同した佐官や尉官たち。そして、動員された兵士たちの大部分は「国の窮状を救うために我々は立ち上がる」とだけ上官から伝えられていたが、多くの兵士たちは親衛隊を始めとする組織によって国が歪められていると信じており、その士気はクーデター軍としては非常に高かった。
「今回の目標は総統閣下の確保と、総参謀本部を含む国の中枢機関の掌握だ。街をパトロールしている親衛隊のやる気はないが、官邸を警備している親衛隊は精鋭揃いなので激しい戦闘になるのは確実だが、実戦経験は我々のほうが分がある。ともかく最優先は閣下の確保にある。この作戦が成功するかどうかで我が国の存亡が決まるのを忘れるな」
クーデターの首謀者である第1歩兵師団の参謀を務めるグレイム大佐は指揮通信車から各中隊長に向けて改めて作戦概要を無線で伝えた。
今回のクーデターの要は、グリーンベル総統の身柄を確保することだ。
総統の身柄を確保さえすれば後のことはスムーズに事は運ぶとグレイム大佐たちクーデターを主導した若手将校たちは考えていた。あとは臨時政府なりを作り、アメリカと交渉を進めていく。
そのうえで最大の障害になるのは総統親衛隊だ。実戦経験はないとはいえ彼らが装備している兵器はいずれも最新鋭のものであり、軍に導入されているものよりも性能がいい。いくら、実戦経験がなくても正面からぶつかれば軍も手を焼くだろう。特にアディンバースは実質的に彼らの庭といえる。クーデター部隊は1個連隊程度の戦力だが、親衛隊は1個師団規模の戦力を持っておりいくら実戦経験がないといっても数の差で押しつぶされる。
そのためグレイムがとったのは奇襲攻撃であった。
クーデター軍は慎重に行動を開始した。
そして、首都警備を担当する親衛隊が異変を察知したのはクーデター軍が行動して暫く経った頃だった。
「軍の一部が蜂起した?なぜ、もっと早くに言わないっ!」
秘書官から軍の一部が蜂起したという報告を受け、更に一部施設が蜂起軍によって制圧されていることを知った親衛隊総司令官は常に軍の動きを監視するように指示していたのに、なぜ軍が行動するまで気づかなかったのだ、と怒鳴る。
怒鳴られた秘書は怯えたように身を縮こませるだけ。
そんな怯えた秘書の様子を見て総司令官も少し冷静になる。
今は、部下のやる気の無さよりも重要なことがある。
「連中の狙いはここに間違いないだろう。総統閣下は?」
「現在お休みになられています」
「ならばすぐに安全な場所へ避難させろ。総統閣下の安全は何よりも確保しなければならないからな」
「わ、わかりました」
クーデター軍の狙いは総統の身柄確保。
ならば確実に総統官邸にやってくるのはわかりきっていたことから、司令官は総統を安全な場所へすぐに避難させるように指示を出す。この時間帯、総統は寝室で就寝中であろう。睡眠を邪魔されれば総統は激怒するだろうが今は緊急事態なので我慢してもらうしかない。
(しかし、ここにきて軍が行動を起こすとはな……)
軍の一部で不穏な動きをしているという報告は聞いていた。
もっとも、軍が直接的に行動を起こすとまでは考えていなかった。軍と親衛隊は対立しているが、かといって軍もまた総統には忠誠を誓っている。中央アメリカへの進軍も軍上層部が主導したものだ。
一方で、若手将校を中心に現状の政治体制に不満を持つ者がいた。
ただ、全体的に見れば数は少なく指揮官になれるような存在はいない――というのがこれまでの考えだったが、どうやら表向きは従順なフリをしていた者たちがいたようだ。
(嘆かわしいものだ……総統閣下に銃を向けるとは。そのことを必ず後悔させてやる)
フィデスにとっての長い夜はまだ始まったばかりである。