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新世界歴2年 3月8日
アトラス連邦共和国 ヴェルス
アトラス外務省
「……本当に問題が次から次へとやってくるわね」
そう言って頭を抱えているのはアトラス連邦の外務大臣を務めているオリビエ・ストーン。普段であればどんなに疲れても決して表情に出すことのない彼女も、転移してから一年あまりたった現在でも続く様々な外交問題にはうんざりしていた。
特に、せっかく不可侵条約をまとめたガリア帝国でおきたクーデターはオリビエにとっても想定外の出来事であった。この件で一部世論からは「そもそも人間主義者を信じるべきではなかった」と外務省や政府を批判する声も出始めている。まあ、オリビエにとってはこの手の「批判」は別にどうだっていいのだ。
ガリアに関しても陸軍の戦力は大陸国家だけにかなりのものだが、大人数を運べるだけの船をガリアは持っていない。それでも、ガリア海軍の機動艦隊は厄介な存在であるしアトラス軍も他大陸で長期間にわたって戦闘することを想定した編成はとっていないので、できるのは精々がやってくる敵を海軍力と空軍力で押し返すことしか出来ない。
幸いなことに、太平洋条約機構に加盟しているので日本などから軍事的支援を受けられることになっているので、ガリアに関しては一ヶ月ほどで解決できると政府は考えていた。
ガリアの件でも頭が痛いのだが、問題はこれだけではない。
この頃、元々アークにあった国々からの面会要請が次々と届いているのだ。内容も殆どはそれぞれの国への経済や食料支援を求めるものが多くなった。なぜ、各国が支援を要請しているのかといえば、やはり転移によって既存の交易網が寸断されたのが大きい。
一年ほどは備蓄や近くにある国々との貿易でなんとかなっていたが、それも限界になっていた国々が比較的余裕がありそうな国に助けを求めているのだ。それがアトラスであったり、リヴァスであった。アトラスもリヴァスも転移前から大国として知られているし、何より人道的な国として知られているのでどの国も助けを求める第一候補として殺到したのだ。
ただ、アトラスにしてもリヴァスにしてもその全てに答えるのは難しい。
この広大な世界すべてをアトラスやリヴァスも把握していない。ある程度の近場ならば対応できるが、世界の反対側ならば行くだけでも数ヶ月単位の時間がかかるので支援するのは現実的なことではなかった。
会談を求められたらとりあえず受けているが、どこの国も支援を求めるものばかりでさすがのストーンも精神的な疲弊を感じていた。
特に、最近増えているのは北中国に事実上占領されているダストリア大陸に関することだ。ダストリア大陸の国々と関係の深い一部の国から北中国に対抗するための連合軍を立ち上げよう、という声が上がっておりアトラスやリヴァスといった軍事力の高い国に対しても声をかけていた。
主導的に行っているのがシレンジャ連邦。
ルクストール連邦と同じ大陸にある国で、大陸内ではルクストールに次ぐ経済力と人口を抱える大国だ。シレンジャ連邦はダストリア大陸の国々と古くから深く交流していることから、初期の頃からダストリア支援のために諜報機関などを動かしていた。
ルクストール曰く、ダストリアに特殊部隊を潜入させるなどしていたが北中国に拘束されたこともあったようだ。シレンジャは当初、単独でダストリアの問題を解決しようとしていたらしいが北中国が思った以上の軍事力を持っていたことを知ってからはルクストールをはじめとする国々に「ダストリア救援」のために軍を派遣すべきだ、と主張するようになった。
しかし、ルクストールをはじめとした各国の反応はあまりいいものではなかった。確かに、自分たちと同じ世界の国が異世界の国に軍事侵攻を受けていることに対して思うところはある。だが、シレンジャと違ってルクストールなどはそこまでダストリア大陸の国々と関係があるわけではないし、どちらかといえば国内の安定に注力したかった。
そのため、シレンジャの主張に同調したのは数カ国のみだったようだ。
シレンジャ国内も意見が真っ二つにわかれているようだが現政権は「ダストリア救援」の原則を曲げようとはしていないようだ。
シレンジャでは数ヶ月前に大統領が変わっている。前大統領は10年もの長期政権を率いていた優秀な為政者であり、その人となりはオリビエもよく知っている。後任の大統領は新興野党の候補者らしく、新大統領は就任直後からダストリア救援のための「連合軍」の結成を各国に呼びかけたようだ。
支持基盤の脆い新興政治家が地盤を固めるために呼びかけている――ルクストールをはじめとした多くの国からの評価は概ねこのようなもので、オリビエも各国の感想には同感であった。
新世界歴2年 3月9日
シレンジャ連邦 首都・ファレンティア
ルクトア大陸はアーク五大国の一つ「ルクストール連邦」がある大陸である。その大きさはユーラシア大陸の7割ほどで、アークにある大陸の中では二番目に大きい大陸だ。
ちなみに、最も大きい大陸は五大国の一つ「ルーシア連邦」があるルーシア大陸でありその大きさはユーラシア大陸の1.5倍ほどある。
ルクトア大陸は北部にルクストール連邦があり南側に中小国家が30あまりの国々がある。
シレンジャ連邦はルクトア大陸ではルクストール連邦に次ぐ国力を持つ国であり、大陸の東部にある。古くから大陸の外の国々との交易によって発展してきた工業国であり、特に近くにあったダストリア大陸との交流はルクトア大陸の国の中で最も盛んであった。
転移後も、シレンジャ連邦はダストリア大陸の国々と密接な関係を維持しており、北中国侵攻時も食料や燃料などの物資や人員をダストリア大陸の国々に支援し続けていた。同時に当時の政府はダストリア大陸の現状を調べるために諜報員を派遣するなどし、更に海軍艦艇をダストリア大陸近海に派遣するなどし北中国の動向を監視していたが、それ以上踏み込んだことはしていなかった。
しかし、それも三ヶ月前におきた大統領選挙によって変わった。
三ヶ月前に行われた大統領選挙。当初は与党候補と最大野党候補の一騎打ちが予想されていたのだが、蓋を開けてみれば決選投票に進んだのは与党候補と、近年になって勢力を拡大していた新興野党が擁立した元テレビタレントであった。元タレントは既存政党の政策を痛烈に批判しながら、自分たちの手で国を改革しようと有権者に訴えた。その訴えは既存政治に飽き飽きしていた有権者たちの心を掴んだ。
その結果は、元タレントが新大統領に選出された――こういった、既存政治への反発から全く別の新興政党が躍進するというのは地球の先進国でもよくおきているが、アークの主要国においても近年になって多く見られるようになった。シレンジャ連邦もまたそういった各国で起きている荒波に飲み込まれたのだ。
新大統領は選挙期間中からダストリア大陸へ軍事も含めたより大規模な支援が必要であると主張していた。古くから付き合いのあるダストリア大陸の現状はシレンジャ連邦の中でも連日大きく取り上げられており、有権者たちの関心も強かった。
「侵略者はダストリアだけでは飽き足らず、我が国にも攻め込んでくるかもしれない」
といった不安を有権者が強く感じていたのも、どちらかといえば後ろ向きなことしか言わない既存政党の候補者たちよりも前向きな発言を続けていた新大統領に有権者の支持が集まった要因なのだろう。
新大統領は周辺諸国にダストリア救援のための「連合軍」を結成すべきだ、と電話会談などで訴えたがどの国からも芳しい答えは返ってこなかった。新大統領は特に隣国で五大国の一角に名を連ねるルクストール連邦の動きを期待していたようだが、ルクストール連邦の大統領から返ってきたものは「現状では難しい」という想定外なものだった。
『同じ世界の仲間が侵略されているのにそれを放置するのか!』といった意味合いの言葉を返したがルクストール連邦大統領からの返答は『それだけでは我が国の国民は納得しないだろう』というものだった。
ルクストール以外の国の返答も基本的に同じだ。
軍を派遣するのに多額の予算が必要だが、転移後はどの国も経済が落ち込んでおりとても他国に軍事支援するだけの余裕はない、というのが各国の返答であった。
実際、シレンジャ以外の各国の世論はダストリアに軍を派遣することに対しては否定的な声が多かった。確かにダストリアで起きていることは悲劇であり同情はするが、かといって軍を派遣する義理はないだろう――というのが各国世論の一般的な声だ。
そして、大陸外の国の反応も芳しいものではなかった。
「アトラスもリヴァスも頷かなかったのか?」
「はい。アトラスは現在、ガリアと戦争が近いらしく。リヴァスも自国周辺の情勢が不安定なので他国に目を向ける余裕はないという返答です」
シレンジャは連合軍結成を大陸外の国にも呼びかけていたが、やはり大半の返答は芳しいものではなかった。どの国も返答は「そこまでの余裕はない」というものだ。実際、どの国も転移後の国内の問題に手一杯であるし中には異世界の国や同じアーク内にある国と一触即発の状況に追い詰められている国も多くあるのでダストリア救援に軍を出す余裕はなかった。
今回、外務大臣から情勢的に落ち着いていると思われていたアトラスとリヴァスからも軍の派遣を断られたという報告を聞いた元人気タレントである新大統領のアルバート・セランの表情は非常に険しいものになった。
「戦争が近いなど、我が国の提案を断るための嘘ではないのか?どうせルクストールあたりから妙なことを吹き込まれたんだろう」
「いえ、ガリアがアトラスに宣戦布告したのは事実のようです」
「ならばリヴァスは?リヴァスの軍事力ならば周辺情勢が不穏でもある程度の部隊をこちらに送り込めることはできるはずだが」
「『その余裕はない』という返答でした」
「……そうか」
セランは外務大臣の言葉に不満げだがそれ以上何も言わなかった。
ここで喚いたところで結果は変わらないというのは政治の素人であるセランでもわかっていた。
「我が国だけでもダストリアに軍を送るしか無いか」
セランとしても単独で北中国に対抗できるとは思っていない。
しかし、他国が腰を上げないのならば単独で軍を出す以外に彼には選択肢がなかった。これは、選挙公約に「ダストリア救援」などというものを掲げたせいなのだが、政治経験が浅いセランはまだ「どうにかなる」と思い込んでいた。