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連邦歴660年 12月16日
マルシア連邦 フォスター
首相府
ベルモンド首相を中核としたベルモンド内閣は2ヶ月前議会に提出された不信任案が与党からの造反者が出たことによって可決されたことに伴い退陣した。かわりに「挙国一致内閣」としてベルモンド内閣で防衛大臣を務めていた「アンソニー・ヒューズ」を首相とした新政権が発足した。
早速、新首相となったヒューズは、第1空母任務部隊に対してソ連軍の拠点となっているダウォンポートを空爆を指示する。
しかし、作戦は失敗した。
ダウォンポートにはソ連の主力艦隊はいなかった。
それでも、港湾施設に被害を与えればソ連軍の活動を抑えられると考えて攻撃を始めたが効果的な空爆を行う前に、ソ連軍の迎撃機によって攻撃機は撃墜させられ。更に艦隊も、潜んでいたソ連海軍の潜水艦部隊による飽和攻撃によって2隻ある空母のうちの1隻が沈められるという大損害を受けたため、艦隊司令官は作戦失敗を悟り艦隊を後退させる。
だが、当然ソ連軍はそれを見逃すほど甘くはなく「ソビエツキー・ソユーズ」を旗艦とした機動艦隊で奇襲攻撃を行い。残っていた空母も沈めた。この一連の戦闘によってマルシア連邦第1空母任務部隊は壊滅。マルシアは海軍戦力を大きく失うこととなった。
そして、大陸南部――ヴィソーズ山脈での攻勢も失敗した。
無理に山岳地帯を突破したせいで多くの兵士が戦闘を出来る状態ではなかったのだ。結果的に最初の攻勢は失敗におわり、その後は山に雪が降り積もった影響で物理的に山を超えるのが難しくなったため足止めされている状態だ。
春にまでにソ連に一矢報いる計画は失敗に終わったのだ。
「忌々しい侵略者どもめ……」
今日も今日とて鳴り響く警報に新首相のヒューズは舌打ちする。
反転攻勢が失敗に終わったことはヒューズの新政権にとって厳しい船出となった。この政権は一応「挙国一致内閣」として与野党の垣根を超えて協力関係にあるが。その関係はちょっとしたことで瓦解する程度に危うかった。
一方で仮にヒューズが首相の座を引きずり降ろされても、後任選びには苦労するだろう。戦時内閣というのは面倒事ばかりで基本的に誰もやりたがらない。手をあげたヒューズが特異なのだ。まあ、それだけ彼は首相の椅子に執着していたともいえる。そして、こんな時でなければアンソニー・ヒューズが首相の椅子に座ることは出来なかっただろう。
なにせ、彼には一切の人望がない。それどころか身内の与党からかなり嫌われている。これは、彼の傲慢な性格とふるまいによるものが大きい。まあ、これで仕事が出来るならば問題はなかっただろうが政務能力もあまりなかった。それでも、国内の有力一族出身という後ろ盾があるから閣僚になることはできたのだからヒューズは恵まれているほうだろう。
当人にその自覚はほぼないが。
マーゼス大陸 グラーゼ共和国南部
ヴィソーズ山脈の北側にあるグラーゼ共和国にはマルシア連邦を中心とした大陸諸国軍が駐屯していた。その数は約50万。その大半がマルシア連邦からの供出とはいえ殆どの国が自国の精鋭部隊を送り込んでいる。
12月に入り、マーゼス大陸でも本格的な冬が到来している。
ヴィソーズ山脈の山々は白い雪に覆われており、山脈を南北に縦断する道は通行が出来なくなっている。そのため、ソ連軍もそして大陸諸国軍も山を挟んで身動きがとれないでいる。
ソ連軍は冬が10月の時点ですでに進軍を諦め、一方の大陸諸国軍は冬が来る前に大陸南部への橋頭堡を築くためにヴィシス王国奪還を目指して兵を進めたが山を超える前に雪にふられ撤退を余儀なくされた。
マルシア軍の一部はそれでも構わず山を超えたが、ヴィシスに展開しているソ連軍を前にあえなく敗北している。
「まったく中央は何を考えているんだ?こんなときに政変など起こして」
「前首相があまりにも弱腰だったせいだろう。もっと早く引きずり下ろしていればヴィシスを奪還出来たかもしれない」
「それは結果論だろう。政変のおかげでこちらは無理な進軍を余儀なくされてその上、叱責まで受けたのだぞ?」
割に合わないとボヤくのは、大陸諸国軍を指揮するマルシア連邦陸軍のキャップス中将だ。もともとは副司令官だったのだが、総司令官が作戦失敗の責任をとるかたちで解任され繰り上がっている。
彼にとっては貧乏くじをひいた形になる。
「ともかく、春まではここで待ちぼうけだが――悪いことばかりでもない」
「どういうことだ?」
キャップスの言葉に怪訝な顔になるのは新たに中央から派遣された副司令官であるホルマン中将である。ホルマンは直情的な人間であり、深く物事を考えるのを苦手にしている。なんで中央はそんな人物を派遣したのかわからないが、今の中央は主戦派が主導権を握っているのでそのせいなのだろう。
「相手の情報を集められる」
「なにを悠長な……」
「これは重要なことだぞ、ホルマン。今の戦争は『情報』が大事なんだ。相手の情報を集め弱点を探る――それをせずに進軍だけしても我々の被害が増えるだけだ」
「数なら我々が圧倒的に上回っているのだぞ。数で押しつぶせばいい」
脳筋のホルマンはなおも不満げだ。
階級が同じであり士官学校も同期なので副司令官といっても我を通す。まあ、越権行為までしようとはしないだけマシだが参謀にも似た考えをしている者たちはチラホラといて彼らを抑えるのにキャップスは苦労していた。
ヴィシス王国
ソ連軍 駐屯地
山脈の南側にあるヴィシス王国は北側と違って雪が降り続いていた。
とはいえ、冬場は厳しい寒さになるソ連出身の兵士たちにとっては別に不思議なことではない。この雪では大陸諸国軍も身動きがとれないらしく11月に山を超えてきて以後は大きな動きはしていない。11月もかなり無理な行軍をしてきたらしく、ヴィシスにやってきた頃には満身創痍でほぼ一方的な戦いになったため、ソ連の指揮官が「なんだこれは」と首をかしげるほどだ。
情報部の話によれば連合の中心だったマルシアで政権が変わったらしい。
挙国一致内閣となり、ソ連をこの大陸から追い出すために攻勢を強めることにしたらしいが、海軍の主力艦隊は壊滅し。地上部隊に関しても雪の影響で山を超えることが出来なかったようだ。
「――それにしてもよく降るものだな」
この国は、山の中腹に近い高地にあるせいか雪が常に降り続けていた。
毎日雪かきしなければ建物が雪で埋まるほどの量だ。
とはいえ、寒さは本国に比べればたいしたことはない。
まあ、外の温度計は氷点下を指しているが氷点下50度にも達することがあるシベリアに比べればだいぶ温かい部類だ。まあ、シベリア事態が地球の中でも南極などと並んで最も寒さが厳しい地域なのだからそれと同等だったら国など存在しないだろうが。
「あの山のせいで北側はほとんど降らないらしいですね」
「そうみたいだな。まあ、敵は春まで身動きがとれないようだがな」
「こっちに来る前にかなり消耗しているようでしたが……」
「山越えを想定したのか、と疑うほどの重武装だったからな。そのせいだろう」
「それだけ向こうは焦っているということでしょうか」
「そういうことだな。政変がおきたようだし」
「民主主義国というのも大変ですね……」
同情する部下。
まあ、社会主義国でも騒乱は普通に起きる。
おきた結果が東欧革命であるが、まだ若い部下は実際にそれを経験したわけではない。指揮官だってその時はまだ学生をしていたし、当時のソ連は東欧革命のことを一切報じなかった。当時の最高指導部が自国に革命が波及するのを恐れたからだ。
なので、東欧がいつのまにか西側陣営についたことを知ったのは軍人になってからだ。最初の頃は「東欧を解放する!」などと上官が血気盛んだったがそれも次第にフェードアウトしていった。実はその頃にはソ連の財政が火の車だったせいなのだが現場にいる彼らは自国経済がそこまで危機的状況になっているとは思わず、打倒NATOを掲げて日夜訓練を受けていた。
結局、NATO相手と戦うことはなかったのだが。
そのNATO――というよりもヨーロッパは異界の国の侵攻で大混乱になっているという。その混乱が転移前に起きていたら――などと一瞬思うがそもそも転移が原因で各地で混乱が起きているのだから転移は必然のことだったか、と思い直した。
イリーニア人民共和国 ヴェントレー
ソ連軍 マーゼス派遣軍司令部
ソ連の傀儡国家となったイリーニア人民共和国。
その首都ヴェントレーにソ連のマーゼス大陸派遣軍司令部があった。
元は国防省が入っていた建物がそのままソ連軍の司令部になっている。
イリーニア人民共和国軍を管轄する国防省の機能もそのまま維持されているが、その指揮権はソ連が握っていた。
人民共和国軍の主な任務は国内の治安維持。
防衛は現地駐屯のソ連軍が担うことになっている。そのため、人民共和国軍の武装は最低限のものでありソ連製の兵器は一部しか使われていない。仮に反乱が起きても駐屯ソ連軍で対処できるようにするためだった。
マーゼス派遣軍総司令官であるアレクサンドル・グリコフ中将は、衛星電話を使ってモスクワと連絡をとっていた。
電話の相手はソ連軍人のトップである総参謀長だ。
「今後の増援は出来ないというのは本当ですか?」
『大統領閣下は中国の動きを警戒しているらしい。山脈に阻まれたこの大陸の攻略よりも中国警戒のために極東に軍を集めたいそうだ』
「それほど国境は?」
『ここ数ヶ月。国境付近であからさまな軍事演習を繰り返しているのは事実だ。いつもの通り挑発だとは思うが何分転移によって我々の仮想敵は幾つか消失したからな。それは中国も同じだ』
「確かに中国のバカ共が何かをしてくると大統領閣下が警戒なさるのも納得ではありますが……ですが、現有戦力で占領地を維持するのは困難です」
『君の言い分はもちろん理解はできるのだがな……』
電話の向こう側でも苦虫を噛み潰したような顔を相手がしているのが声音からわかる。
『中国め……毎度ながらこちらの邪魔をする』
「連中も別大陸に軍を派遣していましたよね?」
『ああ、ダストリアという大陸だな。そこに南部の部隊の殆どを送っているらしい。だが、残っている北部は奴らにとっては精鋭部隊だからな』
「動けば極東軍だけで抑えるのは厳しいと?」
『……そうだ』
相手はますます渋い顔をしているようだ。
ソ連と北中国には大きな技術格差があった。しかし、今では北中国はソ連に技術面では追いついていると言われている。経済問題で技術開発が遅れているソ連に対して逆に北中国はこの20年で技術を飛躍的に発展させ、日本やアメリカに肩を並べるほどになった――とまで一部では言われていた。
人民解放軍は首都の北京に近い北部にその精鋭部隊をおいている。
精鋭部隊には最新の兵器が真っ先に導入され、その練度は非常に高いという。対して、ソ連極東軍は装備更新があまり進んでおらず未だに半世紀前の装備が主力として使われている。
ソ連にとって重要だったのは西側の守りだったからだ。
ソ連にとっての極東の脅威といえば日本であるが、日本は基本的に自分から仕掛けてくる国ではなく、北樺太を喪失してからは極東の陸軍はそれほど重要視されず極東で重要視されていたのは挑発行為を行うための空軍と海軍(特に潜水艦)だった。
なので、極東陸軍の装備の更新は経済危機もあって遅れに遅れた。
よもや、異世界転移など想像できるはずもない。一応、転移後の予算で極東陸軍の装備更新が前倒しで決められたが兵器なんてそんな早く出来るものでもないので更新が済むまで早くても5年、遅くて10年以上かかる。
北中国にとっては仕掛ける最大のチャンスだ。
政府がそのことを警戒するのはグリコフも理解は出来るのだが……。
「増援がないならばこれ以上進軍は不可能だな……血の気の多い連中を説得するのに骨が折れそうだ」
特に前線のヴィシス王国にいる部隊の指揮官は総じて血気盛んだ。
NATO相手戦えなかった分を発散するかのようにマーゼス大陸で戦っていた彼らに「これ以上進軍をしなくていい」といえば、確実に鋭い視線を向けられるだろう。
なら今度は中国相手に戦わせてくれ、などと言ってきても不思議ではないほどだ。
こうして、ソ連はマーゼス大陸からユーラシアへ関心の目を移した。
ソ連軍はあマルシア連邦率いる大陸諸国軍とはヴィソーズ山脈を挟んで今後数十年にわたってにらみ合いを続けることになるのであった。