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正暦2025年 12月1日
ギリシャ共和国 北部
連合軍によるギリシャ奪還作戦が始まって二週間あまり。
連合軍は電撃戦で瞬く間に国境地帯を制圧し橋頭堡を築いた。現在は首都であるアテネと第二の都市でベルカ軍の司令部があるテッサロニキへ地上部隊を進軍させていた。
ベルカ軍も勿論連合軍に抵抗している。現地指揮官ドレイゼン中将は周囲の反対を押し切る形で、連合軍に対してゲリラ戦を展開していた。これによって連合軍地上部隊に少なくない損害を与えているが、戦況は装備に勝る連合軍がベルカ軍を押し込んでいた。
「俺等はいつまで戦い続けなければいけないんだ?」
ギリシャ北部の戦場で若い兵士が疲れ切った表情で呟く。あちこちから聞こえる銃声と砲声。攻撃の密度は圧倒的に連合軍が上で、味方の多くは攻撃から避けるように瓦礫などを利用して身を隠していた。
長く続く戦いにベルカ軍の士気は低かった。
大陸全土を統一してから半世紀以上。昔の戦争を知る世代も減り、かつての長く厳しい戦いを経験してきた兵士はほぼいない。多くの兵士たちにとってこの戦争が初めての大規模な戦争だった。1月の段階では「半年以内に国に帰れる」と兵士たちは上官に言われていた。
実際、奇襲攻撃は成功しギリシャの大部分を一週間足らずにベルカ軍は制圧することができたので、兵士たちの間では「半年どころか数ヶ月で終わりそう」という楽観的な言葉が飛び出るほどだ。
だが、連合軍が結成されて散発的な反撃が行われるようになってから雲域がかわりはじめた。特にギリシャ北部やブルガリア方面では連合軍の粘り強い防衛線にあたり最初期に投入された部隊はどんどん疲弊していた。
ベルカ軍にとってもっとも予想外なのは、連合軍の空軍戦力だろう。
連合軍はヨーロッパ駐屯のアメリカ軍やドイツ・フランスなどから数多くの戦闘機がバルカン方面に派遣されその中には250機ほどのステルス機――F-35――もあった。アメリカ・ドイツ・イタリアなどで運用されていたF-35は既存の戦闘機に比べれば運用コストは非常に高いがその分、高い性能をもっており遠距離から長射程の対空ミサイルを発射することができた。
当時、バルカン半島にいたベルカ軍の空軍部隊は、このアウトレンジ攻撃で敵の位置がわからないままに空から叩き落されたのだ。これで、ベルカはバルカン半島での制空権を失った。撃墜された戦闘機の中には空軍の新型機が含まれていただけに空軍上層部は大いに慌てた。それでも、ベルカ軍上層部はヨーロッパの戦力は「たいしたことはない」と過小評価していた。
まあ、全然そんなことはなかったのだが。
連合軍は8月以後、その活動を活発化させブルガリアとユーゴスラビア南部をベルカから奪還した。そして、万全な体制を整えた連合軍地上部隊は海軍や空軍の支援を受け一気にギリシャへ軍を送り込んだのである。
「もう帰りたい……」
「敵に降伏したほうがマシだ……」
「降伏は絶対に認めない!もし、妙な動きをしたらその場で射殺するからなっ!」
この場から離れたいとボヤく兵士たちを隊長が小銃を向けながら怒鳴る。
兵士たちは光のない目で部隊長を一瞥すると、すぐに視線を逸らし渋々といった感じで銃を構える。眼の前には連合軍の戦車が周囲を警戒するように進んでいた。
「おい、対戦車ミサイルはどこだ?」
「もう残っていません」
「ちっ!」
使えないヤツめ、という目を兵士に向けながら隊長は舌打ちする。
ちなみに、小銃の銃弾もほぼ底をついており、飲料水や食料に関しても配給待ちという状態だ。
「おい。補給が来るのはいつだ?」
「たしか夕方だったかと」
「……仕方がない。後退する」
兵士たちは「どうせなら降伏したい」と内心思ったが口には出さなかった。
ドイツ連邦共和国 ベルリン
大統領官邸
「ギリシャ奪還作戦は順調に進んでいるようです」
「年内にギリシャは奪還できそうか?」
「それは現地の頑張り次第です」
「……そうだな。あまり現場を急かすような態度を我々が見せるのも問題か」
大統領は気が急いたことを自省するように首を左右にふった。
年内にギリシャを奪還する。ヨーロッパ主要国及びアメリカ政府が定めた期限である。もちろん、戦争が政府の考え通りに進むわけがないのであくまで「目標」でしかない。
「それに、ギリシャを奪還出来てもそれで戦争が終わるわけではありません」
「……そうだな。未だに向こう側とは一切接触がとれていないからな」
相手は異世界の国ゆえ、外交ルートが一切存在しない。
捕虜などを通じて外交交渉出来ないか試したが、こちらも今のところうまくいっていない。ベルカからの反応は一切ない。フィデスとの間で一切外交交渉が出来ていないアメリカと似た状況だ。
「どこか、交渉できる国のアテがあればいいのだが」
「残念ながらこちらは異世界の国とは一切交流がありませんからね……一番関係を持っている日本などに聞いても、ベルカという国と同じ世界の国との交流はないようですし」
「アメリカと対峙している国のように、ルートがあっても一切応じない――可能性もあるがね」
「それはそれで最終手段を使うしかありません。為政者というのは自分たちの領域が危機になれば慌てるものですから」
「耳が痛い話だな」
自分たちにも返ってくることだけに大統領は苦笑いを浮かべる。
ベルカ中枢部への攻撃は連合軍の中で常に検討されていた。
ベルカの首都・アンベルクは大陸中央の内陸部にある。ちょうどベルリンに似た位置だ。これまでは西部の軍事施設に集中して攻撃を行っていたが首都近辺まで攻撃範囲を拡大することで相手を交渉の席に引きずり込めないか――と、連合軍の幹部たちは考えていた。
すでに、実施にむけて爆撃機や潜水艦の準備をアメリカと日本が進めていた。長射程のミサイルが登場したことで爆撃機の数は徐々に減っている。ヨーロッパで爆撃機を保有しているのはイギリスくらいで、そのイギリスも近いうちに爆撃機を退役させることを表明していた。結果的に多数の爆撃機を運用しているのはアメリカ・日本・ソ連・北中国という4大軍事大国のみとなっていた。
巡航ミサイルに関しては戦闘機に搭載出来るものなどをドイツやフランスなどが配備しているが、数の上ではアメリカや日本には及ばない。そのため敵地攻撃はアメリカと日本がメインであたっていた。
ただ、アメリカはもう一つ戦場を抱えているのでヨーロッパに展開している戦力は小規模だ。そのためメインは潜水艦搭載のトマホークに頼っている状態だった。
「しかし、もう1年か……」
「慌ただしくすぎていきましたね」
この世界にやってきてもうすぐ一年。
思い返せばこの一年はひたすら慌ただしかった。
突然の、大陸外との通信途絶。ようやく、大陸外と連絡がついたと思えば地形が大幅に変わってしまった。
最大の脅威ともいえたソ連がどこかへいったのは朗報といえば朗報だが、そのかわりにバルカン半島に侵攻する異界の大国への対処をしなければいけない。そのためにヨーロッパが一致団結して取り組んでいるのは、100年前ならば想像出来なかったことだろう。
それだけの警戒感がバルカン半島に侵攻した国に各国がもったのだ。
対ソ連で一致団結したのと同じように。
とはいえ、戦場に近い東ヨーロッパと遠い西ヨーロッパとでは今回の件に関して温度差はある。それが今後ヨーロッパにおける分断につながることになるわけだが、この時点ではなんだかんだでヨーロッパは一体だと考える者たちが多かった。
帝国暦220年 12月4日
ベルカ帝国 アンベルク
アンベルク城
「外務省が情報を隠蔽していた?ルドルフ。それは本当か?」
「はい。ヨーロッパ連合からの交渉要請を握りつぶしていたようです」
「ヨーロッパ……我々が現在戦っている相手か」
「はい。外務大臣のスローレン侯爵以下。外務省の高官たちは独断で握りつぶし我々や議会に一切報告していませんでした」
「まあ、議会に報告したところで『蛮族と交渉はできない』と強欲な貴族どもが騒ぐだけだろうがな」
「……そうですね。それで、陛下。いかがなさいましょうか?情報の隠蔽は反逆罪に問われてもおかしくはありませんが」
「このことをしっているのは?」
「殆どいません」
「スローレン侯爵になにか問題は?」
「予算の横領ですかね」
「ならば、大臣は横領の罪で罷免だな。後継はお前に任せる」
「かしこまりました」
恭しく一礼し、宰相のルドルフは執務室を後にする。
外務省による情報隠蔽は確かに問題ではあるが、それ単体で外務省全体の問題にしようとは、ヴィンヘルムは考えていなかった。どうせ、バカ正直に議会に通知したところで貴族たちは「知らん!」といって放り投げていた話だからだ。
おそらく、最初の内は律儀に議会に出したが議会が一切相手にしないので隠蔽することにしたのだろう。
もし、大臣に何の不正がなければこのことは「なかったこと」にもできたのだが、横領をしているのならば話は別だ。
昔は機能していた外務省も、今ではほとんど名前だけの存在だ。
かつては、他国と外交もしていたが前皇帝になってからは経験豊富な外交官たちを「反抗的」等と言って処分してしまったのだ。実際、外交官たちは国のことを思って皇帝に様々な助言をしていたのだが、それがプライドの高い前皇帝には我慢ならなかったのだ。
(本当に父上は愚かだな。結果的に帝国は更に世界から孤立することになったのだから)
前皇帝は本気で世界統一を目指していたらしいが、外交官がいない状況でどうやって世界統一をしようと考えていたのか。ヴィンヘルムにはよくわからない。
ただ、前皇帝は一部貴族の操り人形だったので彼らの都合のいいように動いた結果なのだろう。ベルカ中心主義である貴族たちにとって海の外の評判などどうでもいい。それは、議会に出席している貴族たちをみてもよくわかることだ。
(この状況で交渉に応じても相手は我々への不信感が極まっていると考えるとこちらが全面降伏する以外に選択肢はないか……まったく、厄介なことをしてくれたものだな)
珍しくヴィンヘルムは焦りを見せていた。
帝国が解体出来るならば手段は選んでいられない、と普段考えている彼にしても戦争相手への心象が最悪な行動を繰り返していた外務省の現状には頭を抱えるしかなかった。
(だが、相手から交渉したいというアプローチをかけているということは向こうもこれ以上の戦争の拡大は望んでいないということか。誰か有能そうな人物を外交官にして派遣するしかないか)
必然的にそれは平民に限られる。
貴族も有能な人材はもちろんいるのだが、中央にいる貴族の大半は無能だ。これでよく国がまわっているが、目立たない部分で職務を行っている者たちが総じて優秀なおかげだった。
ともかく、ルドルフに人選は任せようと半ば優秀な最初に事態を丸投げしながらヴィンヘルムはこのことを考えるのをやめた。
1週間後。ベルカ帝国から交渉する用意があるという通達を受けた欧州連合は蜂の巣をたたいたような有り様だったという。