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正暦2025年 1月1日
ソビエト社会主義連邦 モスクワ
クレムリン
現実世界と異なり、この世界では未だに東西冷戦は続いておりソビエト連邦も健在であった。
ただ、現実のように多額の軍事費によって経済が崩壊寸前になったのは事実そこから脱するために市場経済を導入するなど現実の中国と同じような路線をとることで社会主義国家でありながら市場経済も導入するというなんとも歪な国家体制となっていた。それでも、豊富な天然資源などを中心とした資源外交によって経済は立て直し、現在でもなおアメリカに次ぐ国力を持つ超大国として東側陣営の盟主であり続けていた。
「それで私が叩き起こされた理由はなんなのだね。異常事態としか聞いていないのだが?」
ソ連の最高権力者であるアレクセイ・ゴルチョフ大統領は休暇中に突然「異常事態」としてクレムリンに呼び出されたことから機嫌がすこぶる悪かった。ただでさえ強面と評されるほどに厳つい顔つきをしているのに機嫌が悪いので顔つきが余計険しくなっており、普段から彼の強面に慣れている閣僚たちですら若干怯えているほどだ。
「本日、全土に有感地震を観測。その直後衛星や各国との通信網がほぼすべてダウンしました。ユーラシア大陸内の国々との通信は可能ですが、それ以外の地域との通信は完全に不可能となっています」
「・・・確かに異常事態だな」
「またオデッサなどからウクライナから西の陸地が消えたという報告が届いています」
「なんだと?陸地が消えた?つまり西欧とそんな西欧に尻尾をふっている東欧の裏切り者がそろって消えたということかね?」
「現在、詳細を確認中ですが。報告通りならばそうかと思われます。ただ衛星の半分は使い物にならないため情報収集にはそれなりの時間がかかるかと思われます」
「そうか・・・国防大臣。現時点で分かっている情報はどこまでだね?」
「はい。現時点で判明しているのは、どうやらサハリンを含めた日本が消えていることは確実のようです。地震の後普段なら見えているサハリンが消えたと現地部隊から報告がありましたので。現在はアラスカや西欧諸国を探していますが、おそらく日本と同じく消失した可能性が高いかと」
「何かと口うるさい連中が揃って消えたとすれば我が国とすれば朗報であるが・・・とはいえ東欧の裏切り者とサハリンが消えたのは面白くはないな」
サハリン――樺太は元々南は日本。北はソ連が領有していた。
しかし、1960年に勃発した日ソ戦争でソ連軍がサハリン全域と北海道の一部占領を目指して進軍したがその結果は日本軍の前にあえなく崩壊。逆に北サハリンを日本に占領され戦後もそれを維持されるというソ連にとっては屈辱ともいうべき事態になった。
この失地回復は歴代のソ連政府の悲願でありそのために極東には対日戦用に精鋭部隊を多く配備していた。実際何度か失地回復のための行動を行ったがそのたびに日本軍によって阻止されていた。
そして、東ヨーロッパの国々は第二次世界大戦後はソ連の影響下にあった衛星国として社会主義体制の一員であったが1980年代後半から経済危機からくる民主化運動などによって次々と社会主義体制を放棄。更にそれまで敵対していた西側陣営入りしたこともありソ連にとってみれば東ヨーロッパの国々は裏切り者にうつっていた。
とりわけ、歴代指導者の中でもとりわけ強硬的な指導体制で知られるゴルチョフ体制では東ヨーロッパに対しての圧力を年々強めておりとりわけバルト海沿岸にあるバルト連邦やポーランドとの間では軍事的緊張関係にあり彼らをサポートしているアメリカを中心としたNATO諸国との関係も悪化しており、国際政治の専門家からは「第四次世界大戦が近い」とまで言われているほどだった。
ゴルチョフは、東ヨーロッパやサハリン(ついでに北海道)に至る領域をソ連領にする野望を密かに抱えていたわけだがその野望が達成されることは今回の転移によってなくなった。
「国が消えるという異常事態を考えても我々は地球ではない世界にいると考えたほうがよろしいかと思われます」
ある幹部がそんな考えを口にすると場は一時騒然となった。
「異世界転移だと?」
「そんな馬鹿な話があるわけがない」
「落ち着き給え。まだ状況は完全に把握出来ていない中で議論をしていても仕方があるまい。それに仮に地球と異なる世界にやってきたとなれば我々にとって悪いことはそれほどないのではないかね?」
騒ぐ大臣たちを落ち着かせながらゴルチョフはニヤリと黒い笑みを浮かべる。
大臣たちは意味がわからないとばかりにポカンとした表情になっていたがいち早く大統領が言いたいことを理解した国防大臣が「新天地ですか?」と呟くと大統領は「そのとおりだ」と首肯する。
「なるほど、たしかに地球ではない世界なら地球にはない大陸や島を発見出来ますな」
「そういうことだ。軍はいつも以上に忙しくなるかもしれないが、よろしく頼むぞ。恐らく北中国もこの機会を狙って新天地獲得に動くはずだ。我々は北と西を重点的に探索すればいい。幸い口うるさい連中はいないのだからな」
「わかりました。すぐに北海艦隊及び空軍に指示を出します」
「よろしく頼むぞ」
異世界転移は覇権国家にとっては他国に邪魔されることなくその覇権を広げる絶好の機会となっているのであった。
それは、ソビエトに隣接しているもう一つの共産国家でも起きていた。
中華人民共和国 北京
中南海
現実と異なり中国大陸は2つの国に分裂していた。
大陸南部の華南地域の大部分を領有するのが「南中国」こと「中華連邦共和国」
一方の大陸北部と南部の一部を領土としているのが「北中国」こと「中華人民共和国」
中華連邦は民主主義の連邦制国家で、中華人民共和国はソ連と並ぶ社会主義国家だ。中華連邦は1970年までは「中華民国」という国名で、国民党による一党独裁体制がとられていたが、民主化運動が激化したことや国民党の指導者が死去したことに伴って複数政党が認められるなどの民主化が行われ現在の「中華連邦共和国」へと国名も変わった。
一方の北中国は現在でも「共産党」による一党独裁体制が続いている。
近年は、社会主義政策の一部を放棄し市場開放路線に転換したことによって飛躍的な経済成長を遂げ今ではアメリカ・日本・ドイツ・中華連邦に次ぐ世界第5位のGDPを誇る世界有数の経済大国にまで成長していた。
その、強力な経済力を武器に軍の近代化も進めており近年は近隣諸国への挑発行為を激化させるなどその軍事的行動に各国は頭を悩ませていた。
「それで、状況は?南や日本が消えたという報告は聞いているが」
この国の最高指導者たちがあつまる共産党中央政治局常務委員会。
この国の最高指導者の一人である国家主席の周が状況説明を国防大臣に求める。
「南および東北部は完全に海になっており、朝鮮半島の姿も確認できません。また、海軍からの報告によると日本や台湾も確認出来なかったようです。一方で今回新たに複数の島が我が国の沖合にあることが判明しています」
現役の陸軍軍人である国防大臣は報告書に時折目を落としながら現在までにわかっている情報を首席たち常務委員たちに報告する。
「祖国統一ができぬままか…まあ、いい。これで蓋がなくなったのだからな」
一応「中華統一」を目標に掲げているのでその範囲内に入る南中国や台湾は何が何でも自分のものにしようと考えていた共産党の一部と人民解放軍にとってはあまり喜ばしいことではないが、発言している主席はどちらかといえば「中華統一」に興味が無いため口ではこんなことをいいつつも内心では「これでせっつかれずに済む」などと思っていたりしている。
「未知の島に関しては?」
「現在海軍が調査にあたっています。何事もなければそのまま我が国の領土に組み込めるかと」
「ところで、その未知の島の大きさは?」
「概ね、海南島より少し大きい程度と。台湾の半分ほどの島などがありそれ以外にも複数の未知の島を発見出来ているようです」
「その島々に資源があれば言うことなしだな」
「領有できた島から順次、探索活動を行います」
「まあ、何もなくても植民くらいはできるだろう」
大陸が2つの国に分断しているといっても北中国の人口は6億人を超えていた。
都市部を中心に住宅が不足している状況なので最高指導部は密かに他の地域へ強制的に移住させようとしていた。交通機関の限られる島ならば監視のための人員配置の費用も抑えられる。コレはいい案じゃないかと主席は内心ほくそ笑むのであった。
次に報告を行ったのは外務大臣である。
「日本や南以外にアメリカやヨーロッパ諸国など他大陸の国家との通信も途絶しています。また、東南アジアとの連絡もとれませんし、我が国の人工衛星の大半も通信不能状態です」
「多額の予算をかけて打ち上げた衛星が使えんとはな・・・。まあ、衛星はまた打ち上げればいいだけだ。アメリカやヨーロッパが消えたのは経済的に痛手ではあるがあれこれ口うるさい国が揃って消えたのは我が国にとっては朗報だな。目障りだった南の駐屯米軍も消えたわけだからな――それよりも問題なのはインドとソ連だな。まあ、インドはパキスタンをけしかければいいだろうが。問題はソ連だ。日本やアメリカが使えない以上どこをぶつけるか…」
「トルコやイランでしょうか。どちらも日本が深く入り込んでいますが、その日本は行方知らずです。打診すれば応じてくれるかもしれません」
「そうだな・・・そのアタリで突いてみるか。まあ、新天地獲得のための邪魔をしないように牽制さえできればそれでいいからな」
日米という共通の敵がいなくなったことから、今後の中ソ関係は急速に悪化していく。しかし、どちらの指導部も全面戦争は望んでいないためやっていることは国境沿いの睨み合いばかりだ。彼らにとって重要なのは邪魔者がない中でどれだけ多くの新天地を獲得するかだ。そこに国家があろうが関係はない。
それまで西側という名前のストッパーがあったのと地球というすでに区分がしっかりとされていた世界に居たことから発散されることなかった野心が、この新世界という見渡す限りの新天地で今まさに放たれようとしていた。