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正暦2025年 11月24日
日本皇国 東京市 千代田区
進歩党本部
この日、進歩党に所属する議員約40名が一斉に離党届を幹事長に提出した。
「本気かね?」
「そちらが我々の声を聞かなかった結果です」
離党届を受け取った幹事長が離党届をもってきた議員に問いかけると鼻を鳴らされる。
「引き止めても遅いですよ?そちらが先に仕掛けてきたのですから」
(別に引き止めているわけではないんだがなぁ)
なぜか勝ち誇った表情を浮かべる代表の議員。
八木沼に変わり幹事長となった末次は内心呆れながらも「とりあえず受け取っておこう」と40枚もの離党届を受け取った。この離党届はこの後の執行部会議で議論されるが――まあ、確実にそのまま認められるだろう。
衆参あわせて40人の議員が一気に受けるのは確かに痛い。
おそらくこれで名実ともに最大野党の座を自由党に明け渡すことになるだろうが、幹事長を始め新執行部はすでにそのことに対しては覚悟が出来ていた。
「……ともかく、代表に報告だな」
そうつぶやいて受話器をとった。
「見たか?幹事長のほうけた顔。よほど予想外だったようだな」
先程の幹事長とのやり取りを思い出し悪い笑みを浮かべる男。
彼は、先程離党届を幹事長に突きつけた進歩党急進派を率いる中核メンバーの一人だ。
進歩党急進派は弱者救済のための社会保障の拡充を強く主張している一派の総称だ。そのための財源として軍事費・警察費を大幅に削減し、更に大企業や富裕層には増税をすべきだ、と主張していた。
「今頃は、慌てて代表に連絡をいれていることでしょう」
「もう遅いというのにな。これから進歩党という政党はますますと落ちぶれていくだろうな」
「当然のことです。我々の意見を受け入れれば問題はなかったはずなのに」
「どうせ、大企業と富裕層の顔色を伺っていたのだろう。まったく愚かなことだ。奴らの存在こそがこの国を停滞させているというのに……」
実際には確かに幹事長は、河原崎代表に連絡はしているがそれほど慌ててはいなかった。むしろ、予想通りの展開になったな、と淡々としていたし、これで無駄に争わなくて済むと、安堵すらしていたほどだ。
「この後はすぐに記者会見をする。記者会見さえすれば執行部もごねることはないだろう」
「我々の新たな一歩の始まりですね」
「ああ、腐敗しきった今の政界を我々で改革するのだ」
東京市 千代田区
保守党 本部
「進歩党から衆参あわせて40人が離党し新党結成ねぇ……ついに急進派が出ていくことを決めたか」
速報として伝えられているニュース画面を見ながら、保守党幹事長の大澤は「やっぱりやりやがった」という顔をしながら呟く。
「これで進歩党が持ち直してくれればいいんだが」
大澤の関心は離党者が作る新しい政党にはなかった。
急進派というある意味厄介者が抜けることになった進歩党の今後だ。
「与党一強状態というのも、問題は多いからな」
民政党が二大政党の一角だったときは国会討論が積極的だった。
進歩党が革新勢力を結集させて誕生した時もそうだ。
しかし、近年は大きな討論はおきていない。進歩党の関心事は与党議員や閣僚のスキャンダルの追及だ。それに一強状態が長く続くと与党議員の中にも気の緩みというのが出てくる。気の緩みは大きなスキャンダルに発展することもあるので、執行部は気を引き締めるようにしているのだが、それでも限度はある。
急進派という目の上のたんこぶが消えた進歩党が中道左派政党として生まれ変わればより、現実的な討論が出来る可能性があった。
ニュースでは「政界再編があるのでは?」といったことをコメンテーターが発言している。
「政界再編ね……まあ、進歩党と自由党がくっつく可能性はある。自由党は急進派が拡大したことに嫌気が差した連中が設立した政党だしな。そして急進派と社会党がくっつくこともあるだろうな」
それは野党再編といったほうがより正確だろう。
はたして、それは与党に対抗できるレベルのものになるのか……それはまだわからなかった。
東京市 千代田区
進歩党本部
進歩党本部では幹部会議が開かれていた。
議題はもちろん先程提出された40人分の離党届に関して――ただ、これに関してはすでに離党届を受理することで幹部たちは一致していた。
「最終的な引き金は先日のテロだろうな」
「十中八九そうだな。顔ともいえる辻田が負傷し議員辞職。そしてその後に行われた代表選挙で自分たちは主導権を握ることが出来なかった。むしろ、今までよく残っていたものだよ」
「それで、我々や保守党を逆恨みしているらしいじゃないか。情報を持っていても無視をしていたとな」
「我々がそんなことをするメリットがあると本気で思い込んでいるのか?連中は」
「元から話は通じなかったからな。一体誰がそのように仕向けたんだか」
「ヨーロッパと同じでマスコミじゃないのかね?彼らの責任を取らない正義感と急進派の言っていることは似ているが」
「まあ、どちらでもいいではないか。今はそれよりも党の立て直しをどうするかだ」
「これをきっかけに、更に何人か党を抜ける可能性は高い。そして行き先はおそらく自由党だ」
「今の我が党は泥舟か……まあ、これまでのことを考えればそう思われるのも仕方はないが」
ひとえに党の立て直しといっても、これまでのことで離れた支持者をどうやってまた呼び戻すかになる。自由党という受け皿が出来ている段階で急進派を切り捨てたところで離れた支持層がそのまま戻ってくることはない。
結局のところ、日々の積み重ねで有権者からの信頼を勝ち取るしかない。
「離脱者が増えるのはこの際、目をつむるしか無い。残った面々で有権者に再び信頼されるような党を作っていくしか無いのだから」
「何年かかるのだろうなぁ」
「何年かかってもやるしかない――まあ、それでも立て直すことができないならば自由党に飲み込まれるだけさ」
「自由党が我々を飲み込むのかね?」
「そこはあちら次第だな」
会議は1時間半続いた。
40人の離党届は会議冒頭で受理され、残りの時間は議員数が大幅に減った後の党をどうやって立て直すか、の議論に終始した。
午後3時。進歩党を離党した40人の議員を代表して、新党の代表や幹事長になる議員たちが会見を開いた。会見場には、国内の主要メディアが集結している。ちょうど、この時間は午後の報道番組の時間であるため一部のテレビ局は会見の様子を生中継していた。
議員たちは冒頭でまず離党に至った経緯を説明するが、彼らの口から出てきたのは進歩党執行部への強い不満であった。
「我々は内部から改革しようとしてきましたが、歴代執行部はそれに応じることはありませんでした。彼らからみれば我々の主張は革新的すぎたようですが、この国を救うためには大規模な改革は必要であり、革新政党を名乗るのならばそれを執行部自身が発信する必要があるにもかかわらず歴代執行部はそれをせずに、与党との談合政治を繰り返しています。我々はそれが我慢出来なかった。我々の言葉を執行部が無視するのならば、我々は真の革新政党『革新党』を結成することを決意したのです」
急進派の提案は執行部からすれば受け入れるのは難しい左派色の強いものだった。社会保障拡充を訴えるのは革新政党ならばどこでもする。ただ、その財源に軍事費の大幅減額や、大企業や富裕層への大幅な増税が記載されている。これは、中道左派・中道派が多数派である執行部としては頷けないものだった。
そして、急進派はこれまで何度も離党をちらつかせて執行部と交渉してきた。歴代執行部は大量離党は党のイメージが悪いと考えたのと、内紛が多い政党と思われるのを嫌ったため急進派の主張を一部認め、また執行部の役員も何名か急進派から任命した。
しかし、選挙後の新執行部は党の立て直しを第一に考えており、当初から思想面で大きく違っている急進派に譲歩するのをやめた。急進派は再度離党をちらつかせたが新執行部はそれに反応しなかったため、急進派は本当に党を離れることにしたのだ。
もちろん、そんなこと記者会見でバカ正直に言うわけがない。
彼らはあくまで執行部に原因がある形で今回の集団離党に繋がった、と記者会見の場で主張しているわけだ。
「最後まで恨みつらみってあたりが革新系らしいねぇ……」
議員たちの発言の要点をメモ帳に書き込む男性記者。
その表情は少し呆れ顔だ。多くの記者は持ち込んだノートパソコンを使って議員たちの発言をまとめているが、この壮年の男性記者は昔ながらにメモ帳に要点だけを書き込んでいる。そのほうが、頭がよく回転するからだ。
「しかし、このキーボードの音はどうにかならんのかねぇ……」
会場全体でキーボードを叩いているのでその音はかなり耳障りだ。
最近はどこの記者会見でも似た感じなので男性記者は少しストレスを感じていた。
(時代の変化なんだろうが、本当に会見の内容が頭の中に入っているのかねぇ)
多くの記者の目はノートパソコンに集中している。
あれでは、話なんてほとんど聞き流しているようなものだ。
だからこそ、その後行われる質問がレベルの低いものになるのではないか、と男性記者は感じていた。
(いかんいかん……会見に集中しなければ……といっても結局は自分たちを正当化するものばかりか。まあ、代表があの村沢議員な時点でお察しだな)
革新党の代表は、中央に座っている女性議員だ。
名を村沢京子という。
当選4回を数える衆院議員で選挙区は東京26区。武蔵野市や三鷹市が選挙区に含まれる。東京26区は革新勢力が強い選挙区であり過去10回の選挙はいずれも革新候補が当選している。
村沢議員は現在47歳。学生時代から市民運動に積極的に参加しており27歳の時に三鷹市議会議員に無所属で立候補して当選。市議会議員2期目の途中に衆議院選挙に進歩党公認として東京26区に出馬。民政党の候補者と接戦を繰り広げ200票差という僅差で競り勝ち33歳で初当選。以後、4回連続で当選を続けている。対立候補との票差は徐々にあいており直近の選挙では1万票あまりの差をつけていた。
国会では主に女性の社会進出の拡充や、社会保障の充実などをメインにしており、近年はアフリカや中東難民の積極的な受け入れや、北中国やソ連との関係改善なども訴えている。革新議員らしい主張を国会の場では行っていた。進歩党急進派の中でも中心的なメンバーの一人であるが、彼女が代表を務めるのは男性記者にとっては意外だった。
確かに彼女は中心メンバーだが、国会審議での喧嘩腰ともいえる高圧的な態度から世間からはそこまで好感度が高い政治家ではない。むしろ、評判は幹事長として村沢議員の隣に座っている男性議員のほうが高い。
彼――森嶋達夫――は離党者の中では最年長で、元々は社会党に所属していたが15年ほど前に社会党から進歩党に移籍してきた。年齢は60近くで選挙区はやはり革新系が地盤としている選挙区だ。
急進派グループの代表を務めていたのがこの男性議員であった。
人望もあることから代表ならば彼のほうが最適だろう。
ただ、あまり自分を主張するタイプではないのでもしかしたら今回は村沢に譲ったのかもしれない。それで他の議員が納得しているならばいいが、納得していない場合は火種になりかねない。
特に、村沢は時折物議を醸す発言をして問題になることがあった。
それを考えるとより、幹事長である森嶋のほうが新党としては心配事は減る――と、記者は感じた。
「吉田さんはどう見ます?革新党と今後の野党のこと」
「そうだな……革新党は厳しいと思うぞ」
「どうしてです?進歩党の中でも最大勢力だったということは有権者に支持されていたのでは?」
「革新党ではこれまでのように労働組合票はあてにならないからな。進歩党の中にいたときは労働組合の組織票が期待できたが、党を離れた以上は大半の労働組合は革新党を支持することはないだろう。思想面もだいぶ違うからな」
日本には幾つか労働組合の連合組織があり、それぞれ支持する政党というのは異なる。進歩党は特に多くの労働組合連合から支持を受けており、これは同党にとって重要な固定票になっていた。
革新党に近い思想を持つのは官公労系など一部にとどまり、その組織率も保守に近い民間労組に比べれば劣っている。どの政党にとって一番重要なのは無党派層の取り込みであり、これに関しては代表の村沢の存在がネックになりそうだ。
彼女の高圧的な態度は巷では賛否がかなりわかれている。
もちろん「ストレートで印象が良い」と応える有権者もいるが、多くの意見は「高圧的で感じが悪い」というものだ。当人もそれを理解しているようで街頭演説などではなるべく強い口調を使わないようにしているのだが、選挙では無党派層の確保できず、知名度の割に選挙はギリギリのときが多い。
「結局は組織票ですか」
「そりゃそうだ。確実に票を入れてくれる存在ってのは政党にとってはかなり重要だからな」
「それでは国民に目を向けた政治が出来ないのでは?」
「どこをみて『国民に目を向けた政治』というかだな。お前は、今の与党がスポンサーの言う通りに動いていると思っているのか?」
「それは……」
ベテラン記者の問いかけに若い記者は口ごもる。
よくある政府批判に「大企業優遇」だの「官僚の言いなり」などがあるが、よく取材をすればそれがデタラメだというのがわかる。なのに、取材する立場の記者が「そうである」と思い込んで記事にしているのを見ると同じ記者として情けない気分になる。記者というのは巷のうわさ話を記事にするのが仕事ではないのだ。
「記者なんだから足で稼いで情報をとれ。パソコンに張り付くだけが取材じゃないんだぞ」
「……はい」
頷く若い記者。しかし、その表情は不満そうだ。
これ以上言ってもへんに反発するだけだとベテラン記者は説教するのを諦めた。どうせ、彼の心には響かないだろうから。