112
正暦2025年 11月19日
日本皇国 芦原島
九州ほどの大きさをもった巨大な無人島――芦原島。
現在、芦原島では北部を中心に港や町の建設が急ピッチで行われていた。特に、島の北端部にある半島は港湾施設を建設するのに最適な立地であったことから大規模な港湾施設の建設が行われており、すでに一部では岸壁などの整備が進んでいた。
作業には陸軍工兵隊や大手ゼネコンなど全国各地の業者から作業員を動員し3交代24時間体制で工事は進められていた。作業員たちは現場から少し離れたところに設営された宿舎で生活していた。
この宿舎は、被災地の仮設住宅でよく見られるコンテナ式の長屋で、部屋の中にはトイレ・キッチン・寝室など一通りの設備が揃えられており電気・水・ガスもしっかりと通っていた。
電気は、電力会社によって持ち運ばれた発電施設で賄っており、水道は飲料可能な地下水が組み上げられている。そしてインターネットなどの通信設備も、通信会社が移動式のものを持ち込んでおり、ガスに関しては一般的なプロパンガスだ。
本土の建設現場に比べればだいぶ設備は整っているが、未開の無人島での工事なので本土と同程度の設備では訴えられてもおかしくはないので、この部分は政府が全力をあげて整備している。敷地内には、食堂や売店もあり食料などは定期的に本土から海軍の輸送艦が運んできていた。
そして、ちょうど今日は、輸送艦が島にやってくる日だった。
仮設岸壁に海軍の輸送艦「津軽」が接岸する。
「津軽」は呉鎮守府に所属する排水量3200トンの輸送艦だ。同型艦が10隻あり各鎮守府や警備府に配備され、主に海軍向けの物資輸送を担当している。呉には「津軽」以外に4隻の輸送艦があり芦原島にはこれら4隻が交代しながら輸送しており、より大型なものは同じ呉に配属されているドック型揚陸艦や強襲揚陸艦などが使われていた。
今回は、生活物資などが中心だったため輸送艦のみが来ていた。
「少し見ないうちにだいぶ港らしくなってますねぇ。数ヶ月前はこんな岸壁なんてなくて揚陸艇に荷物を移し替えて運んでいたのに」
「この状態じゃ来月には接岸できる岸壁が更に増えそうだな」
「最終的にどれくらいの港になるんですかね?」
「これを見る限りはとんでもない規模の港になるだろうなぁ」
政府は、南洋諸島開発などを担当している省庁「南方開発庁」に芦原島開発のための専門部局が6月に開設されていた。
政府にとって芦原島は「宝の島」だ。これまで海外からの輸入に頼ってきた各種天然資源が芦原とその周辺の島に豊富に埋蔵されているのが様々な調査からすでに判明している。採掘が進めば、日本は資源大国になるのだ。そのための事前準備がこの港湾開発であり、都市開発であった。
「十年後には日本の中で一番勢いのある町ができるかもしれないぞ」
「それは楽しみですねぇ。もし、そうなら我々が少し貢献したことになりそうですし」
こうして、芦原島の変化を見ることが二人は密かに楽しみにしていた。
輸送任務という仕事を請け負っている自分たちだからこそ、芦原島の変化を感じることが出来る。実際に作業にあたっている作業員たちについで自分たちは恵まれているとも思っていた。
輸送艦がやってくる日を、作業員たちは「補給の日」とよび心待ちにしていた。新鮮な食料が入ってくるのもそうだが、作業員宛の配達物も一緒に送られてくるからだ。
冷蔵・冷凍技術。そして情報通信の発達によってある程度の設備を設けていれば、未開の地でもある程度不自由なく生活することは出来る。宿舎の設備面も整っているといえるが、やはり足りないものが幾つかある。作業員たちは給金を使ってそれぞれ必要なものをネット通販などで頼んでいるのだ。
注文した配達物は一度、政府が借り上げた倉庫にまとめられ、そして輸送艦が運行する日に積み込まれ芦原島へ向かう。そのため、食品の類は基本的に配達出来ないと作業員たちは政府の担当者から事前にいわれている。
ちなみに、食料品などでどうしてもほしいものがあった場合は、宿舎にある売店から注文出来るようになっている。ただ、こちらもナマ物は禁止である。一応、医療スタッフは常駐しているがもしもの時に緊急手術出来るような環境はまだ整備されていない。
そのため、常駐している医療スタッフが対応出来ない場合は常時待機している海軍の救難ヘリコプターで四国や近畿の総合病院に搬送することになっている。
集団食中毒が発生した場合は対応できないことから、ナマ物は食べないように作業員たちに徹底されていた。食堂で出される食事も基本的に火を通したものがメインだ。一応、生野菜は出るがそれも新鮮なものが入った時に限られる。
と、制限も一部にはあるがそれでも現地の環境は恵まれているほうだろう。
200年近く前の北方開発は厳しい環境の中で移住者たちが開拓を行っていた時に比べれば、芦原島は政府が事前にある程度のインフラの整備はしてくれるし住居などに関しても事前に作ってくれている。仕事に関してもすでにエネルギー関連企業や製造業などが芦原島に進出することを表明しているし、大企業が出資した農業会社が芦原島で大規模農業を行う計画まで進行している。移住者の受付は夏から始まっているがすでに全国から数万人ほどの応募があり、その数は今でも増えていた。
芦原島に滞在する約2万人の作業員や政府職員たちのために各宿舎には食堂が併設されている。土木作業がメインであることから芦原島に滞在している約7割が男性だ。一応、宿舎では自炊出来るように調理スペースがあるがそのスペースを実際に使っている人は少ない。
簡単な調理具合はできるという男性は多いが、作業の後に自炊をするのが純粋に面倒くさいのだ。そんな、作業員たちにとって各宿舎に併設されている食堂や売店はオアシスだった。
この、食堂と売店は政府が委託した民間業者が運営を行っており調理師や店員などもその業者から送り込まれている。彼らは概ね、数ヶ月交代で芦原島と本土を行き来しており芦原島滞在中は作業員たちと同じくコンテナハウスの宿舎で寝泊まりをしている。
ちなみに、芦原島に滞在している女性たちは女性区画で寝泊まりしている。女性区画には常に警備のための保安隊や憲兵が張り込んでいて(ほぼ全員が女性隊員)不審人物がきた場合は問答無用で追い返している。
「さっちゃん。いい酒入ってるかい?」
「入ってますけど、あまり買い占めないでくださいよ」
「わかってるって。他の奴らに睨まれたくないよ」
若い女性店員に忠告を受けた強面の作業員は肩を竦めさせながら、缶チューハイを数本レジに出す。
最初期は、少ない酒を巡って取っ組み合いの喧嘩があり治安維持のために派遣されていた保安隊や憲兵のお世話になった作業員たちも多い。その後、店側が「暴れるならアルコール販売しない!」と言ったことから一人で大量に買い占めないという暗黙のルールが作業員たちの間で広まったのだ。
「作業はどれくらい進んでるんですか?たしか、伊東さんは空港方面でしたよね」
「1つ目の滑走路の舗装はだいぶできたな。もう少ししたら、試験的に軍の輸送機がこっちに来るらしいという話を聞いたな。多分、来月あたりじゃないかな」
「あっという間ですねぇ」
「まあ、かなりの人数を注ぎ込んでるからな。港と空港に」
売店や食堂の店員たちは作業員にとってはちょうどいい話し相手になっていた。特に若い女性がこうして話を聞いてくれるので男たちは気分良く作業の進捗状況などを話す。
仮に工作員が紛れ込んでいたら色々と情報が筒抜けになりそうだが、一応派遣される人員は身辺調査が行われた後派遣されているので、現時点で他国の工作員が紛れ込んではいない。
まあ、作業員たちも自分たちが知っている情報だけをはなしており、より精度の高い情報を知っている開発局の職員などは上司から「絶対に聞かれても話すな」と厳命されている。それでも、酔わせた勢いで情報が漏れるなんてこともあるが、幸いなことに現時点では外部に漏れても「まずい」話はほぼなかった。仮にあってもそれは開発局の上層部などごく限られた人間にしか知らされていないもので、現場にいる職員たちは基本的に知らされていないものだ。
「じゃあ。また明日な」
「はい。お疲れ様でした」
購入した缶チューハイの入ったビニール袋を片手に作業員の男性は店を出る。その後も、仕事終わりの作業員たちが次々とやってきて買い物籠に酒やつまみをいれて、レジにいる女性店員と会話を楽しみながらそれぞれの部屋へ戻っていく。
作業員の大半は12月には任期を終えて本土に戻る。
1月にはまた別の作業員たちが全国から送り込まれる。
というわけで、今のメンバーでの作業は一ヶ月くらいしかない。ということで知り合った他県の作業員たちと集まって飲み会をすることも近頃は多くなり、ますますアルコール類は売れに売れていた。
それは、アルコールの提供をしている隣接の食堂でもそうだった。
「今日も飲み会ですか?」
「俺等は12月末には地元に戻るからな。他の連中も同じだし、遠いところの奴らとは現場でも会う機会はないから最後に親睦を深めることになってな」
「酒が親睦を深めるのに最適ってわけさ」
「飲みすぎないでくださいね?」
「大丈夫大丈夫。そのへんはセーブするよ」
「そうそう。酔いつぶれたら現場監督からゲンコツがとぶ」
「あれ痛いんだよなぁ……」
場合によってはパワハラだと騒がれそうな案件だが、当人たちは自分たちが悪いことをしている自覚があるだけに笑い話にしていた。二人組は瓶ビールを数本購入するとそのまま宴会をしている自分たちの部屋へ戻っていく。
「……まったく呑兵衛しかいねぇな」
「あ、店長」
店の奥から呆れ顔の店長が顔を出す。
元軍人である店長。特殊部隊にもいたことがあるので年齢は60近いがその肉体は非常に鍛え抜かれている。そんな店長が常に目を光らせているので売店では大きなトラブルはおきていない。最初の頃は女性店員にナンパまがいのことをした客もいたが、店長の威圧でもう来なくなった。
食堂の料理長も海軍の給養員で、やはり外見が強面だった。
あえて、強面で経験豊富な人員を芦原島に送り込んだとも言えるが、彼らの存在のおかげで食堂での無銭飲食や、売店での窃盗行為はおきていない。逆に彼らは若い作業員たちから慕われており、よく人生相談されることがあるほどだ。
「有川。そろそろ終わりだろ?もうあがっていいぞ」
「わかりました。店長、お疲れ様です」
「ああ、おつかれ――しかし、あいつも変わってるな。大学休学してまでこっちに来るなんて」
作業員たちから「さっちゃん」などと呼ばれている女性店員はまだ20歳になったばかりの大学生だ。今は「自分探しをしたい」ということで大学を休学し、アルバイトとして芦原島にやってきている。
彼女のようにアルバイトという形で芦原島にやってきている若者は多い。
殆どは、短期の建設作業員の男子だが中には女子大生のように若い女性もいる。彼女たちの大半は食堂や売店で給仕やレジに商品管理などといったものをしていた。
「しかし、はじめの頃はあれほどビクついていたのが嘘みたいだな」
今でこそ、にこやかに接客している有川もここにきた数ヶ月前は強面の男たちを前にしてかなり緊張していた。店長と初めて顔をあわせたときも明らかに顔がひきつらせていたほどだ。だが、それも一週間ほどで慣れたのか改善されていき、接客も普通にこなすようになり、今では強面の男たちと笑いながら世間話が出来るくらいには打ち解けていた。
そんな、彼女も12月には契約期間満了となり本土に戻る予定だ。
本人は3月まで期間を延長しようと考えているらしく実際にその相談もされた。どうやら自分探しは一通り区切りがついたようで、新年度からは休学していた大学にも通い始めることを決めたという。
その後、彼女は3月まで芦原島で働いた後。本土に戻って大学に復学。
大学卒業後は大手ゼネコンに就職し、芦原島開発計画に携わっていくことになる。