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 正暦2025年 10月24日

 アメリカ合衆国 テキサス州

 難民キャンプ



 テキサス州をはじめとしたアメリカ南部には多数の中米国民のための難民キャンプが設置されていた。最初は、スタジアムやホールなどにテントで寝泊まりする状態だったが、今では空いている土地にコンテナ式の仮設住宅が作られ避難民たちはこのコンテナハウスで生活している。食事などは現状無料で振る舞われており、アメリカ政府やメキシコ政府はこの避難民の生活支援に多額の予算を投じていた。

 軍事侵攻が始まって9ヶ月以上経った。

 アメリカを主体とした連合軍はパナマで戦っており、解放された国には徐々に国民が帰還しているがそれでも未だにアメリカ国内だけで数百万人が避難生活を送っていた。



「――ここが難民キャンプか。思った以上に整備されているな」


 難民キャンプへの取材活動は難民の心理面を考慮してほぼ認められていない。それでも、定期的に国内や海外メディアの難民キャンプ内の取材が認められる日が設定されている。

 今日は、テキサス州にあるアメリカ国内で最大規模の難民キャンプがメディアへ公開された。この難民キャンプには主にコスタリカなどから逃れてきた難民が数万人単位で生活しているため、難民キャンプとはいうがその実態は一つの町といえるかもしれない。

 日本メディアの一員として難民キャンプを訪れた東洋新聞の記者である杉松は予想以上に整備された難民キャンプに思わず目を丸くした。近くでは日本のテレビクルーがコンテナハウスなどを撮影しながら記者が難民キャンプの補足情報などを喋っていた。

 実は難民キャンプの環境は劣悪であるという告発が、人権団体などから行われていた。アメリカ政府はきちんと環境は整備していると反発しているが市民団体は連日のように「環境が悪い」とアメリカ政府を批判している。

 今回の報道公開はこうした声を黙らせる目的で設定されたものだ。

 たしかに、この段階ではそこまで環境が悪いようには見えないし、難民たちの様子もそれほど悲観にくれているように見えない。もちろん、これがキャンプ全体の実情ではないのは記者も理解はしている。この手の取材では当局が見せたくない部分というのは省かれるのが普通だ。

 実際、今回も記者たちにはそれぞれアメリカ政府から派遣された案内役が監視もかねて一緒に行動していた。名目上は不必要に難民に取材しないようにということだ。東洋新聞の記者はさすがにそんな真似をするつもりはないが、記者の中には「当局の隠していることを見つけてやる」というよくわからない正義感を滾らせている者もいるのでそれ対策なのだろう。

 実際、今も左派色が強いアメリカメディアの記者が難民に話を聞こうとして、案内役に止められていたが。この記者の場合は例外的で他のメディアは当局の指示に基本的に従っていた。


(とはいえ、やはり沈んだ顔をしている難民も多いな)


 先が見えない避難生活に精神的に疲弊している難民たち。

 仮に戦争が終わり、祖国に戻っても戦争前の暮らしが出来るかの保証はどこにもない。もちろん、アメリカなどは支援することを表明しているが一から十まで生活のすべて保証されているわけではない。

 仮に祖国に戻れても、今まで通りの生活はできないだろう。

 ならば、このまま先進国であるアメリカやカナダなどに生活の拠点を移したほうが家族のためにもなるのでは?そういった考えでアメリカなどへの永住をめざす難民も多い。

 アメリカ政府は基本的に難民キャンプの滞在者は、情勢が落ち着けばそれぞれの母国へ戻ることを方針としている。人権団体はアメリカ政府の方針に「人の情がないのか!」と批判的であるが、難民キャンプの時点で多額の予算を割り当てている政府からすれば「いつまでも彼らの面倒を見る余裕はない」というのが本音だろう。

 そこに人情など持ち込む人権団体のほうがおかしいのだが、こういった勢力は概ね感情論で物事を考えることが多くその部分で現実的に判断する政府と対立してしまうのだった。

 特に現政権は、不法移民などを積極的に取り締まっている右派なので両者の対立はより激しいものとなっていた。


 難民キャンプを一通り見た感想は「予想以上に落ち着いている」といったものだった。もちろん、暗い表情の難民たちもいるが難民全員が未来に絶望しているかといえばそうではなく前を向いてボランティアといっしょになってキャンプの運営をしている者もいる。

 話を聞いてみると「確かに今には絶望感しかないが、いつまでも悲観していても状況は変わらない。なるべく前を向いていきたい」という比較的前向きな言葉が聞こえてきたし、予想外にこういった前向きな言葉は多かった。

 外野が考えている以上に難民たちは現実をしっかりと見据えている。

 一連の取材で杉松はそのように感じた。




 正暦2025年 10月26日

 中央アメリカ沖 太平洋

 アメリカ海軍 太平洋艦隊

 戦艦「モンタナ」



 戦艦「モンタナ」

 1950年代にアメリカで配備されたアメリカ最大級の戦艦。

 すでに登場時、戦艦という艦種は絶滅寸前であった。航空機の出現に伴う空母や、ミサイルの開発成功などによってそれまで艦隊の象徴ともいえた戦艦は「ただの大きい的」と海軍先進国の大半が思うようになったからだ。

 さらにいえば、その維持費は非常に高額であることも戦艦が姿を消す要因になった。モンタナが就役した時には第二次世界大戦は終わっており、各国は海軍の縮小に舵を切っていたからだ。

 アメリカがそれをできなかったのは、一応は関係改善を果たしたが依然として太平洋で最大規模の海軍力を有していた日本や、海軍の増強を推し進めていたソ連に対抗するためだ。そのために、当時世界最先端をいってたアメリカの技術力のすべてを注ぎ込んでモンタナ級戦艦が3隻建造された。

 ただやはり、アメリカの経済力でも戦艦を常に運用することは難しく。モンタナ級は有事の際のみ運用することになった。

 最初の出番は1963年のキューバ危機。

 ソ連とアメリカが戦争寸前の状況になったこの事件にもモンタナ級は3隻そろって現地に展開していた。それ以外には中東戦争や湾岸戦争などでも実戦復帰しイラクやシリアなどに対しての艦砲射撃や航路警備などの任務につくなど、基本的に予備役ながらも大きな戦争になるたびに実戦復帰していた。

 1980年代と2000年代にそれぞれ大規模改修が施された結果、日本の大和ほどではないが就役時の姿から一変している。さすがにVLSは設置しなかったがそれでも甲板にあった高角砲は数を減らし、逆に装甲が施されたミサイルランチャーがそこかしこにある。

 一方で、主砲の16インチ砲はそのままだった。



 モンタナを旗艦とする太平洋艦隊主力は、パナマ奪還作戦に参加するためにパナマ沖の太平洋に展開していた。

 主力艦隊を指揮するのは太平洋艦隊長官であるマーク・ホランド大将。

 普段は地上にいることが多い長官が自ら陣頭指揮をとるのはめったにないが、今回の作戦は彼が直接出張るほどのものといえる。


「作戦開始まであと30分か……」


 時計を見てホランドが小さくつぶやく。

 モンタナの艦橋やCICは最新鋭艦に比べればだいぶ古めかしい。

 なにせ、70年以上前に建造された軍艦なのだ。

 現代の軍艦のようにあちこちが電子制御されていない。それでも、就役時に比べればだいぶ変わっていて艦橋やCICにいる人員は減らされていた。

 ホランドはこの現代の軍艦よりも、あちこちに昔の軍艦らしさが残っているモンタナを気に入っていた。太平洋艦隊旗艦を通信設備などが整った新型巡洋艦ではなくモンタナにしても彼の好みによる部分が大きいのだが。

 まあ、それでもモンタナは元々旗艦運用を想定した設計が行われているので通信設備は必要十分なものが搭載されているので問題にはならない。問題にならないからこそホランドは自分の好みでモンタナを旗艦に据えた。

 ちなみに、旗艦にならなかった巡洋艦は第1艦隊旗艦として機動艦隊の護衛をしていた。


「提督。レンジャーから第一次攻撃隊が発艦したようです」

「いよいよですね」

「そうだな……まあ、パナマ奪還してもこの戦争は終わらなそうだが」

「外交交渉がほとんど進んでいないという話でしたね……このまま敵国本土へ進軍するのでしょうか」

「どうだろうな?上はそこまでやらない気もするが」


 ホランドはそういいながら心のなかでは別のことを考える。


(ペンタゴンは乗り気だろうが、ホワイトハウスと連邦議会はそこまでやりたくないだろうがな)


 なにせ、金がかかる。

 そして、損害に世間が敏感になった。

 だからこそ、アメリカはここ20年あまり各地へ介入しないようにしていた。転移によって更にアメリカは内向きになるだろう。世界にとってはそのほうが平和でいいかもしれない。アメリカなどが介入したことで逆に状況が悪化したケースは1980年代から2000年代にかけて多くあったのだ。

 そのたびに、尻拭いに奔走していたのが日本だったりする。

 特に、中東問題は日本にとっても人ごとではなかったので事態解決にかなりの労力を投入していた。まあ、アメリカから感謝されることは一切なくむしろアメリカと中東の間で板挟みになる割に見返りがあまりないという貧乏くじをひかされるという損な役回りばかりだったのだが。

 そして、転移したところで中東問題は何一つ解決していないのでやはり日本が奔走する羽目になっているわけだが今はそのことはあまり関係はなかった。

 政治家や官僚たちにとっての注目点はすでに戦争から離れていて、中央アメリカをいかに復興させるかに移っていた。なにせ、アメリカ・メキシコ・カナダには中央アメリカから逃れてきた無数の難民がいるのだ。彼らをいち早くそれぞれの祖国に返したいのが各国政府の本音なのだった。

 一方で軍人からすれば徹底的にフィデスを叩いて二度と立ち上がれないようにすべきだ――という中々に過激な意見が多かった。中米を解放すれば確かに今かかる予算は抑えられるが、またフィデスが力をつけて中米にちょっかいをかけてきたら同じように予算がその時にかかるんだから、もう少し未来を見るべきだ、とペンタゴンの高級軍人たちは内心で思っていた。

 なので、議会を説得しようとしたのだが残念ながら議会から賛同を得る事はできなかった。議員たちは与野党問わずに口を揃えてこういった。


「徹底的に叩くにしても引きどころはどこなのだ?そしてそれにはどれだけの金がかかるんだ?言っておくがそっちにかける金は無尽蔵にはない。ヨーロッパの戦争まで面倒を見ているんだからな!」


 これが、中米だけの戦争だったならば議会もある程度乗り気だったかもしれない。ただ、アメリカはヨーロッパの戦争にも関わっていることで議員たちの態度が頑ななものになってしまった。


(まあ、我々は上の命令に粛々と従うだけだ)


 ホランドはそれ以上深く考えるのをやめた。

 ただ、命令に粛々と従う。それが現場の人間の仕事だからだ。



「長官。時間です」

「攻撃準備は?」

「すでに済んでいます」

「わかった……主砲、砲撃開始。目標は港湾地帯にある敵の補給施設だ」

「了解。主砲、砲撃開始。目標、敵補給施設」

 

 4基ある16インチ3連装砲が一斉に火を吹いた。

 従来の駆逐艦や巡洋艦に搭載されている5インチ砲や6インチ砲よりも遥かに大きな主砲からあがる砲煙はそれだけにも絵になるもので、護衛として近くにいた駆逐艦の乗員たちはこぞって外に出て砲撃の様子に目を輝かせていた。


「すげぇ……」

「あれが。戦艦の砲撃か」

「やっぱり迫力が違うなぁ」


 戦艦の砲撃なんて今は映像でしか見ることができない。

 アメリカとともに数少ない戦艦保有国である日本でも定期的に技術維持のために砲撃演習を行っているがそれを目撃した者は少ない。ただ、今回は実戦なので多くの兵士たちがその様子を直接目にすることができた。

 砲弾を発射するだけでも普通の速射砲とはまるで違う。

 一方で、弾着観測は現代風だった。

 モンタナには弾着観測や偵察用に無人偵察機が搭載されていて、今回も数機の無人機が弾着観測を行っていた。その様子は、モンタナCICのモニター上に映し出されていた。



 発射から十数秒後。港湾施設一体に4発の16インチ弾が着弾する。

 現地では独特の風切り音が聞こえ、警備にあたっていた兵士たちは何事だと騒ぎ出す。


「なんだこの音は?」

「爆弾か?」

「だが、敵の爆撃機が飛んでいるなんて報告はないぞ」

「じゃあ……一体どこから」

「まさか――」


 一人の鋭い兵士が海の方向へ視線を向けるのと同時に燃料タンク付近に4発の16インチ砲が降り注いだ。着弾に伴う爆風が近くにいた兵士たちに襲いかかる。


「海だ――奴ら艦砲射撃を始めやがった!」

「おい。ここを壊されたらこれ以上戦闘なんて……」

「だが、艦砲射撃なんてどうやって止めるんだよ」

「そこは空軍か海軍が……」


 慌てるフィデス兵を他所に砲弾は次々と補給施設の倉庫を破壊し尽くす。

 やがて、一発が燃料タンクに直撃。タンクは大きく燃え上がった。

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